2015年04月26日

宝塚星組 「黒豹のごとく/Dear DIAMOND!!」

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2週続けて前すぎて、舞台がカメラに収まらないお席・・・

なんて幸せなことだ。
ちえさまの飛び散る汗も、お口からの細かいダイアモンドのようなシャワーも、みんな目の前…

♡ ♡ ♡    

目線をこの目で追えるなんて、はあ、幸せ〜。

黒豹の進化は、紅子の進化とイコール状態だったのが、昨日はぴたっとあった!
今まで観劇した中で、一番よい出来だった、と思うVISA貸切公演でした。

紅子が、柴田先生に「もっとやれ〜」と言われてから、早2ヶ月半以上。
もうちょっと早くにここまで辿りついてよ〜。

アラルコン侯爵の欲望過多のごり押しが、ようやくはっきり見えてきた。
ねねカテリーナに迫るところも、おお〜!手に入れたいものはなんとしても手に入れる、と思いあがったオトコのいやらしさが出始めたではないか!

さゆみちゃんも、女の子だから、そりゃあすぐにここまでは辿りつけないよね。
毎回、さゆみ、今日こそ、行け〜!みたいな感じで、その進化度を楽しませていただいた。
進化していく生徒を見守る。これが宝塚的観劇の楽しさってやつなんだろうか。
母性本能欠如の私が、この年にして、ようやく味わうその感覚。

さゆみの進化度が深まったほかげで、先を行っていたちえさまのアントニオの苦悩が、とても浮かび上がってきた。
得体のしれない際限のない欲望に取りつかれた男であるアラルコン。それは時代に符号している欲望でもあり、だからこそ、時代に流されまいとするアントニオに漠然とした、でも、深刻な不安をもたらす。そのうえ、愛するカテリーナもが、その欲望の対象になってしまっている。

とはいえ、カディスの祭に呼び出す必然は、相変わらず?なままんだけど・・・
でも、祭のシーンは、どれもとっても好き。
生徒たちが、イキイキとした表情で踊る祭の熱気と、その中で翻弄される主役陣たち。

ところで、ポスターにある「きっと君を見つけ出す」は、この祭の中でのことなのね。
最初は、500年前のソルと姫の恋が成就せず、絶対見つけ出す、ということなのかと思ったけれど、オープニングで、すでにソルと姫は相思相愛っぽかった。いつの世も、愛するものをきっと見つけ出して、守る、そんな感じでとらえればいいのかな。

とにかくアントニオもソルも、ため息が出るほど、いえ、呼吸するのを忘れるほどにステキでございます。
ねねカテリーナとの息もぴったりで、二人のシーンは宝塚史に残るラブシーンだと思う。

ショーは、もうなにも言うことがない。

ドアボーイのちえさまと、銀橋から去るさゆみが入れ替わるとき、さゆみの投げキッスを口で受け止めたちえさまが、ぺっと吐き捨てる振りが思い切り笑えた。

DIAMOND Dinner Bのときに女装したしーらんは、ちえさまの耳元でないをささやいているのだろう。
みんな、やっぱりオンナだなあ。全員とっても美しい。

Dolce Vitaでは、さゆみが「ビザビザ」、ちえさまと真風が「すみとも」「みつい」と叫んでいて、笑えた。

初日のころは、なんとなく舞台も客席も涙目っぽかったのに、この2回は、とにかく楽しい気分にさせてもらえている。千秋楽まで、楽しんで駆け抜けていこうという気分があふれていて、本当に素晴らしい舞台になっている。最後まで、最高のものを全員で提供していこうというちえさまの心意気がひしひしと伝わってくる。
どこかでFor goodの瞬間を忘れていたいという気持ちが、お互いにあるのかも。

黒燕尾からデュエットダンスのシーンは、ますますこの世のものとは思えない美しさに昇華。
最後の日、最後の瞬間、どうなっちゃうんだろう。
舞台も、舞台裏も、客席も、そして、全国の映画館のスクリーンの前も。


posted by 風土倶楽部 at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月15日

藤本ひとみ著「ハプスブルクの宝剣」

今年は、5月10日まで観劇は「黒豹/Dear DIAMOND」一色。
当然です・・・
今月は、あと2回。来月は4回。
タカラヅカ・スカイステージは、目下、ちえさま祭状態で、3月上旬に新しく購入した録画機がすでに満杯になりつつある。
放送されると、どうしても同じものを録画してしまう・・・貧乏性だ。

実は、2010年の公演「ハプスブルクの宝剣」が2011年ごろにNHKのBSプレミアムで放映されたときに、初めてちえさまに遭遇した。ほかにも、霧矢大夢、真飛聖の公演が放送されたんだけど、残したのはちえさまのこの公演だけだった。

あまりの迫真の演技に目が釘付けになった。
そして、主人公はユダヤ人。

宝塚は、ユダヤ人問題にも興味があるのか…とびっくりしたことを覚えている。

数多くみていくと、興味があるわけじゃないんだな、これが。
題材にするだけで、内容は結局、「愛」だから。
希望があれば、どんな逆境だって生きていける。
そして、たった一つの真実の愛さえあれば!

なのよ…

でも、このときのエリアーフ・ロートシルトがめちゃくちゃ気になった。
なのに、なぜ、ちえさまにこのとき、はまらなかったのか。

一生の不覚だ・・・

さて、気になっていた原作を読んでみた。
読み終わって、びっくり!
原作は、ユダヤ人として迫害を受け、云われのない罪を着せられ、片目をえぐられて失くしちゃうし(そのときにフランツと出会い、救ってもらう)、
マリア・テレジアと不倫しちゃうし(がっつり不倫。でも、ハプスブルク家はキリスト教を守る立場で、エリヤーフがユダヤ人だからと愛憎がすごい。そして、アーデルハイトと瓜二つなんかじゃない)、
フランツは太っちゃうし(笑)・・・

一番の仰天は、エリアーフはユダヤ人じゃなかった!ということ。
もうとにかく脚色ってこうやるんだ!の見本、お手本みたいな植田景子バージョンだった!
宝塚版は最後に橋の上でアーデルハイトに再会するけれど、原作はフランツの神聖ローマ皇帝戴冠式で偶然再会し、彼女が贖罪のために仕えていた殺された婚約者のお母さんであるヘッセン・カッセル方伯未亡人カロリーネに仇として銃で撃たれて瀕死の状態で終る。おまけにカロリーネが不倫して生まれた子がエリアーフで、生まれてすぐにユダヤ人にもらわれ、そのユダヤ人が火事に巻き込まれ、ロートシルトの家に引き取られたという衝撃の真実がそこで明かされる!が、母親はその事実を知らない。

植田バージョンは、まさしくエッセンスだけを集めて、宝塚的にお料理して、食べやすく、美味しくして、お客様にお出ししたというわけ。ユダヤ人問題を、です。宝塚ってすごい…藤本ひとみがよく文句言わなかったなあというぐらい短縮バージョンだ。

ちえさまがオープニングの3分間、なにもない舞台の上で一人で「希望はここに〜魂のキャンドルを!」の歌を歌うのが大変だったと言っている。まさにあの歌に原作のすべてが凝縮されていて、それをきちんと表現して、伝えているちえさまにまたまた感服した。
ヨーロッパにおけるユダヤ人の位置づけも、原作でよくわかった。シオンをめざした意味も。それがナチスの迫害につながり、パレスチナを生んだことも。
そして、マリー・アントワネットが、とてつもない大きなものを背負わせられて、フランスに腰入れさせられたことも。マリア・テレジアは、人選をミスったね(笑 でも、それは歴史的必然だったのだろうなあ。

もう一つの発見は、黒豹でアントニオがナチスやイタリアの海軍に身売りの話がテーマになっているけれど、どうやらヨーロッパでは、ナポさまでもあるように現在のような国分けがきちんとできていなかったから、国をまたいで軍属になる人もけっこういたみたい。そもそもハプスブルク=オーストリアだけど、今は小国になっている。オーストリアという国は存在せず、ハプスグルク支配圏という感じだったみたいだ。

深い!深すぎるハプスブルクの宝剣だ。

それらがすべてあの短縮バージョンでわかるかといえば、かなり無理がある。
エリア―フの素生を知りながら、側近として登用し、保護したオイゲン公も、一樹さんが歌う歌詞にその状況があるだけ。
フランツとの深い関係も、川で倒れていたのを救ったことで出会ったことになっている。
マリーとの関係は、もっと単純に描かれているけれど、原作の愛憎はすさまじい。
が、すみれコードだとあれが限度なのだろう。
どうやら、この作品でちえさまにはまることができなかったのは、この作品のストーリーの複雑さゆえに、あえて簡素なストーリーにされたことにあったような気がする。
原作も、ちょっとマンガ的な運びなのだが、歴史的背景がちゃんと描かれているから、そのあたりは目くらまし状態になる。そもそも架空のユダヤ人エリアーフが、当時の強大なハプスブルク家やプロイセンのリーダーたちと互角、いや、それ以上に渡り合うなんてありえない。
その歴史的背景を取ってしまい、マンガ的な部分を浮かび上がらせたのが宝塚バージョン。
マリア・テレジアとアーデルハイトを瓜二つという設定にしたため、アーデルハイトとの愛はわかりやすくなったけれど、エリアーフががんばる意味が薄くならざるを得ない。要するにいつもの宝塚的恋愛ストーリーになったわけ。

植田景子さんが、自分の本で、この作品をちえさまが演じるにあたって、エリアーフの隻眼をどう設定すればいいかを悩んでいたときに(舞台上で隻眼だと危険)、ちえさまが「それを表現すればいいんですよね」と即答したと驚いたと書いている。さすがトップ!と。

まさに今、原作を読んで公演を観直してみたら、エリアーフの悲しみ、悔しさ、孤独、焦燥・・・すべて丹念に細やかに表現されているではないですか!
ラストのアーデルハイトと出会ったときの言葉にならないリアルな驚きまで、一分の隙もない演技だった。
原作を読んでから、見ることをお勧めします。ちえさまは、ちゃんと景子さんが描ききれなかったものまで、その演技の中に組み込んでおられます。
柚希礼音という人にますます惚れてしまうこと間違いなし!

かなめちゃんフランツも、なかなかよい雰囲気を出している。
原作を読みながら、二人の登場人物がそのままかぶって頭の中で動いておりました。
こういう楽しみ方もいいかも。

常に完璧をめざすちえさま。
その人物造形をどのように組み立てていくのか。お稽古場で見ていたいなあ。
そんなSS席があったらいいのになあ。おとなしーく見ているから(笑


タグ:宝塚歌劇
posted by 風土倶楽部 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする