2011年04月07日

活性化の呪縛

「アレクセイと泉」の検索ワードがちょこちょこ目につく。
放射能で汚染されたあとの農村の暮らしのドキュメンタリー映画への関心が高まっているということなんだろう。
数年前にアップした感想は・・・どーでもいい感じ。いい加減な感想を書いている。

久しぶりに地元学で生涯学習の講座を依頼された。
断わろうかと思ったけれど、やはり一度ちゃんと考え直すいい機会かも、と思い、あまり気が進まなかったけれど、引き受けた。

三陸海岸のところどころに「これより下に家を建てるな」という石碑があったそうだ。
まだ、カメラもビデオもなかったころ、先人たちが子孫たちに警告として残せるものは石碑だった。そのことを伝えるUstreamを観て、ああ、地元学で本当に知らなければならなかったこと、みんなで考えなければならなかったことはこのことだったんだな、と思った。
エネルギー問題も。一番考えなければいけないことなのに人任せにしていた。

地域調査をして、地域資源を掘り起こして、地域活性化に役立てて・・・そんな流れの中でいつも違和感を感じていた。
地元学とは、地域学のツールの一つだけれど、私は物事を知るという意味においては何事もすべて地元学だと思う。
当初、地元学は、地域の資源を調査するツールというよりも、水の流れ、家の建て方、畑の作物などを調べて、暮らしの成り立ち方やあり方を知るというものだった。私が手掛けた手引き書も、それをメインに構成した。
しかし、いざ、地域で実施してみると、「これをやって、経済的ななにかが得られるのか。やる意味はあるのか」とよく聞かれた。これはすぐにそうした効果があるものではないですよ、と言えば、「じゃあ、なぜやるのだ」と言われ、しばしば平行線をたどったことも。

某県の地域振興課からは、どうやったら効果を測定できるかと言われ、困り果てた。たかだか1回や2回、地元の人と一緒に町歩きをして、どんな効果が得られるというのか。暮らしのあり方を数値でなんか検証できない。何人外から訪問客があったかとか、何かが商品化されて売れたとか…。もちろんそういう何かがなければ、地域が維持できないところに来ていたのはわかるけれど、すべてを経済的価値で考えることはできない。

私たちは、活性化という言葉に呪縛されていたんじゃないのかなあ?
今、価値観の転換をしていかないと、これが最後のチャンス、そんな気がしてならない。
これほどのことが起きないと目が覚めないとは…。
でも、それを日本からできたら、いいな。
そうすることが、多くの犠牲になられた方たち、今も大変な労苦を強いられている人たちに対しての私たちの責務だと思う。

駅は今の明るさで十分だし、24時間も営業しなくていいし、エレベーターもエスカレーターも老人や障害者の人が利用できるだけでいい。
年頭に今年はシンプルライフをめざす、なんて書いたけれど、私個人の予言の書になっちゃったな。

posted by 風土倶楽部 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする