さみしい・・・。
あといくつちえさまのヅカの新作を観られるのだろう。
はあ。
昨夜、3月20日にオープンしたてのTOHOシネマズ日本橋でナショナル・シアター・ライブ「フランケンシュタイン」を観賞。
英語は苦手なくせに、ときどきむやみやたらと英国の演劇を観たくなる。30年前にロンドンで暮らした1年間の名残り。あの1年間で演劇を観まくったもんね。
恥ずかしながら、フランケンシュタインは喰わず嫌いでよく知らなかったので、実は、怪物の名前がフランケンシュタインなんだと思っていた。映画を観るにあたって予習したら、科学者の名前だった。
怪物は最後まで名前を与えてもらえない。
科学が大きな進歩を見せ始めた19世紀初頭。社会はフランス革命がナポレオンにより(まさに一作夜に観ていたナポさまの時代!)本物の革命となり、ヨーロッパ全土に波及していき、同時に産業革命が進み、現在の社会への橋渡しの時期となる。
その時代の大きな転換期にわずか18歳で「フランケンシュタイン」を書きあげたのがメアリー・シェリー。
人間がこの先、自然を大きく変え、神の領域である命に触手を伸ばすということを予見したかのようなSF的小説。
フランケンシュタインという科学者の無責任さと旺盛な探究心、人間そのものだなあ。
生まれたときはピュアなのに、どんどん罪やウソを覚えていく怪物。
人間の原罪を見事に表現した小説。
その舞台は期待通りのもので、上演時間2時間、息をひそめて見守る舞台に覚醒されまくった。
盆回りをうまく活用した円形舞台上では、水あり、本物の火あり。
冒頭、怪物が胎内のような球形のセットから転がり出てくる。
生まれたてだから、うまく自分の体をコントロールできず、もがきまわる。
そのリアルさにわしづかみにされ、そのまま物語の中に引き込まれてしまう。
怪物は親切な盲目の老人から、文字や言葉を学び、本を読み、知識を得ていく。
が、その過程で愛されない存在である自分を発見し、心をゆがめていく。
罪は我々自身がつくっていく。その過程を怪物の成長とともに目の当たりにする。
そして科学者は、自らがつくった怪物のおぞましさに逃げ、放置してしまう。
怪物は、自分と同じ女をつくってくれと科学者に頼みにいく。
科学者は一度はつくることを約束するが、さすがに怪物が増殖していくことに耐えきれず、つくった女を葬り去ってしまう。怒った怪物は科学者の婚約者を目の前で犯し、殺してしまう。
科学者の自分が命をつくったという思い上がりが、結局、彼を愛していた女性を死なせてしまうことになっても、まだ、探究することをやめない。いつしかそれは怪物との二人三脚になり…。
原発に重ね合わせることもできるし、無差別殺人を生む社会に潜むワナとも思える。
シェリーの感性の鋭さに心底驚くとともに震撼とする。
結局、私たちは怪物をいくつつくったのだろう。
気がつけば、周りは怪物だらけで、すでにあまりにも多すぎて怪物を怪物だと思えなくなっているのではないのか。
観たのは、カンバーバッチがフランケンシュタイン役のバージョン。
怪物役のもちょっと観たいかな。彼の方がジョニー・リー・ミラー より身長が大きいから、もっと迫力があるかも。
ミラーの怪物は、とにかくリアルで、気持ちが透けてみえて、哀れなんだけれど、コワくて、知性にあふれているけれど、孤独で暴力的な怪物なる生きものが、実在するかのようだった。
英国の演劇は、相変わらずすごい!
こういうのを観ちゃうと、日本のストレートプレイはなまっちょろいよね。
マイナーな映画なんだと思い、チケットぴあで抽選だったけれど、ウソでしょ、全員に当たるんでしょ、ぐらい思って会場に行ったら、かなり広い劇場が満席。びっくりした〜。
カンバーバッチ人気?けっこう若い女性が多かった。
このシリーズは、これからも続々と公開されるので、また、ぜひ、観たい。
日本橋は、桜がライトアップされ、ピンクに染まっていた。
