2013年12月29日

鑑賞日記 「鑑定士と顔のない依頼人」

やたらと評価が高かったので、今年を締めくくる映画としていいのでは?と鑑賞。
が、しかし!
どんでん返しが、ぜんぜんどんでん返しじゃなくて、最初から、ストーリーがほぼ見えちゃった。

ストーリーは、偏屈な美術品の鑑定士が、電話だけで顔を見せず、両親の残した美術品を鑑定してくれと依頼されるところから始まる。声は若い女性。待ち合わせに来なかったりして、何度も怒らされる。けれど、屋敷に行ってみれば、ちょっと気になる美術品があったりして…。
このあたりで、なんだか怪しい話だよねぇ・・・と。
で、この鑑定士はいいやつかというと、贋作だと言って、真作を安く落として、コレクションしたりするセコイやつ。
これ以上はネタばれになるので書きません。単純なお話だから、書いたら、わかっちゃう(笑

以下、まだ観てない方はご注意を。


おまけにドナルド・サザーランドが、なんだか意味ありげな役で冒頭から出ているんだもん。
なんかあるよねぇ・・・と思っちゃうでしょ。

そして、やたらと思わせぶりな姿を見せない依頼人。
でも、顔を見せたら、その辺にいそうな若い女性。
意外性なし。

鑑定士のファム・ファタールとしては、役不足じゃないのかなあ。
アルマーニのドレスを着せても、そんなに変わらなかったし(笑

暴漢に襲われたのは偶然だったの?それとも奴らの仕業?

オジサン、それはないから…と最初から最後まで、ツッコミつづけた映画だった。
男性は、ロマンに浸っちゃうのかな。
ファム・ファタールに出会って、堕ちていくなんて男性の夢なんのよね、きっと。

ベッドシーンは観たくなかったなあ…。

というわけで、女性より、男性におすすめの映画です。
私は、女なので☆☆☆ぐらいでした。

正月一番に観なくてよかった。





タグ:映画
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2013年12月22日

観賞日記 「永遠の0」

「永遠の0」初日観賞。
去年の今ごろは、レミゼラブルで大泣きだったけ。1年が早すぎる〜。

私はゼロ戦を見るだけでうるうるしちゃうので、映画の間中も、ほぼずっと涙目。
映画の出来とは関係ないです(笑
原作は、1回目はストーリーテラー百田尚樹氏にすっかり乗せられ、一気読みして、もちろん涙…。
2回目は冷静に読んで、日本軍のマネジメント力のなさを痛感。
昭和史をほとんど学校で教えられず、自ら学ばねばならない日本人にとって、いい教材の一つだと思った。
こういう本がベストセラーになって、多くの日本人が自らの弱点を知るのはよいことです。

さて、映画は、若者に焦点を合わせた、ちょっと甘めのストーリーになっていた。
☆3つ半ぐらい。

なにか物足りない。

なんなんだろう。
レミゼラブルの最後の最後まで流した納得の涙…とは違った。

開戦から、終戦までを2時間ほどで描ききるのは無理というもの。だから、そぎ落とさざるを得ない。
わかりやすい部分、すなわち感情に訴える部分を特に抽出したために、本当に知らなければいけないことをどこまで伝え切れたのかは疑問。

たとえば、日本軍の敗退経緯に関する基礎知識のある年配客は脳内補完しろという感じ。
宮部に「真珠湾で航空母艦を一隻も沈められなかった」とかろうじて言わせているけれど、それだけで済ませていいのか。原作では戦争の経緯がものすごく丁寧に書かれている。だから、宮部の「生きて帰りたい」という言葉が、もっと重いのだ。映画では、妻子を愛しているから、に凝縮されてしまっていた。とても自己中なオトコになっちゃう。最後も、自分の教え子たちが特攻に行かされて、その責任を感じて追い詰められていくという意味でしかなくなる。宮部が胸に抱いていたのは、国家に押しつぶされない気がいだったはず。

ゼロ戦の弱点をもっと突っ込んでほしかった。戦闘能力は世界一だったけれど、パイロットの安全性は最低だったこと。この飛行機がつくられた時点で、すでに「特攻」の兆しが見えていたのだ。人をモノ以下に扱ったから、あの戦争は負けたんだと思う。
飛行距離のことは、宮部に少し言わせていたけれど、それがどれだけパイロットの体力を奪い、意味のない苦労を強いたか。

この映画で一番よかった点は、特攻がほとんど成功していなかったこと、敵艦に到達できずに、ほとんどが撃ち落とされていたことを描いたことかな。

姉の恋人で敵役とも言える新聞記者は出てこず、健太郎の学友たちに、「特攻はテロと同じ」と言わせて論争するシーンが設定されていた。一般の若者と特攻の距離がよくわかる設定なんだけれど、もっと骨太な映画にするためには、新聞記者にしてほしかったなあ。当時も、特攻を美化する世論を作ったのはメディアだったのだから。

こうして映画にしてみると、ストーリーテラーゆえの弱点が浮かび上がったともいえるかも。
そもそも宮部の人物造形が、かなり劇画的。原作を読んでいるときは、戦争の事実と作られた宮部という実在しない人間がうまくリンクしているように思えたけれど、映画にしたら、宮部という虚構を中心に描くことになる。虚構に事実が引きずられるという逆転が起きるというわけだ。

映画化は難しいね。
少なくとも、もう一度観たいと思わせられる映画ではなかった。
原作は、宮部の部分はもういいけれど、戦争の経緯や経過についてはすごくわかりやすく書いてあるので、また読みたい。

とはいえ、キャスティングはなかなかよくて、宮部の岡田准一、景浦の田中泯は、これ以上のキャストは考えられないほど適役。
橋爪功、夏八木勲に泣かされた。さすがです。
特に遺作になった夏八木さんに☆5つ。「残された時間はあと10年、こうして伝えないとな」(だっけな?)というセリフが心に響きました。舞台設定は2004年。
結局、こういう本や映画が繰り返し作られることが重要なんだと思う。それをきっかけに疑問や関心をもったら、自分で調べていくしかない。
色丹島が舞台になる「ジョバンニの島」というアニメの予告編あり。終戦直後にロシアが攻めてきて、多くが捕虜になりシベリアの収容所に連れていかれた。もちろん北方領土は取られた。私は、浅田次郎著「終わらざる夏」を読んで、占守島のことを初めて知った。北方領土でなにがあったのかを。

メディアも、学校も、肝心のことはなにも伝えないし、教えない。
とにかく伝えていかないとね。

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タグ:映画
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2013年12月19日

観劇日記 「月雲の皇子」

今年5月に宝塚のバウホールで観た宝塚歌劇団月組の「月雲の皇子」。
もう一度観たいと思っていたら、好評だったため東上することに。が、チケットは即完売であきらめていたところ、開幕直後にわらわらと譲渡チケットがネットに出てきたので、ゲットして急きょ観られることに。
やはり年末のこの時期、急な用事、風邪などの体調不良といろいろあるよね。
おかげさまで、かなり良席で観ることができました。
そ、その替わりにシアターコクーンの「マクベス」は人に譲ることに。
まあ二兎追うものは一兎をも得ずということで、一兎にしておきました(笑

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銀河劇場は、モノレールか、りんかい線の天王洲アイル駅前だから、ちょっと遠い。
けれど、こじんまりした劇場で、オペラグラスが必要なかった。
隣と前の人たちは、使っていたけれど(笑

ほんと、観てよかったです。
今年観た中で、ロミジュリを除外して、燦然と輝く1位!!!
いや、今まで観たお芝居の中でもかなり上位。
脚本がとにかくよく練り上げられていて、構図が見えやすく、セリフがすごく深い。

古事記と日本書紀に記されている衣通姫伝説に題材を得た作品。
大和の礎がまだ定まらないころを舞台に、人だけが享受できる文化と、人だけが避けられないお互いに殺し合う性のぶつかり合いをとても細やかに描きこんでいる。

木梨軽皇子と穴穂皇子は兄弟。幼いころ、戦火の中で赤ん坊を拾い、守り抜こうと誓い合う。妹として育てられ美しく成長した衣通姫を、二人が女性として愛し始めたころ、彼らの父親の天皇が崩御する。どちらが後を継ぐのか。
気性が優しく、歌を愛する木梨は、異端の民“土蜘蛛”にさえ情けをかけてしまう。そんな木梨の良さをわかりつつも、まだまだ脆弱な国の基盤を強固にすることが平和のために必要と考える穴穂。ときには土蜘蛛を人とも思わず殺戮することをいとわない“強さ”を持っている。
渡来人の側近に悪魔のような誘惑をされた穴穂。政治的な思惑に翻弄され始める皇子たち。やがて、穴穂は木梨を陥れ、伊予の国へと流刑にする。そして、木梨の愛した衣通姫を妃に迎える。それを知った木梨の心は歌を忘れ、異端の民のリーダーとなり、大和に刃向う・・・。

渡来人により、文字がもたさられ、語彙が増えていく時代。
美しい、きれいという言葉が、まだ、共通語ではなかったころ。
1幕の終わりごろ、木梨が宮廷に迷いこみ、捕らわれてしまった土蜘蛛の若者に花が「美しい」ことを教える。若者は、美しいという言葉を知らず、花の美しさを「お母さんみたいだ」という。
が、その母は、彼ら子どもたちに食べさせるためにろくに食べるものも食べず死んでしまったという。
こんなシーンの一つひとつが、物語のすべにつながっていて、どのセリフも聞き逃せない。

私は年齢のせいか、2幕の天皇の妃である大中津姫が、なさぬ仲の衣通姫を不憫に思い、逃がすシーンに涙。
姫が去ったあと、乳母とともに兄弟に拾われてきた姫を育てた日々を「まるで夢のようであった」というシーンに涙、涙、でございましたたらーっ(汗)

そして1回目に観たときには、浅はかな私は、衣通姫の最後が物足りなかったなどと言っていたけれど、あの最後こそ、この物語の重要な部分でした。今、思い出しても涙たらーっ(汗)

大がかりなセットではないけれど、簡素な中にとても雰囲気のあるセンスのよい舞台が作られていて、幕あけとともに古事記の時代に迷いこんでいくことができる。
舞台の力って、すごいなあ。
その舞台をひっぱっていく役者の力も。

月組の若手が中心のこの公演のレベルの高さときたら!
木梨の珠城りょうと穴穂の鳳月杏の安定感たるや…。
歌、芝居、ルックスとすべて揃っていて、魅了してくれる。
衣通姫の咲妃みゆは、5月のときよりも一段と姫らしくなっていた。
セリフだけでなく、立ち居振る舞いまで、姫が背負っている宿命を感じさせるとは、役者やのう…。
静かに話すセリフの言い回しが見事。

脇を固める中では、博徳の輝月ゆうま、大長谷皇子の朝美絢、伊予の蜘蛛族の若者の千海華蘭、伊予の蜘蛛族の孤児パロの晴音アキなどがとっても目立った。
そして、まだ配役の中には名前を載せてもらえないけれど、木梨に国を治める難しさを痛感させ、自分は適任ではないのでは?と不安を抱かせるこの作品の重要なシーンを担う蜘蛛族の若者・佳城 葵。
月に向かって飛ぶ蜘蛛の銀色の糸が見えるようだった。地を這うように生きるものたちが抱く熱い思い。
その思いが、失意の木梨に乗り移る怒涛の2幕を暗示するシーンだ。

どの生徒も、的確に自分の役を演じていて、舞台に緊張感がみなぎっていた。

ゆうまは、専科の夏美ようと十分渡りあっていて、これで95期生とはすごい!
95期生は大豊作の年ですな(笑
10年ぐらいに一度、そういう年があるのかもね。

月組の若手は、「ロミオとジュリエット」の新人公演で本公演に匹敵するほどの充実度で驚かされたけれど、またしてもほぼ同じメンバーでここまでやるとは。
月組だけみていると、宝塚の未来は明るいような気さえしちゃうなあ。

国という形が出来上がっていく中で、一人一人の生きざまが埋もれていく。記録をすることで本当の記憶が消されていく。政治とはそういう一面を強くもつもので、国家はその政治によって動かされていく。こんな骨太な内容の公演にも、きちんと愛と夢をちりばめ、木梨と衣通姫の悲恋に泣ける。宝塚が100年続いてきた理由は、ここにある、ね。

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上田久美子さんの次回作「翼ある人々」を観ないとなあ…でも、またしても完売。。。なんとかなるか。

タグ:宝塚歌劇
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2013年12月13日

観劇日記 宙組「風と共に去りぬ」

ベルばらに次ぐ宝塚の定番演目「風と共に去りぬ」

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古典ものはちょっと苦手なので、イマイチ触手が動かなかったんだけれど、鳳稀かなめ主演なので、初生かなめを観てみるかと。
私は、柚希礼音とかなめの並びがかなり好きなのだった。
「太王四神記」のヨンホゲ、2010年の「ロミオとジュリエット」のティボルトとか。

がっしり系のちえさま、細身系のかなめ。
どっちも美しくて、大好き。
特にかなめは切ない歌を歌ったら、とってもつやっぽい。
ヅカ友いわく、彼女は完全に男役に徹しきれていない、らしい。
私は、実をいうと完全男役よりも、ちらっとそこから見える母性みたいなのが妙にそそられる。だから、かなめは許容範囲なのだ(笑

ヨンホゲの「同じ星の下に生まれたのに〜」と歌う「何故」のナンバーなんて好きだわ〜。
なので、彼女が男くさいバトラーをどんなふうにやるんだろう…と好奇心がむくむく。

結論からいえば、がんばってた〜!
ちょっと線が細いのが難点だけれど、かなりイメージ通りのバトラーだった。

それにしても、この脚本は脳内補完を強要される植爺ならではのものだなあ。
いきなりアトランタの駅から物語が始まるとは思いもよらなんだ(笑
レットとスカーレットの出会いの場はなく、すべてセリフで補完。
ほとんどの人が知っているストーリーだからこその芸当ですな。

2部なんて、いきなりアシュレイが戦争から帰ってきているし、レットと結婚しちゃうし、ついていくのが大変。お!そうくるか、みたいな妙な緊張感と驚きの連続で、こういう芝居もありか…と思わせられるのがヅカのヅカたるところ。それにしても幕前芝居が多いなあ。植爺ならではだけど。

最後のスカーレットの階段落ちから、メラニーの死、レットとの別れのあたりは、ヅカの真骨頂だ。
あー、まるめこまれちゃった〜といういつのもヅカ的歓びの後、フィナーレシーンへ。
もうここでヅカ的定番うっとりタイムになって、シャンシャンでシャンシャン!みたいな感じ。

まあ、これでよいのだ。

朝夏まなとのスカーレットは、最初、軽すぎる感じでちょっと戸惑ったけれど、後半になるにつれて、スカーレットに見えてきた。特にラストのレットにすがるシーンは、彼女の子どもっぽさがうまく表現されていた。
そうよね、今ごろ、よい子になるから、私を見捨てないで〜とか言われても、十分傷ついたレットにしたら、「もう疲れた〜、めんどうみきれん」という気持ちになるよね、という説得力が十分あった。
アシュレイは、虚像と実像がセリフの中にきちんと描かれているから、やりやすいのではないかしら。
その点、レットは、セリフ2割、表現力8割の力技が必要。
そのうえレットの登場シーンは意外にも少ない。そのシーンを毎回きちんと押さえて印象付けていかねばならない。
りかさん、たいしたものだと思いました。ほかの人のを観ていないから比較はできません。

また、ちえ&りかの並びを観たいなあ。5月のベルばらに期待!

最近、ヅカに興味をお持ちの男性2名を同行。
2階2列ほぼセンターからのラインダンスの眺めは、相当ドキドキするものらしい。
「見てはいけないものを観てしまった」感があるとのこと。
そーゆーもんなんだ…(笑

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ちえさま、今ごろナポさまになりきるために苦労しておられるんだろうなあ。。。
風邪などひかずに元気でお稽古に励めますように。


タグ:宝塚歌劇
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2013年12月08日

観賞日記 頭痛肩こり樋口一葉

この夏に上演されたこまつ座の「頭痛肩こり樋口一葉」がBSプレミアムで放送された。
2時間30分の大作。

以下、公演サイトより。

「二十二の短編と四十数冊に及ぶ日記と四千首をこえる和歌の詠草を残し、二十四歳六ヶ月で夭折した明治の天才女流作家・樋口一葉と、様々な境遇を背負った五人の女性が織りなす、切なくて、楽しい幽界(あのよ)と明界(このよ)にまたがる物語・・・。
栗山民也の新演出で今、甦る。
一葉十九歳から、死後二年までの盆の十六日に焦点をあて、井上ひさしがこまつ座旗揚げ公演で書き下ろした樋口一葉の評伝劇」

>切なくて、楽しい幽界(あのよ)と明界(このよ)にまたがる物語
とあるけれど、切なくて、悲しい・・・の方がぴったりくるかも。

最後の方で愛華みれが歌う歌がとってもよかった。録画だから、歌詞がメモにできた。脚本を買えば、いいのだけれどね(笑

わたしたちのこころは
あなのあいたいれもの
あなだらけのいれもの
いきていたころの記憶が、そのあなからこぼれていく
いきえていたころの思い出が、そのあなからこぼれていく
あなというあなから ぽろぽろこぼれていく
こぼれた記憶もちらばる
宇宙にこぼれてちらばる
こぼれた思い出もちらばる
すべての記憶がこぼれおちると わたしたちはいなくなる
すべての思い出がこぼれおちると わたしたちはいなくなる

たまたまかもしれないけれど、同じ井上ひさし作の「イーハトーボの劇列車」もまた、あの世とこの世をつなぐ話だった。
女性がまだ、生きるのが大変だった時代が舞台。お金に、世間に、男に翻弄される女たち。

若村麻由美扮する花蛍という幽霊の恨み探しが面白い。
自分が死ななければならなかった理由を忘れちゃった幽霊。だから成仏できない。
そこで一葉が調べてやると、苦界に身を置いていた花蛍を助けるために恋人の男が身受けしようと工面した金を落としてしまい、それを拾った婆さんがその金を取ってしまい、二人は破滅にということが判明する。
そこでその婆さんにとりついてやると出かけたところ、金が必要だった理由がだまされて金を取られて・・・で、また、そのだましたやつのところに行けば、また、そこにも悪いやつにだまされた理由があって・・・と結局辿っていったら、天皇夫婦に辿りついてしまう。
これじゃあ、世の中全体を恨まなくてはならないとあきらめようとする花蛍に、一葉が
「小説で世の中全体にとりついてやったような気がする」
「因縁の糸の網に戦いをしかけてやっているような気がする」
という。

録画した公演は、何度も気になるところを繰り返し観られるところがイイネ!

一葉も、母も、友人たち二人も、あの世に行ってお盆に幽霊になって戻ってくる。
一葉の妹の邦子だけが最後に残り、みんなが残した借金の取りたてから逃げるために引っ越しをしていく。その重荷を象徴するような大きな箪笥を背負って。
邦子、がんばれっ!と思わず、涙。
弱者であった女たちが命をかけて、築いてきたものの上に今の社会、女が元気な現代の社会があるのよねぇ。

公演のあとに、井上ひさしの初演のときのインタビューが15分間くっついていた。
脚本はぎりぎりになって仕上げたとのこと。
女たちへのエールなんだそうだ。

ちょっと意外。1991年ごろは、まだ、エールが必要だったのね。
今は、男たちにこそエールが必要かも(笑

小泉今日子 三田和代 熊谷真実
愛華みれ 深谷美歩 若村麻由美

たった6人のお芝居だけれど、緊張感のあるよい公演だったと思う。
みなさん、印象に残るお芝居でした。

さて、録画した公演、削除するべきか、保存にするべきか・・・ちょっと悩むなあ。



posted by 風土倶楽部 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする