2011年04月13日

想像できない悲しさ

陸前高田の友人一家になにか送りたいと思いつつ、なにを送ればいいのかわからない。
聞くところによると、とりあえず救援物資は届いているのでなんとか暮らしているようだ。
一切合財すべてを失うというのがどういうことなのか。
たとえば、東京大空襲後の銀座だとか、引揚者だとかのニュース映像や映画を観たことはあるけれど、どれも実感にはほど遠い。
同時代の、それも友人たちがそういう目に合っているということに対して、想像力がないのか、想像を越えているのか。その事実の前にこちらが立ちすくんでしまう。

日常の暮らしに最低限必要なものはいったいなんだろうと思いを馳せてみる。
数え上げてみたら、あらっ?というぐらい少ない。
そのシンプルさが、電気の問題の解決につながっていくのかなあ。

原発はいらない!と言っている人たちに聞きたい。
あなたは何を捨てるの?と。
今の暮らしのままでは原発を拒否することなんてできないでしょ。
原発いらない!とデモするよりも、電気を使う量を減らそう!星が見える街づくりをしよう!早寝早起きをしよう!の方がワクワクするけどなあ。

そして、いつの場合も、一番必要なこととは、仕事と人のつながりなんだろうな。
避難を余儀なくされている福島の人たちは、そのすべてを取り上げられようとしている。

原発がコワイからやめようじゃなくて、そういう苦難の人たちを出してしまった私たちの社会システムをこそ糾弾するときだと思うんだけど。
斎藤和義にはがっかりだった。「みんなウソだったんだね〜」じゃなくて、誰かがツイートしていたけれど、「みんな無知だったんだね〜」だよね。
「みんな、知ろうとしなかったね〜」とか、「みんな、電気たっぷり使っていたね〜」とか。
自分を被害者にしちゃだめよ。

「日本を信じている」なんていう励ましCMも変よ。
その言い方は当事者じゃない。
「オレたちを信じてくれ」でしょ。

冷静でいないと、変なものに巻き込まれてしまいそう。

posted by 風土倶楽部 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする