2017年09月13日

宝塚大劇場 宙組「神々の土地 ロマノフたちの黄昏」「クラシカル・ビジュー」

久しぶりの宙組さん。まーさま(朝夏まなと)の退団公演。
平日なのに立ち見が出ていた。

「神々の土地」は…

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バイオハザードみたい(笑
なつかしい

それはさておき・・・
退団公演は駄作というジンクスを越えられず、なのかな。
上田さん作・演出だから、ちょっと期待していた。

とにかく名前がややこしい。ロシアの方々の名前を覚えられない〜!
なので、人間関係を把握するのに四苦八苦

予習しとけよ・・・ということでしょうか。

まーさまは、シェイクスピアも、ブラームスも、ラダメスも、ドミトリーも、みんないい青年。
正義の人なんだよね〜。

ドミトリーも、なんだかとらえどころがなくて、存在感が薄い。

イリナのうらら(伶美 うらら )は、抑えた演技で、これまたクララ・シューマンみたいだった。
ささやくようなセリフだから、心地よくて、つい…

目覚めたら、とっても存在感のある見慣れない貴婦人がいて、思わずオペラグラスでのぞいてみたら、なんと組長のすっしーさん(寿つかさ)!
それから、すっしーさんの皇太后マリアが気になって仕方がなくなるという…まさかの展開。

と、まあ、本筋の部分は、名前がややこしいからか、ロシアの沈みゆく貴族に興味が持てないからか、ドミトリーとイリナのなぜいじいじしているのか、よくわからない展開(本当はわかる展開なんだろうけれど 笑)にいらついたりしているうちに終盤を迎え・・・

一緒に行こうと迎えにくるドミトリーと一夜をともにしたのに(一線を越えたのよね?ね?ね? 笑)、私は亡命しないというイリナ。なんでや?と思っているうちに、物語は数年後のNYへ。

イリナの結末が、上田さんの「月雲の皇子」のヒロインの末路と酷似していて、なるほど〜、こういうのがお好きな方なのね

ロシアものの名前の山を越えられなかったばあやです。上田さん、すみません
そして、最後まですっしーさんのマリアさまから目が離せませんでした。
大物貴族は、しぶとく生き抜くよね〜

ショーは、色合いが好き♡ ゴールドと紫なんて、高貴な色の取り合わせがこんなに映えるのは宝塚しかございません。
美しい、ただひたすら美しい。美しい人々が美しい色の洪水の中で歌い踊るのだ。
うっとり。

でも、宙組さんの場合は、ごひいきがいないので、そこまで。
なんとなくすいすい流れていって、まーさまたちの群舞へ。

RJ2のDVDをヘビーリピートしているから、ダンスが物足りないなあ
宝塚は、そろそろ振り付けに変革が必要なのではないかなあ
タンゴも、なんか違うんだよね〜

ゆりか(真風涼帆)が目立つ・・・つい目が行ってしまった。
星組の、ちえさまのDNAを受け継いでいるのね

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2017年09月06日

二度目の「ビリー・エリオット」

実は、二度目のビリー・エリオットを観劇していたのでした。
NEMO船長の前日に観たものだから、謎のNEMO旋風にくらくらして、そちらを先に書いてしまった。

ビリー・エリオットの完成度は、ますます増していた。
特にもちろんウィルキンソン先生のちえさま(柚希礼音)♡
声が一段と明瞭に出ていたし、動きのメリハリも完璧。
縄跳びも、一層軽快になっていたし、お芝居も、細部まで行き届き、さすがのちえさま♡

この日は山城力くんのビリーだった。
彼は、やりたい!という気持ちだけでほぼゼロから出発して、ビリー役を掴んだ。
セリフの間が微妙にずれるなど悪く言えば素人くさい部分を残し、よく言えば、それがビリーそのものだった。ゼロからの出発で、よくあそこまでダンスも、歌も、自分のものにしたなあ。子供の力というのはすごいものだと、またまた感心させられた。
マイケルは、城野立樹くん。マイケル役は、本当に影の立役者だよね〜。マイケルがいなかったら、ビリーは途中で心が折れていたと思う。今回も、また、そう思わせてくれるマイケルだった。

おばあちゃんは根岸さん。久野さんのおばあちゃんより、おばあちゃんぽくて、コミカルに演じていた。
益岡パパは、やさしくて、気が弱くて、妻に先立たれて自分を見失ってしまっている男そのものだった。吉田パパは、頑固で思い込みが激しくて、妻に先立たれて、自分流を押し通そうとする面が先走ってしまったパパだったから、違いがはっきりしていて、面白かった。

中河内兄も、藤岡兄よりも、やさしい感じ。
ということで、全体的に、ビリーを囲む状況が、より悲劇的で、ビリーだけじゃなく、周りの大人たちの状況も悲壮になっていて、初日プレビューのときの絶望感とは違った。
そのためか、炭鉱夫たちの悲壮感や無力感、くやしさが迫ってきて、ビリーに心を寄せつつも、やはり大人たちの今までとこれからがとても気になった。
特にラストシーンの炭鉱夫たちが地下に消えていく演出にはぐっときてしまい、明るい未来に向かって旅立つビリーとの対比に涙してしまった。やっぱりそちら側の年代だから、去りゆくものの気持ちに寄り添ってしまう。

だから、ちえキンソン先生のラストシーンの複雑な思いも、ひしひしと伝わってきて、目が釘付けだった。
華やかな道を歩いてきたちえさまが、たくさんの鬱屈を抱えるウィルキンソン先生をこんなに丁寧に演じていることを思うと、やっぱりちえさまの今までの大変さなども、ファンとしては胸に迫り、このシーンは、いろいろな感情がどっと襲ってきてしまう。
なので、ついビリーの存在が薄れちゃう(笑

ビリーという少年のサクセスストーリーだけれど、主役は実は大人たち全員なのよね〜と、ばあやは思ってしまうのだ。
この作品のすごいところは、そこなのかもしれない。

さて、次回は、いよいよちえさまとヌッキーの組み合わせ。絡むシーンはないんだけど。

早いもので、もう公演は折り返してしまった。そして、9月。今年も、どんどん終わっていく…


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2017年09月01日

日本青年館ホール 雪組「CAPTAIN NEMO ネモ船長と神秘の島」

これはいったいなんなんだろう・・・
ツッコミどころ満載な作品は、いくつも観たけれど、ここまで最初から最後まで???の連続の作品は初めてだ。
びっくりの連続でもある。
駄作というだけでは言葉が足りない。珍作、奇作、怪作・・・

実は、オープニングの赤いドレスの娘役が踊り始めてから、いや〜な予感がし、彩風咲奈(さきちゃん)が金髪ロン毛を揺らせながら、ソロでダンスを始めころには確信に変わりつつあった。

そして、いよいよ縛られて椅子に座らせられたジョイス博士(ひかる)、レティシア(彩 みちる)、シリル(永久輝せあ)による、物語の立ち上がりが始まったところから、「よくわからない〜!」の連続に突入。

その後、何度も気を失ってしまったので、ますますわからなくなった。

世界各国の紛争や戦争で国を追われた人たちが集まる島(名前を忘れちゃったよ。マトカって言ってたっけ?)
そこに君臨するNEMO船長も、また、国を追われた人間。彼らに言わせれば、国を棄てた、らしい。
ネモは、その島のリーダー・・・というよりも教祖。

ネモに沈められてしまった船から救命ボートで彷徨っているどきに、どうやら、縛られていた3人は助けられ、この島に連れてこられたらしい。
が、イギリス海軍将校のラヴロック少佐が、いきなり現れるのはなぜ?
朝美 絢(あーさ)の軍服姿は美しいけれど、漂流したのに、やけにぴっかぴっか。
その軍服をみて、島人たちが「ひえ〜」と言いつつ逃げまどっちゃうのが可笑しい。

ネモが憎む軍人なのに、彼はどうやってこの島へ?

さきちゃんネモが、常に憂鬱な顔をして、カッコだけつけているのが、なんだかとっても滑稽。
せめてこんな島に傷ついたたくさんの人が集まったのなら、みんなで楽しくやればいいのに。
一応、楽しそうに歌ったり、踊ったりしているんだけれど、イマイチ、その幸せ感が伝わってこない。

さきちゃんのオルガン演奏シーンも、ショパンな別れの曲で、とにかく憂鬱そう。
まるで新興宗教の教祖さま風で、信者たちが「愛」を唱えながら、かしずいているみたいなのだ。

笑っちゃうのは、各国からやってきたという島人たちが、そのままの民俗衣装でいること。
そうしないと各国を表現できないからなんだということはわかるけれど…

「ラララ・ラ・ララ」などと言いつつ、モールス信号の歌を島人たちに教えるシーンも、笑っちゃう。

これって、いっそ喜劇に仕立ててしまえば、社会風刺になったのでは?と思ってしまった。

なにやかや物語があるようで、なくて、2幕は、またまたさきちゃんネモのソロダンスから始まる。
ネモはダンサーなのか?

以下、ネタばれ(ってほどのネタでもないけど)


そして、ロシア艦隊が島をめざしてやってきて、ネモたちは、潜水艦ノーチラス号に乗って、海底火山に激突して、火山を爆発させ、艦隊を蹴散らす。島を守るために。

その特攻に行く前に、みんなは家族〜♪愛〜♪という歌を歌って。
潜水艦の中にもぐりこんだレティシアが、10年間行方不明になっていた学者の父と出会えたから、もう一人はいやと言って、一緒に突入するといいつつ、ネモ船長を愛してしまったと、ついでのように愛も告白。
船長は、その愛を受け入れ、一緒に突入。
このときにキスシーンなんて、入れたら、怒るよ!と思っていたら、さすがにそれはなかった。

特攻礼賛は、やめてほしい。

これで終わり。はあ?
いったいなにを見せられたんだ?

せあちゃんを観に行ったから、目的は達成しているんだけど。
こんな作品にエネルギーを使わなければいけない組子たちが気の毒すぎて…
みんな、健気だ
でも、そこに劇団は甘えてないか?

宝塚って、今度の作品は、こういうのをやりますという企画会議はないんだろうか。
そして、作品づくりを途中で劇団側がチェックすることはないのだろうか。

ときどき信じられないような?な作品があるけれど、観客は、お目当てを観に行っているので、物語が破たんしようが、主義主張が怪しかろうがどうでもいいのだ。
私も、どーでもよかった!

でも、ビリー・エリオットのウィルキンソン先生の「どうでもいい!」と同じで、本当はどうでもよくない。
いい作品でせあちゃんを観たいよ〜。

せあちゃん(ひとこ)は、すんごい悪役が絶対似合うと思う。
ひとこちゃん主役の公演を早く観たい〜
そのときは、脚本は小柳先生か上田先生にお願いしたいわ〜

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2017年08月26日

ステージアラウンド 新感線「髑髏城の7人 鳥」

ゆりかもめ市場前駅の前には、灼熱の太陽にじりじり焼かれた砂漠が広がり、その向こうにIHIアラウンドステージの劇場がぽつんとあった。

1590年の乱世の関東平野にタイムスリップするには十分な設定だ。
やるねぇ。

私の席は、15列目の29番というまるで劇場のおへそみたいな場所。
舞台との距離は、ちょうどいい感じで、全体を見渡すことができた。
この劇場だと、あまり前方席だと、目が回るだろうし、せっかくの凝ったプロジェクションマッピングに浸れないかも?

ど真ん中だったためか、あまり席が回転しているという感じがせず、舞台展開が目の前でどんどん進行していくという感じだった。揺れも、ほぼ感じなかった。

何度も再演されているこの作品。宝塚でいえば、ベルばらみたいなもので、いろいろな人が演じることで、作品が変化し、見え方が変わっていくのが面白い。が、初めてみたとしても、物語はそんなに複雑ではないのでわかりやすい。

観劇後、2011年版を家でみて、復習してみた。

天魔王の森山未来、蘭兵衛の早乙女太一は、同じ役。
どちらもパワーアップしていた。特に太一の決め方が際立っていた。色っぽさも。
蘭兵衛の曼殊沙華の赤い花が描かれた衣装がステキ♡
白い花園の中を髑髏城に向かっていくシーンにぞくぞくしちゃう。

阿部サダヲの捨之介は、完全にサダヲ捨之介。予想も、期待も裏切っていなかった。
サダヲが天魔王をやったら、どうなるんだろう。悪役の方が観てみたかったかも。

それにしても、捨之介は蘭兵衛にずたずたに切られて、よく生きているなあ(笑
2011年版の小栗くんなんて、早霧にお腹を刺されているのに激しい立ち回りをしていた。
せっかく血しぶきを飛ばしたりして、ほかのこをとリアルにやっているんだから、あのあたりはなんとかならないのかしら(笑

極楽大夫の松雪泰子が妖艶で、こちらも期待通り。
歌も歌えちゃうなんて。知らなかった〜。

どうやら、花は、従来通りのシンプルな演出だったようで、今回は歌やダンスを少し取り入れ華を添えている。

毎回、新感線を観て思うのは、これはオリジナルの作品だけれど、2.5次元ものと同じ濃厚なファンタジーの香りがする。
劇画を舞台化したといったもの。時折、映画を観ているかのような錯覚さえ起きるときがある。
その劇画性を如実に現したものが激しい殺陣だ。

実際の切り合いが、こんなに美しいわけもなく、まるで究極のダンスのような殺陣。
こんな生の殺陣を見ることができるのは、新感線の舞台以外ないだろう。

3時間におよぶ芝居の中で、殺陣のシーンがかなりの部分を占めている。見せ場でもある。
こんなに激しい殺陣を怪我もなく、危うい一瞬もなく、どうやってこなしているのか不思議でならない。
中心的な役者も大変だけれど、受ける側の役者たちの技量は、それ以上なのかもしれない。
この殺陣があるから、物語がリアルになり、舞台に釘付けにされる。

戦国時代の関東平野にどっぷりと浸れる3時間。
しっかり楽しませてくれるはずれのない新感線だ。

風や月も観たくなっちゃったな〜

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2017年08月16日

ハンス・ファラダ著「ベルリンに一人死す」

映画「ヒトラーへの285枚の葉書」の原作。
なぜか”ヒトラー”とタイトルの入った映画は気になる。が、見るのが怖い。ならば、原作を読んでしまおうと思ったら、なんと600ページに及ぶ長編!
ありゃりゃ・・・と本を手に取って、読み始めたら、すぐに引き込まれ、読書タイムの朝に夜に1940年半ばのベルリンを彷徨する羽目に。これが怖いのなんのって!幽霊なんかより、怖いのはやはり人間だわ。

ナチス政権下の恐怖と狂気が支配するベルリン。
少しでも失言したら、密告者に告発され、訊問を受け、少しでも反体制の匂いをさせたら、すぐに刑務所に入れられてしまう。そこに入ったら、おしまい。人格を蹂躙され、多くの場合、二度と出てこられない。出てきたとしても、一度疑われた人間ということで孤立させられる。

お互いに監視しあう日々。だれとも心を通わせることができない日々。
あたりまえの自由を望めば、疑いの目が集まってしまう。
そんな恐ろしい社会を毎朝、毎夜、疑似体験させられて、縮み上がってしまった。

作者のハンス・ファラダは、当時人気作家だったが、ナチスに協力をしなかったため、追い詰められ、精神的にかなり参ってしまい、病気になってしまった。終戦後、この本を書き上げた3か月後に亡くなったそうだ。
それだけに恐怖政治が支配する社会の描写のリアルなことと言ったら!

映画なら、2時間ほどで済む恐怖が、読了までの1週間も続いてしまった…

息子を戦争で奪われた労働者階級の夫婦が、息子を戦死に追い込んだのはナチス政権を生み出した自分たちなのだから、それを終わらせるのも自分たちだと、政権を批判する葉書を書き、ベルリンの街に置き始める。
2年以上かけて、285枚の葉書をばらまいたのに、267枚がゲシュタポの手に!
いかに市民が恐怖政治におびえていたかを物語る数字だ。

自由に息をすることさえはばかられるような日々の中、夫妻は、その不自由さを跳ね飛ばすように葉書を書き、街の片隅に置き始める。
それは人間らしい生き方を実践する第一歩だった。だが、命がけの。

私が、その時代のベルリンにいたとしたら・・・
積極的な密告者にはならないと思うが、できるだけ息をひそめて、体制の片隅に生きていることだろう。
が、自分の大切な人を殺されたり、大切な人が戦死したりしたら・・・

昨夜は、NHKでインパール作戦の愚かさを伝えるドキュメンタリーを放送していた。
かねてより、もっとも愚かな作戦と言われているインパール作戦。作戦とはいえ、物資の補給経路さえ確保せず、ただただ、兵士たちを繰り出し、5000人も兵士が戦死するころにはどうにかなっているだろうという適当なもの。

こうして殺された人たちが数万人もいる。
が、この作戦を糾弾したり、責任を追及することもなく、こうして、時折、テレビ番組で放送されるだけ。
90歳を越えた当時の生き残りの人たちが、当時の作戦を担った責任者たちの責任追及に声を上げた事実もない。(終戦直後は、生きることに必死だったとは思うが)

クヴァンゲル夫妻の行動が、ささやかではあるけれど、いかに勇気ある行動であることか!
最後に夫のオットーは、自分たちの行動は自分たちだけで行ったことが間違いだったと悟る。広がりを持てなかったのは仲間がいなかったからだと。
が、二人だったから、2年以上も続けることができたともいえる。

実在の人物をモデルにし、作者の経験をもとに書かれており、どんなにつらい目にあわされても、自分のとった行動に誇りをもち、最後の瞬間まで尊厳を保った人たちがいたことに胸が揺さぶられる小説だった。



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2017年08月01日

日本青年館 宝塚星組「阿弖流為」

日本青年館のこけら落とし公演「阿弖流為(あてるい)」の初日を観劇。まっさらな客席に座ってきました。
1階席センターの前方に座っていたので、後方席からの見え方はよくわからないけれど、列ごとに段差がついているので、視界はとても良好かと思う。
2階席は、センターに転落除けのバーがあって、それが舞台をとても見にくくしているらしく不評らしい。当然でしょう。

トイレが少なくて長蛇の列。今後、宝塚歌劇の上演が多くなるとしたら、改善してもらわないと・・・といっても、トイレの数をそう増やせるものでもなく・・・どうするんだろう。
周囲にビルがないので、同じ敷地内のホテルのトイレでも使うのだろうか。

昨日は、初日だったためか、飲み物の自販機がなく、テーブルを出して富士のなんとやらの水のボトルを1本200円で売っていた。冷やしてあるわけでもなく、なんだかサービスが全般に悪そうな印象。

背広の男性たちがロビーにやたらと立っていた。
事前に利用の多い女性の目線をちゃんと取り入れたのかしら。
立って飲んだり食べたりしている人たちをたくさん見かけた。丸テーブルを設置するとか、座れるスペースを作るとか、もう少し工夫がほしい。

さて、肝心の「阿弖流為」について

礼真琴(ことちゃん)をはじめ、星組の組子たちの熱い心が伝わる素晴らしい内容だった。
舞台奥のセットが開き、中央にことちゃんが現れるオープニングからのダンスのあたりは、ぞくぞくするほどステキだった。イキのいい娘っ子たちの美しいイケメンぶりが華やかさをまき散らしつつも、蝦夷の土着性も、ちゃんと感じられるほど力強いダンスだった。

蝦夷側のメンバーの一人ひとりの個性がちゃんと表現されていて、綾 凰華の母礼、天華 えまの飛良手、音咲 いつき、ひろ香 祐など、みんな好演。
阿弖流為と最後まで共に行動する母礼は、かなり美味しい役。ぶれない母礼を綾がかっこよく、でも出すぎず、絶妙のバランスで演じていた。

特に目を引いたのが、紀広純の輝咲 玲央。蝦夷征伐を目論む朝廷側の大将。押し出しが強く、朝廷の強大な権力を冒頭見せつけた。

鮮麻呂の壱城 あずさは、朝廷側になびきつつも、蝦夷の生き残りに命をかけるという複雑な立場で、蝦夷の心意気を貫く男の生きざまをきっちり演じきった。しーらん、やるやん、ええやん!と、びっくり。しーらんは、ついに代表作を得たね。

柚長さんが、桓武天皇にもびっくり!ぴったりでびっくり!

そして、スター性に目を惹きつけられたのが、瀬央ゆりあ(せおっち)。都で洗練された官僚であり、武人である田村麻呂の位置づけが立ち姿だけでもわかる。ことちゃんの阿弖流為に負けないオーラも、すごい!
田村麻呂が、魅力的でなかったら、阿弖流為のの命をかけた和議が引き立たなくなっちゃうもんね。
せおっちとことちゃん、いいコンビだ!

佳奈の有沙 瞳は、今回は、あまり見せ場がなかった。小柄だから、ことちゃんとの並びがとてもいい感じ。

舞台中央奥と両サイドのスクリーンに登場する地名や名前を映し、わかりやすくしている。
特に地名が耳慣れないものばかりだから、とても親切でわかりやすい。

15,6年前に、この物語に出てくる舞台のひとつとなった岩手県紫波町の循環型まちづくりに深くかかわっていた。当時、地元の人に阿弖流為を知っているかと聞かれ、初耳で、あわてて高橋克彦著「火怨ー北の燿星アテルイー」を読んだ。関西出身の私には、まったく知らない世界で、新しい日本史の見かたに目を見開かされた思いがした。

アラハバキの神など自然を信仰する阿弖流為たち蝦夷の思いこそ、日本人の心のふるさとだと、北上川や早池峰などの山々に囲まれた岩手で仕事をしていたときによく思ったものだった。
今回の星組公演「阿弖流為」には、そんな蝦夷の立場と心情がとてもわかりやすくシンプルに描かれていた。
蝦夷に生まれて幸せだったと言い残し、処刑される阿弖流為に素直に涙できるのは、阿弖流為と佳奈の恋に焦点をおかず、あくまでも阿弖流為や母礼、田村麻呂、鮮麻呂などの主要登場人物たちの生きざまを中心に描いているからだろう。

最近は、阿弖流為を主人公にして舞台化されることも多く、歌舞伎でも観たが、今回の宝塚星組版が、蝦夷たちの思いをとてもよく再現しており、いつか岩手県の阿弖流為と田村麻呂の足跡を訪ねて旅してみたいという思いに駆られた。

阿弖流為の故郷である岩手に仕事で関わっていたこと、日本青年館は、ことちゃんがちえさまに出会った劇場であること、そこでことちゃんが阿弖流為をやってくれたこと、勝手な思いだけれど、ぐるっとつながったような気がして、うるうるしてしまった。

いい作品だ!

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2017年07月30日

西加奈子著「i」

久しぶりに一気に読んだけれど、なんじゃ、これ?

シリアで生まれ、赤ん坊のときにアメリカ人の夫と日本人の妻の夫婦に養子にされ、ニューヨークで幼少期を暮らしたあと、日本に来て、私立の女子高(らしい)で親友を見つけ、大学院にいるときにふらっと行ったデモで写真を撮っていた一回り以上年上のカメラマンと出会い、大事にされ、でも、子どもができず、できたと思ったら、流産して、でも親友とわかりあえて、めでたしめでたし、という話。

数学が得意で、高校のときに「iはこの世に存在しません」と教わり、自分の名前が愛=アイだから、やたらとその言葉にこだわり、ずっといじけ続けるという話。

シリアをはじめ、世界中で災害や内戦で大量に人が死んだという報道があると、ノートに書きつけ、自分はここに生きているといじけ続けるという話。

一番腹が立ったのは、東北大地震のときに、親友も、両親も、アメリカにいて、早く渡米して避難してこいというのに、自分だけ東京に残る。この現状から逃げ出したくないからというのがその理由。今こそ、シリアの追体験ができるというわけ。でも、東北にボランティアに行くでなし、東京で大学生活を送る。そんなもん、みんなやってたよ。アメリカに両親も親友もいないのだから。

そして、反原発運動や安保反対のデモに参加する。でも、そこに確固たる考えがあるわけでもなく、彼女のパートナーとなるカメラマンは、「変化を望む人たちの顔を撮りたいから、デモを撮影する」のだそうで・・・

なんだ、それ?

あまりに浅い小説で、途中から、これは時間の無駄をさせられる
小説ではないのか?と思いつつ、なんとなく最後まで読んで、やっぱり時間の無駄だったと本を閉じたとき、激しい後悔に苛まれた。

世界で人が大量に死ぬと生きている実感が湧くという変な話。相続力の欠如にもほどがある。
毎日、人は生きて、死んでいっているのだ。

又吉大先生が帯に推薦文を書いていたらしい。図書館で借りた本だから、よくわからないけど。
又吉大先生にも、がっかりだ。


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2017年07月29日

シアターコクーン「魔都夜曲」

「白糸の滝」以来のシアターコクーンで「魔都夜曲」を観劇。

ものすごく思い入れを持ってみたせいか、思い切り肩透かしだった。

柚希礼音さまに出会うほんの少し前まで、私は、トニー・レオンにはまっていた。
レオンつながりという不思議なご縁なのだ。

当時、そのトニーさんの最新作が映画「ラストコーション」だった。
素晴らしい内容の映画だった。
熱く語ってしまったブログ記事

そのころ、必ず見に行っていた熱心なトニーさんファンの方のブログで、西木正明著の「夢顔さんによろしく」が紹介されていて、もちろん読んだ。
そのときのブログがこちら

ここにも書いているようにトニーさんが演じたイーを誘惑したピン・ル‐が恋に落ちたのが近衛文隆だった。
今回の「魔都夜曲」では、ストーリーを読むと近衛文隆=白川清隆のようで、いよいよ文隆氏の「noblesse oblige」すなわち高貴であることは義務を伴うという精神が、日本の舞台で取り上げられることになったのか!と、勝手に思い込み、ワクワクしながら、劇場に向かった。

が、1939年の上海を舞台にした恋愛ものだった…。
藤木直人の白川清隆には、これといった考え方の軸になるようなものもなく、上海で遊んでいる高等遊民。
楽しいちょっとこじゃれた音楽劇という作品だから、これでいいのかもしれない。大きな期待をした私がアホだった。

音楽劇とミュージカルがどう違うのかがよくわからないが、芝居部分との融合性がイマイチしっくりこなくて、芝居になるととたんにつまらなくなった。
藤木直人のセリフには、なぜか真実味がない。ほかの共演者の紡ぐ虚構の世界にそこだけぽかっと穴があく。
清隆の描かれ方が中途半端だから?

コング桑田や橋本さとしの回すクラブ「ル・パシフィーク」の場面は、とてもイキイキとして、1939年を楽しめるのに、芝居になると、2017年の渋谷に引き戻されてしまうのだ。

壮一帆の川島芳子は、ぴったりだった。もっと活躍してほしかったなあ。
ラスト近くに見せ場はあるけれど。
チャイナドレス姿が美しかった。裾が長くて、ちょっと裾さばきが難しそうだったけど。

マイコの紅花(ホンファ)は、清隆を愛し始めてしまう過程が丁寧に演じられていた。
チャイナドレスが、どれもステキでオペラでしげしげ見てしまった。

小西遼生のチーチャンも、場面に合わせ、適格な演技で、ホンファとの関係性がすごく明確。さすがだった。
と見ていくと、芝居シーンのいらだちの原因が自ずとわかってきちゃうなあ(笑

重慶に旅立つ清隆とホンファのシーンで終わるのだが、それでいいのか!と、がっかり。
ジャズの調べとともに、猥雑で華やかな日本の開戦間近の上海の雰囲気を楽しめばいいのだろうけれど、清隆の今後を暗示するぐらいはあってもよかったのではないのか。

彼の思いを砕いて、戦争は始まり、彼自身も、noblesse obligeを貫いたがゆえにシベリアで命を落とすところまで、せめて示唆してほしかった。

いいところのおぼっちゃんが、恋に落ちて、開戦を避けるために命がけで重慶に恋人と手に手をとってジャズの調べに乗って行っちゃう。みんなで踊って、歌って終わり。なんだかな〜。宝塚でも、なかなかない単純さだよ〜。

観客の中に、清隆=文隆の最後を知る人、知りたいと思う人なんていないんだろうな。

とさみしーい思いに駆られて帰宅の途についた。

「夢顔さんによろしく」をもう一度読みたくなってしまった。


「夢顔さんによろしく」の感想の中に、「誰かを好きでいることってすてきなことだなあと思う」と結んでいるが、本当にそうだと思う。ちえさまのおかげで、本当に世界がすごく広がったから。
「REON JACK2」のDVDで、毎夜、ちえ祭💛ちう。

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2017年07月20日

赤坂ACTシアター「ビリー・エリオット」プレビュー初日

ついに開幕した「ビリー・エリオット」
プレビュー初日を観た。

会場は、綾瀬はるかさん、市村正親氏一家、北大路欣也氏、笠井信輔アナなどをはじめ、どこかでみかけたような人たちと業界人が入り乱れ、ショービジネスの渦中そのものだった。
ちえさまは、こういう世界にいるのね〜と思いながら、一般人の目線で貴重な瞬間を目撃してきた。

ちえさまコアファンとしては、やはりウィルキンソン先生が気になったのだけれど、完璧な先生として、舞台をけん引。さすが我らが柚希礼音!ゆずキングだっ。

WOWOWで放送されたロンドン版の舞台映像を見ていたが、やはり生の舞台の迫力は想像以上だった。
各国ですでに公演されており、演出は、基本的にすべて踏襲するというスタイルだそうなので、完成された作品だと言える。それをまったく新しいキャストで、日本語化するという作業がどれほど大変なものなのか…。

炭鉱の町という共通点だけで選ばれた九州弁には、ちょっと違和感があった。英語のプラカードが多用されたり、サッチャーの名前が連呼されたりするので、その部分と九州弁の融合をしなければならない脳内補完が最初、できなかったのだけれど、徐々に耳に馴染んではきた。標準語だったら、やはり炭鉱の町の感じが出なかったのかなあ。

この長丁場の公演のビリー役としてトップバッターを飾ったのが前田晴翔くん。
堂々としたもので、舞台の上が自分の居場所だと、すでに知っているところがすごい!
こんな子が、あと4人もいるなんて!

あまり取り上げられないけれど、ビリーの心の扉をあけて、やりたいことに挑戦していく大きなきっかけをつくるマイケルの存在が、すごく大きい。自分と同じ年の子が、ものすごく自由に生きていることを知ったとき、ビリーに大きな変化が生まれる。したいことをやっていいのだ!と。
二人のダンスのシーンは、まさにエンターテイメント!

昨日のマイケル役の持田唯颯くんのエンターテイナーぶりも堂に入ったものだった。
恐るべし、子どもたち!

綺羅星のごとく、才能のある子たちがたくさん舞台を彩っており、今後の日本のエンタメ界を支えていく子たちになるだろうなと思わせられた。5年後あたりには、誰かがロミオ役をやっているかもしれない。

ウィルキンソン先生は、やさぐれているけれど、凛としていて、厳しいけれど、温かくて、とても魅力的な女性だ。

子供ができて、中央でがんばっていたのに、コースから外れてしまい、その上、さびれていく街でダンナに浮気され、生徒たちは、ぱっとしない子ばかりで・・・自分にイライラしつつも、かつての華やかなころがバレエを踊っているとよみがえってくる。
そんなとき、先生の前に彗星のごとく現れたのがビリー。才能を見出し、捨ててはおけない。
おせっかいなんてやるガラじゃないのに、これだけは放っておけない。

そして、ビリーは見事ロイヤルバレエスクールに迎えられる。
ビリーには輝かしい未来が待っている、かもしれない。

自分が見出した子がかわいくて仕方がないのに、ジェラシーも感じる。
これからの大変さもわかるが、見守っていくことしか、もう自分にはできない。

そんな先生の複雑な感情が、ちえさま先生から、ひしひしと伝わってきた。
お母さんの手紙を読むビリーから、大切なものを受け取るシーンと、ラストの後ろ姿でビリーを送りだし、涙声で別れを告げるシーンに、心情を大切に演じるちえさまの真骨頂が垣間見えた。
待っていたのはこれだった〜!と、客席で心の中で思い切りちえさまウィルキンソン先生を抱きしめたばあやでした。

娘のでビーとの関係は、これからもっと深まるのかな。

ちえさま以外の出演者たちも、さすがにえりすぐられているだけあって、みなさん、完璧。
特に久野綾希子さんのおばあさんの存在感がすごかった。
あのステキな久野さんが、ボケかけてはいるけれど、激動の時代をろくでなしの夫とともに生き抜いた力強さをもった老女を見事に演じていた。

労働者たちが、お金がなくてオーディションに行けないビリーたちに「芸術は、おれたちが支援する!」というシーンが大好き。
ビリーの魂の叫びが、大人たちを動かし、希望の灯が灯る瞬間。そして、芸術って遠いものじゃなくて、こんなふうに生まれ、育てられていくんだなと。

休憩20分を含む濃密な3時間ほどの舞台の中に、家族の愛、地域の連帯、人生の苦さときらめき、子どもの成長・・・人生の大切なことがすべて詰まったすごい作品だ。
ちえさまの退団後の代表作が、よくやく見事に着地、女優として開眼した瞬間に立ち会えたことは、ファン冥利に尽きる。は〜、幸せだった。

ちえさまの心配していたカツラは、ばっちりに合っていた。初めてみる、アップ髪のちえさま。なかなかイケてた。
衣装も、もっとダサダサかと思いきや、ポップな色合いでかわいかった。
スパッツ姿のぴちぴちお尻を眺めながら、むふっとなってしまった。オッサンみたい。
オッサンついでに、胸の谷間があった・・・そして、ダサいレッスン着の胸も、やけに豊かで・・・
謎を解くキーワードは「宝塚の娘役」?という説があったりなかったり…(笑

ちえさま、大切にされていますね。
ばあやは一安心。

プログラムにビリーをやってみたいとあって、ちょっと吹きました。
でも、観てみたい!
RJ2のヌッキーとのシーンをアレンジして、オールダービリーと踊っているシーンを妄想してみた。

チュチュ姿が、あまりにもきれいで、うっとりしているうちにカーテンコールになっていて、一瞬しか写真が撮れなかった・・・残念。でも、近くでティアラを付けたちえさまをじっくり見れたから、よしとしよう💛

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プレビューの間は、稽古場情報のプログラムしか販売されてない。
二つにわけるなんて・・・
とりあえず稽古場の方を購入。

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終演後、外に出たら、ビリーのネオンがまぶしかった。

posted by 風土倶楽部 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

梅田芸術劇場「グレート・ギャツビー」

なにが物足りないのだろう…

井上ギャツビーは、ひたむきにデイジーを愛する男をまっすぐに演じているし、
ねねデイジーのかわいさときたら、そのままねねドールにして持ち帰りたいくらいだし、
ころちゃん、まりも、AKANELIVさん、渚さんとOGの活躍には、さすが!と思わせられるし、

なのに、ドキドキワクワクしない。
なぜ、なぜなの〜?

ねねちゃんがいると、どうしてもちえさまを連想してしまうからかもしれない。

小池氏のデイジーは、ひたすら可憐で、浮気性な夫に悩む自立できない女。
映画の「華麗なるギャツビー」のミア・ファーロー演じるデイジーは、もっと我儘で、自己中心的で、世間知らずで、あまり自分の生き方に疑問を抱かない上流階級のオンナだったっけ。

小池ギャツビーのデイジーの人間像が、「かわいいだけのオンナでいる方が幸せなのよ」といったセリフに代表されるように受け身だから、物足りないのかもしれない。
小池氏が求めるデイジー像に、ねねちゃんはしっかり応えてはいる。

もう少し毒があってもいいのになあと思った。
そのほうが、まりもの演じるマートルのあがきが鮮明になるのではないだろうか。

音楽が新進気鋭のリチャード・オベラッカーの全曲書下ろし。
聴いていると、宝塚の音楽家たちがいかに優秀かがよくわかる。
かならず心にひっかかるフレーズや、歌詞がどこかに残るような曲作りをしている。
リチャード・オベラッカー氏は、英語の歌詞をもとに曲を作ったのだろうか。

そこは音楽に乗せなくてもよいのでは?といったところが歌になっていた。
もともと日本語は音楽に乗りにくい。
そのあたりがうまくこなれていないような気がした。
なんとなく酔えない。入っていけない曲ばかりだった。

小池氏、やっぱり忙しすぎるのかな…。


posted by 風土倶楽部 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする