2013年07月24日

観劇日記 2013年7月T ストリッパー物語

今月はストレートプレイなど、最近、足が遠のいていたお芝居に挑戦しました。

東京劇術劇場の「ストリッパー物語」が出ていて、気になったのでサイトに行ってみたら、事前レクチャーなるものが2回も開催される。それもチケットを持っていたら、1000円を500円に!
1回目は「つかこうへい、1970年代の表現者」講師:扇田昭彦(演劇評論家)
2回目は「20世紀後半の現代演劇」講師:星野高(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助手・近現代日本演劇史研究者)

お芝居そのものもだけど、このレクチャーにそそられてました。最高のお席。前から3列目のど真ん中。

レクチャーは1回目のつか演劇の解説がとても面白かった。当時のVANホールで開催されたバージョンの録画を見ることができた。画質はひどいけれど、今でも会場の熱気が伝わってくるほど。あのころ、小劇場の空間は熱かったのよねぇ…。三浦洋一を久々に観て、懐かしかったこと!早世されて残念です。今、生きていたら、三国連太郎に次ぐとんでもなく個性的なじじぃ役者になっていただろうなあ。
私は杜夫ちゃん派だったけど。
根岸季衣のストリッパーの、なんだか言葉にならない存在感もすごかった。ほんの十数分録画を観ただけなのに。このときが最初の舞台だとかで、演技になっていないはずなんだけど。

さて、今回のストリッパー物語は、新進気鋭の三浦大輔という演出家によるもの。つか時代の舞台は、ほとんどなにも置いていないような空間。ところが今回はリアルなストリップ小屋の内部と舞台がつくられ、観客はまさにストリップ小屋にいるようなつくりになっていた。
セリフは、以前は声をはりあげ、笑いを誘うような言い方だったのに、つぶやくようなリアルな物言いになっていた。

要するに以前のつか版とはぜんぜん違うのだ…。

実はストリッパー物語は初見。熱海殺人事件は紀伊国屋ホールで観た記憶が…。
リリー・フランキー演ずるシゲ、渡辺真起子演ずる盛りをすぎたストリッパーの明美、その存在感に釘付けにされる。レクチャーをしてくれた扇田氏によれば、あえてみじめなどん底に下降することによって、逆に精神の高みに上がる。どん底のカタルシスとのことだった。

堕ちて行くカタルシス、ねぇ…。

つか芝居は、「見るー見られる」関係に支えられた劇場型マゾヒズム。つかが描く男たちは多くの視線にさらされる最大の屈辱の場として「劇場」が舞台にされているとも。

屈辱にもだえる行き場のない二人とその周辺の人々の人生を息を詰めてみた2時間半。
人間の業と性のすさまじさ、悲しさがしっかり表現されていました。
それはストリッパーとヒモというだけでなく、役者としての業も。
あのさらけ出しっぷりはすごいですよ。うらやましく思えるほど。

真起子さんが、いや、明美がシゲに娘がいることを知り、その娘を支援しようとする心情に至るまでのシーンの心の動きが切なすぎる。明美は堕ちて行く理由が欲しかったのだろうな。やはり時代は変わっても、カタルシスは不変で、普遍なのね。

でも、明美亡き後、シゲはどうするのかしら。彼独りでもっと堕ちて行くにしても、もう堕ちようがない。案外普通に戻っちゃったりするかも。明美がいてこそ、気持ちよく堕ちて行けたわけだから。

ヒドイ妻から逃れたくて、家を出て、ストリップ一座の座長をしているでんでんが、女性がダメになって、オカマになっちゃったという設定に妙にシンパシーを感じてしまった。やはりそういうものなのね(笑

今回の公演はすごく充実した内容だとは思うけれど、もし、もう一度観られるなら、画質の悪いビデオでいいから、VAN99ホールの公演を観たいです。やはりあれが、つか芝居だと思うから。

posted by 風土倶楽部 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする