2011年05月09日

レミゼとともに

1989年4月、ロンドンで「レミゼラブル」を観て以来、22年が過ぎた。
そして、私が一番やりたかったこと。
娘と一緒に観劇すること。それは適わなかったけれど、19歳になった姪と一緒に観ることができた。

観ながら、もう、ずっとうるうる…。
このところ涙もろい。これはカレイなる日々の証みたいなものだから、仕方ない。

今回、どうしても見たかったのは、初演の演出が今回で終わるから。ロンドンでは、すでに新バージョンの演出になっているとか。
いやー、感激、感無量の一夜でした。
ロンドンで観たときにその場でテープを購入し、ロンドンの寒い暖房の入らないホームステイ先の部屋で毛布にくるまって何度聞いたことか。
そして、ロンドンで数回観て、東京で数回観て…22年。
未だかつてこれほど思い入れをもった芝居はない。何度観ても、素晴らしい。
久しぶりに観劇して驚いたのは、ファンが本当に多いこと。
スタンディング・オベーションが、10回ぐらい繰り返された。

姪はエポニーヌに感情移入をしていたけれど、今回、私は今まで以上にバルジャンの思い、ジャベールの思いに胸を打たれた。歳とともに観るところ、感じるところは変わるなあ。
すべてのシーンの歌い出し、メロディ、場面展開とともにさまざまな思い出も一緒に押し寄せてきて、はあ、夢の中にいるみたいだった。

ジャベールから逃げているバルジャンが、コゼットに「どうして私たちは、いつも二人なの?」と言われ、胸をつかれるシーン。そのコゼットのためにマリウスを守るためにバリケードに潜入するバルジャン。「家に帰ろう」の歌詞が胸に響く。別所バルジャンは素晴らしかったです。この歌をこんなに哀切に、暖かく歌えるなんて!

家族をコゼットに与えて去っていくバルジャン。考えてみれば、フォンテーヌ、コゼット、マリウスとバラバラな人をバルジャンが約束を守ることでつなげていく。そこに家族や人を思う心の普遍的なるものがちゃんと描かれているから、25年もの間、色あせることなく、世界中で愛されてきたのでしょうね。

そんな「愛」をすべて一瞬にしてはぎとられてしまったのが、今回の大災害の被災者の人たちなんだと思うと、ますます胸が突かれました。姪と、こんな思いも交えて、このミュージカルを22年後に観ることになるとは、思わなかったなあ。

当の姪だけれど、終わってから一杯やりながら、感想を話し合っていたら、とても楽しんでくれたみたいなんだけれど、「ところでさあ、この物語はフランス革命が舞台になっているってわかってたあ?」と聞いたら、「えー、そうなの?なんか小競り合いしているなあって思っていた〜」

おい!こらっ!予習ぐらいして来い!
というか、イマドキの子は「レミゼラブル」を読んだりしないのかしらね。
「ああ、無情」
私たちのときは、当然、みんな知っている物語だったんだけどなあ。
文豪ビクトル・ユゴーも、IT化社会の中では、ああ、無常(無情じゃなくて)なんですかね。

私の感傷をよそに、姪は「最近、料理の上手な男子が多くて困る〜」なんて言っている。
時代は確実に変化しているわね。
この子は22年後にレミゼを思い出してくれるのかなあ…。

さて、BSで放映されて録画しておいた25周年記念コンサートを観なくっちゃ。
で、また、泣いちゃうんだな、きっと。
カレイなる日々ですから。



posted by 風土倶楽部 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする