2013年11月23日

新・藪の中

基本は商業演劇嗜好だけれど、時折、役者の息遣いが伝わるような小劇場にむやみに行きたくなる。
ということで、演劇実践集団デスペラーズの「新・藪の中」を観劇。
吉祥寺シアターなので、近いというのがこの公演を選んだ大きな理由なんだけれどね(笑

園子温監督の「恋の罪」ですさまじいセックスの権化を演じた富樫真さんが、唯一の女優というお芝居。
演者はテレビなどでそこそこお見かけする方々。芥川の藪の中だから、もちろん例の場面もあり、なかなかリアルにやっておられました。
このところスミレコードに慣れているから、かなり刺激的というか苦手。まあ、小劇場にはよくあるリアルさなんだけどね。私って演劇的Mなのか?(笑 見ていて、そうだ、小劇場って、こういうリアルさを追求するんだっけ、と思い出したわけ。懲りないやつだなあ…。

そういうシーンは妙にリアルにやるのに、セリフの中にちょこちょこ現代の言葉をわざと入れてくる。
たとえば「マニフェスト」とか、現代の話言葉を入れるとか。

こういうのはあまり好みじゃないなあ。
せっかく室町時代の扮装をして、あの世界に入っているのに、こんなセリフが入ることでその世界が一瞬裂ける。物語と今を結び付けたい気持ちはわかるけれど。
物語が意図するところがちゃんと伝われば、観ている側はちゃんと現代に結び付けて考えるのだから、必要ないと思う。特に原作があるものをやるときには、そのあたりは丁寧にやってほしい。

人間は自分に都合のよい真実を選びとる。現代は、その作業をマスコミが一番得意とするから、話がますますややこしくなるわけで…。
原作がいいから、そう破たんのない舞台だったけれど、しきりに黒澤の映画を思い出してしまった。多襄丸は必然的に三船敏郎を思っちゃうわけで、おまけに京マチ子、森雅之、志村喬という最強のキャスト。こういう舞台って、やりにくいだろうな。
富樫さん、映画より美しかった。

でも、サブタイトルの「女でアルこと」の意味がイマイチ伝わらなかった。女が強調されているわけでもない脚本だしなあ。女の色香に迷ったということになっちゃうと「藪の中」じゃなくなっちゃうし。

お芝居を見ながら、いつかちえさまをこのぐらいの距離でじっくり拝見したいものだという邪なことを考えては、いかん、いかん、と芝居に戻る私。絶対ありえないと思うけどね(笑 妄想です。


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2013年11月21日

DREAM,A DREAM と2回目のイーハトーボの劇列車

こまつ座の「イーハトーボの劇列車」(紀伊国屋サザンシアター)の2回目。
2回目は、セリフの運びが見えてきたおかげで、各場面を見渡すことが可能になった。
で、2回目を観て、井上ひさし氏は、宮沢賢治というイメージを借りて、人間のピュアなところ、いい加減なところ、憎たらしいところをしっかり描いているとあらためて思った。
芝居の構造も見えた。
辻さんの演じていた父や刑事役は、夢見がちな賢治に現実を見せる人。
メルヘンの中に賢治が描いたマタギや農民たちが背負う現実。
でも、賢治に象徴される理想は生きるうえで不可欠。
その理想に辿りつけず命を終えていく人々・・・。
賢治がジタバタすればするほど、殉教者に見えてくる。
そんな賢治がいてくれるからこそ、人生の苦しみを耐えることができる。
1回目よりも、2回目の方が、より賢治を愛おしく感じることができたような気がする。
井上くんが、より宮沢賢治らしくなっていたからかな。
全体を通してのやわらかな花巻弁が心地よかった。

が、一方で芝居の構造が見えてくると、かえって冷静になってしまう。
それだけに「思い残し切符」は、1回目の方が心に響いた。構造が見えると、切符が仕掛けに見えてきてしまうから?
そして、最後の列車に乗るシーンは、ちょっとダメ押し気味で、蛇足だと思った。
農民という言葉が弱者の代表のように扱われているのが、少々気になり始めた。
賢治の時代は、弱者だったかもしれないが、現代はもっと複雑だもんね。


「DREAM,A DREAM」梅田芸術劇場
観るつもりはなかったのだけれど、母が新聞記事を見て、観たいということで急きょチケットをゲット。
宝塚のOGの生を観るという極私的プロジェクトを一気に進めるプログラムでもある(笑

トップを極めた人たちのオーラはただものじゃないということを強く再認識させられた。
キャパ2500人の大劇場で、組を背負って活躍していた人たち。
退団後には、それぞれまた新たな場で磨きがかかったようで、みなさん、歌もダンスもお見事。
特に歌はとってもよかった。やはり男役のときは、かなり無理して低音を出しているから、本当の声になると、とってもイキイキして聞こえるのかも。

わたるさん(湖月わたる:エリザベートのガラコンでルキーニを観た)、彩乃かなみ、さえこ(彩輝なお:エリザベートDVDのトートで知ったので、生はちょっと興奮した)、コムちゃん(朝海ひかる:「天翔る空に」を観劇)、の並びは、テンションアップ。
そして、水夏希が登場してワクワクさらにアップ。水さん、すっかりステキな女性でした。カッコよかった〜。
わたるさんも、相変わらずオーラが出まくっていた。ちえちゃんのお師匠みたいな人だもんね。
かなみちゃん、歌が上手いなあ。嵐の仕分けで毎回敗退役を仰せつかっているけれど(下級生だから仕方ないっか 笑)、あんな小出しはもったいない。本当の実力を知らしめねば。

安寿ミラさんや、杜けやきさんあたりは、ちょうど観ていなかった時期なので、初めて観る方たち。みなさん、とっても美形。そしてステキ。今更ながら、宝塚は美形集団だわ〜。

鳳蘭、懐かしい〜。退団公演をなぜか観ているもんね。

母は、この2年ほど一緒に観た宝塚の公演の中では一番よかったそうで、特にディガディガのときは「越路吹雪が歌っていた歌」ということで、ハイテンションだった。なんといっても、こーちゃんファンだから。
私は、物心ついたころから、こーちゃんのシャンソンを聞いていた。いや、聞かされていた。

気が付いたら、なんと3時間半(休憩25分を含む)。オーラだらけのきっらきらの舞台をたっぷり楽しませていただきました。大劇場のレビューは、ひたすらスパンコールできっらきらなんだけれど、こちらはスパンコールの力を借りないきっらきら。この熟成度はなんなんだろう。

舞台の上のみなさんも、とっても楽しそうで、客席も、ワクワクドキドキで、相乗効果のせいか、熱気むんむん、女性パワー全開で、ピンクの霧が立ち込めたような会場だった(笑
極上のワインとチーズと、イタリアンなおつまみをいただいたようなひとときでございました。
ちょっとクセになるかも。

梅芸の入っている阪急インターナショナルホテルのロビーにあったツリー。
もうクリスマス〜!

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2013年11月05日

10月の読書日記

湊かなえ「白ゆき姫殺人事件」

ソーシャルメディアは、関係者の証言と対比して書かれてみれば、どちらも人間の姑息さ、身勝手さ、いい加減なものや人の見方を鮮明にあぶり出すものだという面白い結果に。
「告白」の作者らしい作品。
ただ、残念なのは、殺人に至る動機がイマイチ説得力がない。
私の経験からいうと、すごくいい人そうに見える人でも、下心を隠してそうしている人もいて、なかなかすごい芸当だなあと思うし、自分に害が及んだときには、消えてくれないかなあと思うこともある。だからといって、殺しちゃったりはしないけど。でも、それが毎日のことで、生活に深く根を下ろされちゃうと、やっかいだろう。なるべくそういう人には出会いたくないものです。

わが盲想
モハメド・オマル・アブディン
ポプラ社 2013年5月16日

スーダンから、日本語もできないのに来日するというご本人の勇気、そして、語学だけでなく鍼灸や大学で国際紛争について学ぶという努力には敬意を表するけれど、一番意外だったのが、日本はそういう方たちの受け入れ態勢が整っているのだということ。日本も捨てたものじゃないと思った。
彼が学費や生活費をどのようにしていたのか知りたかった。

藤本ひとみ
「皇帝ナポレオン」
「皇后ジョゼフィーヌのおいしい生活」

宝塚100周年のトップバッターは、柚希礼音さま率いる星組による「眠らない男 ナポレオン」。
というわけで早々に予習に励むことに。その第1弾として手をつけたのが「皇帝ナポレオン」
が、なんだかわかりにくい書き方で、いっこうに読書が進まない。
ならば、ジョゼフィーヌから攻略だ、というので、同じ作者の皇后バージョンを読んでみたら、わかりやすかった〜。これでかなりナポちゃんの周囲の人間関係の核心部分がわかった。
ヨーロッパの18世紀初頭の歴史なんてさっぱりわからない。フランス革命だって、ベルばらと、スカーレット・ピンパーネルと、アンドレア・シェニエと、永遠の祈りとで得ている知識程度なんだから・・・って、宝塚ばっかりやん!(笑

もともとは池田理代子のベルばらの漫画を読んでいたころに、ツヴァイクの「マリー・アントワネット」とかを読んで、フランス革命に「親しんだ」わけなんだけど。まさかヅカでこんなにフランス革命を舞台にしているなんて知らなかった。そのあとはエリザベートにつながっていくんだけど、このエリザと、スカピンの間がナポレオンなわけで、案外、知らない時代なのだ。

当時のヨーロッパ情勢は複雑極まりないことこのうえなし。日本でいえば、関ヶ原の合戦で東西がにらみあっていて、武将たちがそれぞれの思惑で動いて…と似ているかも。武将の名前も、ある程度の配置もわかっているからこそ、闘いの部分は面白いのだけれど、17世紀後半から18世紀にかけのヨーロッパの勢力関係なんて知らないもんね。

まあ、宝塚の場合、そういう時代背景をちょこっとお借りするだけだから、どうでもいいわけで…それよりも人間関係の把握に重点を置きましょ。「皇后ジョゼフィーヌ」のおかげで、タリアン、バラス、シャルルあたりの主要人物はクリアできた。ジョゼフィーヌとナポちゃんの関係も、皇后を退位した経過など、なんとなくヅカが着目しそうな部分はわかってきた。

戦闘に明け暮れるナポちゃん。その間にジョゼフィーヌは不倫しまくり。いったい小池修一郎氏は、どんなアレンジを施すのだろう…と、私があーだこーだ考えていたら、ヅカ友が昭和60年に花組で公演された「愛あれば命は永遠に」のパンフレットがヤフオクで出ているから落とすようにと。

え〜っ!と思ったんだけれど、まあ、500円ならということでゲット。そしたら、脚本までついていた。当時のパンフはいつも掲載されていたんだとか。
高汐巴さんがナポ、若葉ひとみさんがジョゼフィーヌ、大浦みずきさんがシャルル(ジョゼフィーヌの愛人)…ふむふむ。大浦みずきさんといえば、やはりその友人によると、「琥珀色の雨にぬれて」のジゴロ、ルイがお見事だったとか。「奥さま、お手をどうぞ」は当時、ヅカファンの間で流行したらしい(笑

が、またまた友人によると、このナポ公演、とんでもなくつまらなかったのだとか。
うーん・・・脚本にざっと目を通しても、まあ、そんな感じ。
植田氏の脚本・演出。
プロローグが「お聞きください、お話ししましょう」で、いきなり「愛 愛 愛 愛こそ強く 愛こそ気高く」って、まるでベルばら・・・。
パンフレットのご本人によるコラムでは、「偉大なナポレオンの歴史は、凡愚弱輩のぼくには所詮無理な題材だったのです」と、ほぼ敗北宣言。

小池氏は、きっとあっと驚く仕掛けを考えて勝算をもくろんでおられることでしょう。

さて、次は、ナポ関連のどんな本を読みましょうかねぇ。
映画とか観た方が早いかな。
ところがちょうどよい映画がない。
ナポちゃんを生涯愛し抜いたというデジレ王妃が主人公の「王妃デジレ」を観たいけれど、1955年の映画だから、手に入るかしら。ナポちゃんをマーロン・ブラント、デジレをジェーン・シモンズ。そそられるなあ。デジレという人はナポちゃんにふられたんだけれど、最終的にスウェーデンの王妃になっちゃうという数奇な運命の人。欧州の王族や貴族も、この時代には下剋上で中流階級がのしあがったりしているのね。

IMG_0008.jpg ナポちゃん仕様の高汐さん。すでにREONUでレオンちゃんが似たようなヘアスタイルにしていましたっけ。イメージ刷りこみ作戦?(笑





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2013年11月01日

観賞日記 「青春放課後」

録画してあった小津安二郎の最初で最後の幻のテレビドラマ「青春放課後」(昭和38年)。小津と作家の里見惇が脚本を書いただけあって、なんとも味わい深いドラマだった。

京都で小料理屋を営むせいと、その娘千鶴。20代半ば?当時は婚期が遅れそうになっている娘という設定。
その店を贔屓にしている客、大学教授の山口と会社重役の緒方。二人は、せいの亡くなった夫と学生時代の友人だった。当時、3人でせいを争い合った仲でもある。
二人は、千鶴のことを気にかけていて、上京するという彼女をそれぞれの家に泊めてやったりもする。まるで自分の娘のように。

このあたり、ちょっとミュージカルの「マンマ・ミーア」みたい。
さて、本当の千鶴の父親は誰なんだろう・・・そんな疑問が会話のところどころに仕掛けられた言葉尻で気になってくる。

千鶴は、緒方の秘書の長谷川(佐田啓二)にときめいてしまい、思わず深酒をする。
気になり始めた長谷川。翌日、新婚の友人の家に遊びにいったものの、夫が帰宅するとデレデレになってしまう友人を見て、泊まる予定をやめて、思わず長谷川に電話をする。

ところが、出てきたのは女性。どうやら長谷川には同棲している相手がいるらしいと気づく。
彼の家に直接電話をかけてしまうというのは、ちょっと意外な展開だった。

二人で緒方の行きつけのバーで飲みながらの会話が、なんともやるせない。
すでに決めた相手がいるということを白状させた千鶴が、結婚という手続きを踏んでいない長谷川に対して「証文に収入印紙を貼ってないだけ」と言い、長谷川は「ぼくは青春なんてどうでもよくなってしまった。もうすっかり授業が済んだあとの・・・」という。それは、学校の放課後のようなもので、急に誰もいなくなって寂しさが募る様子に譬える。千鶴にとっては、友人の家でも話題に出たように、友人のほとんどが結婚してしまい、自分ともう一人だけしか独身が残っていない状況と重なる。

あー、その気持ち、よっくわかる〜。
あの年頃のなんともいえない焦燥感とか、寂しさとか。

緒方は密かに長谷川と千鶴がうまくいくことを願って引き合せたようだったが、すでに相手がいると千鶴から聞いて、申し訳なく思う。
このときに千鶴が「私、タイミングいつも合わなくて。去年の今ごろ、東京に来ていればよかったのよ」という言葉も、リアルだなあ…。
「私が中途半端になってしまって、私が好きだと思う人にはすでに決まった人がいるし、私を好きになってくれる人を私は好きになれない。ほんとタイミングがうまくいかない」というようなことを言うんだけど、脚本、すごすぎる。

東京に夢を抱いてやってきた千鶴だったけれど、結局、京都に帰っていく。
最後のシーンは、いつものバーでの緒方と山口。

「おまえの娘にしちゃあ、出来すぎだ」と言い合う二人。
このとき、山口が早口で言う言葉。
なんだろうと思い、ネットで検索してみたら、ちゃんと書いてくれている人がいた。
「階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)すでに秋声(しゅうせい)」
中国の儒者、朱熹による詩「偶成」からだそうで、「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」の後半部分で、「未だ覚めず地塘春草の夢、階前の梧葉、己に秋声」
意味は、「庭の前のあおぎりの葉にもう秋風が吹いているではないか、時間は再び繰り返さないのだ 今しなければいけない事を、この今、懸命に励もうではないか」といった意味なんだそうな。
50年前の人は、こんな言葉をテレビドラマでちょろっと言われて、わかったんだろうか。
これぞ教養だよね。

そして、ドラマは深い余韻を残しつつ、終わる。

全編会話に支配されたまさに小津ワールド。
何気ない会話の中に、いろいろな確信的なことがちりばめられ、人生は、こんななんでもないようなことの積み重ねの中に、人生を左右するようなことがちょこちょこ入ってくるという様子が丹念に描かれている。

小津ワールドの時間の流れ方は、人生そのものだなあ。
画質はよくないけれど、1963年のあのころと、今と、人の心も、人生の悲喜こもごももなにも変わっていない。

心にいつまでも残るような深いドラマだった。
このドラマが放映されたのは1963年3月21日、小津が亡くなったのが同年の12月12日。

放映されて50年後、私も、こんなドラマが沁みる年頃になってしまったのねぇ・・・。

小林千登勢さんの美しさに見とれてしまった。
そして、長回しの撮影でも、自然な会話を延々とする小津組の宮口精二と北 竜二。
まるでその場に同席しているかのようなリアルで、自然な映像空間が紡ぎだされる。
はあ、なんかいいなあ。どんな特撮も、高画質も及ばない映像の世界だわ〜。

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ラベル:映画
posted by 風土倶楽部 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする