2015年07月23日

映画「サンセット大通り」と映画「浪速の恋の物語」

ミュージカルの「サンセット大通り」を観て、どうしても気になったので本家本元の映画「サンセット大通り」を観賞した。

そうか、ミュージカルは、ほぼ映画を踏襲しているのだ。
登場人物たちの心情や状況がポイントで音楽化されているだけで、ストーリーはもちろん細部に至るまで同じ。
以前、観賞したと思っていたけれど、「イヴの総て」と「アプローズ」の組合せと混乱していたみたい。
「アプローズ」は越路吹雪の生を見ているもんね、と自慢(笑 

ウィリアム・ホールデンが若い!
ノーマは、本当にお金持ちなのかな…とちょっと疑っていたんだけれど、映画では「油田」も持っていると言っていた。舞台でも言っていたのかしら。記憶になし。

そりゃあ、お金持ちだわ〜。

でも、こんな女に深入りしたら、危ういのは明白。
ジョーは袋小路にはまっちゃったのね。
まさにあの車がパンクして、横道にそれて屋敷の駐車場に入ってしまったがごとくに。

ノーマに出会った日にサロメの脚本を読まされるのだけれど、このときにノーマがサロメのストーリーにうっとりしているのが伏線になっているというわけね。

よく練られた脚本、演出で、映画史上、傑作中の傑作ということに納得でございます。

とうこさん(安蘭けい)が、ノーマ役のグロリア・スワンソンそっくり(笑

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映画を先に見ていたら、舞台のノーマはイメージ通りだったはず。

登場人物たちは、華やかなハリウッドにいるのに、全員、闇を背負っていて、まさに光と影。
風前の灯だったジョーが、ノーマの闇に飲みこまれていく様子がなんとも哀れ。
ノーマの闇は、すなわちマックスの闇であり、ノーマを過去の栄光に閉じ込めてしか愛せなかったマックスの悲劇。そして、そのマックスを手放さなかったノーマ。闇はめぐる・・・

実は、舞台を見ているときに、大原麗子のことが頭をよぎっていた。
女優には、演じることよりも、自分が真ん中でいることの方が重要な人もいるのだ。

ちえさま(柚希礼音)が、今、発売しているan anのインタビューで、女優ではなくアーティストと呼んで欲しいと言っている。
その理由は、「なんか「女優〜!」って感じがするから。自分には合わない」

ちえさま、ステキ。ステキすぎる〜!
女も、男も越えて、人間としてなにかを表現する人でいてほしい。

いよいよNYで修業を開始したちえさま。instagramなるものを始めたから、私も、もちろん登録。
でも、ブログも、facebookも、facebookページも、ツイッターもやっているから、当面は、ちえさまのNY生活を拝見するだけ。

と、結局、また、ちえさまのことに落ち着いてしまった…(笑

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NHKのBSプレミアムで放送された「浪速の恋の物語」を見た。
近松門左衛門の『冥途の飛脚』がベースになった内由吐夢監督の1959年製作の映画。
忠兵衛が萬屋錦之介、梅川が有馬稲子。
片岡千恵蔵が近松門左衛門として、二人の行く末の傍観者の役。

えりたん(壮一帆)とあゆっちの「恋の大和路」ですがな。

「わてらにとっては金が仇の世の中…」

そりゃあ、そうだけど、やっぱり忠兵衛はあかんと思うよ・・・
演出なんだろうけれど、忠兵衛のいじいじした演じ方に相当いらついた。
ただ、近松の脚本は、二人の心中で終わるけれど、現実は忠兵衛は獄門、梅川は2度のお勤めという厳しさが胸を打った。

有馬稲子もヅカのOG。
八千草薫といい、新珠三千代といい、あのころのヅカは美女の宝庫だった。

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2015年07月22日

カトリーヌ・アルレー著「わらの女」

「目には目を」が面白かったので、彼女の一番の傑作といわれている「わらの女」を読んでみた。
きついサスペンスものだなあ!

悪女小説というよりも、愚かな女小説だ。
でも、なぜか身につまされてしまう。

以下、ネタばれあり。

ハンブルクの大爆撃で親族を全員失い、閉そく感に満ちた暮らしをしている30代の女性ヒルデガルデ。
富豪が伴侶を探しているという新聞広告に魅入られてしまい、周到に練られたワナにはまっていく・・・

意外な展開だったのが、富豪とは割にあっさり結婚できてしまうところ。
あまり説得力がなかった。唯一愛した妻に早くに先立たれ、富豪だけれど、孤独な老人カール・リッチモンド。
人は金でいくらでも魂を売る。そんな場面をわざと創りだし、ボーイたちを貶めて楽しんだりしている、まあ、お金を持っているジジイにありがちな性格。
そこに看護婦になりすましてやってきたヒルデガルデ。彼女は、わざとお金では動かない女になってみせる。
まんまとその演技に妻の面影を見たのかどうかわからないが、カールは結婚を申し込む。

このあたりの成り行きがイマイチぴんと来ない。
看護婦の割には、やることがほとんどない。
事件が起きてから、警察はこの看護婦として乗り込んできた経緯を調べれば共犯がいるとわかるはずなんだけど。
そして、ネタばれだが、解説にあるように、殺人者は遺産相続はできないという法律上の問題が、完全にスル―されている結末。

かなり破たんしたお話なんだけれど、面白くて一気できてしまった。
私は、こちらよりも「目には目を」の方が傑作だと思う。

誰だって、贅沢はしたい。
でも、こんな怪しい話には乗らない。
と思うけれど、ネットにも、雑誌にも、怪しい話は数知れず。一連の「おれおれ詐欺」だって、その一つ。でも、人ははまる。
ヒルデガルデの欲望も、絶望も、わかるだけに、そこまでやろうと思ったのなら、もう少し強く生きてもよかったのになあ、と、とても残念な結末だった。

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2015年07月18日

新橋演舞場「阿弖流為 アテルイ」

今日は、朝から頭痛がして、3時間におよぶ観劇には最悪の体調だったこと、席が3階B席で見切り席だったこと、から、集中力にかけてしまった。

でも、そこそこ面白かった。

が、歌舞伎というよりも、新感線の色が濃厚で、ストーリーもいつもの通りだった。
なので、1部は、ちょっと退屈だった。あ〜、いつものやつね…と。
2部は、いつものように怒涛の展開で、最後のカタルシスもちゃんとありました(笑

阿弖流為といえば、15年ほど前に岩手県に地域づくりの仕事で通い始めたころ、「アテルイを知っているか?」と地元のうるさ方に聞かれ、当然、「知らない」と言ったら、ものすごくバカにされた。
そこであわてて高橋克彦の「火怨」を読んだ。
関西人の私にとって、それまで東北という地は遠い北の国だったのだけれど、この本で阿弖流為を知ったことで日本の歴史の中での東北の政治的、心情的な位置づけを少し垣間見た思いがした。
その阿弖流為を歌舞伎で観る日が来るとは思わなかった。

新感線のストーリーは、必ずやたらとかっこいい謎の女が登場し、威勢がよかったり、屈折した思いを抱えていたりする男たちがからんでいく。舞台は日本で、主人公たちは体制に不満を持っていたり、改革しようとしていたりする。だから、12年前に彼らが阿弖流為を題材に選んだのは、必然性がある。まさに阿弖流為は、日本の国家が形成される中で、最後まで抵抗したクライマックスの部分なのだから。その割には、教科書には出てこない。そこがまた、まさに「歴史」なんだけどね。「蝦夷」で片づけられていた先住民と大和朝廷の争いは、今も、世界各地で行われている紛争となんら変わりはない。普遍的なテーマなのだ。

内容は、染五郎の阿弖流為が、勘九郎の坂上田村麻呂と友情を紡ぎながらも、支配者側の論理に敗北していく話。七之助の立烏帽子が、あらはばきという地元の神の化身。

なんか懐かしいなあ・・・鶴見和子さんの「殺されたもののゆくえ」にとても感銘を受けたっけ。
土着の神に代表される文化が、人間の文明の発展(発展じゃないかも)のために消される運命にある。
七之助の美しく凛々しい神の姿が忘れられなくなりそう。「蒼の乱」の天海祐希の蒼馬の凛々しさと共通する。
いのうえさんは、かっこいい女を舞台に出現させるのが好きで、やっているのかとさえ、思える。

オープニングに、ほんの短い踊りのようなものがあり、舞台の背面に「阿弖流為」という文字が浮かび上がるのをみて、思わず、「ベルばら」のオープニングみたい・・・と思ってしまった。
そして、終演間近に一度幕が下りてから、ねぷた祭りのようなシーンが少しあって、まるで宝塚のフィナーレみたいだった。劇場に入るときに、リストバンドを渡され、2幕終わりに使うからと。どんなふうに使うのかと思ったら、フィナーレで青いライトが点灯し、お祭りシーンを一緒に盛り上げるというものだった。

まるで宝塚の退団公演千秋楽やん・・・

歌舞伎と宝塚の関係が、一番面白いかも(笑
宝塚の豪華絢爛さに対抗できるのは歌舞伎だけだしね。

とはいえ、やはり歌舞伎の立ちまわりの見事さには、ほれぼれした。
蛮甲役の片岡 亀蔵さんが、とてもいい味を出していた。

喰わず嫌いの歌舞伎をちょっと好きになれそうな気がした。

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先週、急に思い立って、歌舞伎気分を盛り上げようと東劇でシネマ歌舞伎「三人吉三」を観賞。
勘九郎、七之助兄弟に加えて、松也の3人による三人吉三。
話の人間関係が複雑で、かなりてこずったけれど、内容は素晴らしかった。
串田和美の演出によるとことが大きいかも。映像も、かなり凝ったものになっていて、舞台をただ記録したものだけでなく、一つの映画として見ごたえがあった。ラストシーンは、特に圧巻。





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2015年07月15日

「蜘蛛女のキス」と「毛皮のヴィーナス」

ちえさまの舞台は10月までないので、その間にハロルド・プリンスの関わった作品の予習と復習に勤しむことにした。

まずは「蜘蛛女のキス」
公開されたころ、見たのにほとんど記憶になし。
ウィリアム・ハートの女装は印象に残っていたんだけど。

残念ながら、映画は原作を映像化したものでミュージカルではない。
ミュージカルの映像は、YOUTUBEに少しアップされている程度。
日本でも、何度か上演されていたのに…観ていればよかった。

内容は大きく違わないだろうから、とりあえず映画で予習のような復習のような観賞をしてみた。

すごくいい映画だ・・・
舞台は南米のどこかの国。独裁的な政治が行われていて、反政府の活動家はどんどん捕えられ、拷問にかけられている。
ゲイのモリーナは、未成年者に性犯罪を犯し、捕えられて、活動家のヴァレンティンと同じ二人だけの独房に入れられた。
夢想家のモリーナは、好きな映画のストーリーをヴァレンティンに聞かせたりして、どんどん接近していく。
というのも、彼は仮釈放をエサにヴァレンティンからゲリラのアジトなどの情報を聞き出すように刑務所長から言われている。
蜘蛛女というのは、モリーナのイメージする話の中に出てくる、孤島で自ら蜘蛛の糸で縛られ、その場所から逃れられなくなった女の元に男が打ち上げられてきて…というもの。

モリーナの語るストーリーが映画の伏線にもなっている。そのストーリーが映画として映画の中に挿入されてくる。その中のヒロインと蜘蛛女、ヴァレンティンの愛する女性の3人を同じ女優が演じているという次第。
結局、モリーナは、うまくヴァレンティンから情報を聞き出す。が、ヴァレンティンを愛してしまったモリーナは出所してから、彼の希望通りゲリラと連絡を取る。それは、刑務所長たちのワナでもあり、後をつけられ、逆に囮だとわかってしまったゲリラに殺されてしまう。一方ヴァレンティンは、拷問にかけられ瀕死の床で愛する女性=蜘蛛女と島で戯れる夢を見ながら、息絶えていく…

モリーナ役のウィリアム・ハートの演技が素晴らしい。アカデミー主演男優賞やカンヌの賞を受賞したのは、大きくうなづける。
ゲイという中途半端な立場の若者の生きるむなしさと愛に殉じる生き方をとても切なく演じている。
ラウル・ジュリアのヴァレンティンも、とても魅力的な人物像になっている。モーリスは最後に命をかける価値のある人に出会えたことに満足していたことをうかがわせてくれる。
そして、3役をしているブラジルの女優ソニア・ブラガ。なんという気品、色気、妖しさ。
自分の理想とするもの、すなわち蜘蛛女に絡め取られて身動きができなくなる男たち。
ヴァレンティンにとっては、革命と愛する女との暮らしの成就。モリーナにとっては、ゲイの自分を認めてくれる人に会えること。

これをミュージカルにした人もすごいけれど、演出したハロルド・プリンスもすごいと思う。シーンは、ほとんどが刑務所の中。それも男二人が愛情を深める話。その接点となるのが蜘蛛女。

ミュージカルを観たい〜。


「毛皮のヴィーナス」

これもまたまたすごい映画だ〜。
監督はロマン・ポランスキー
舞台演出は初めての脚本家の男トマと、オーディションに遅れてやってきたちょっとあばずれ風の無名の女優ワンダの2人だけの登場人物。
ワンダは、もうオーディションは終わったというのに強引に舞台にあがり、芝居を初めてしまう。
最初は、うんざりしていたトマだが、ワンダの演技にだんだん魅了され、芝居を続けることになる。
自分が書いた脚本なのに、新たな解釈が施されたり、新しいセリフが加えられたり、最後にはシーンも付けくわえられる。
芝居とは、こういうものなのか…と目が離せなくなった。

トマが書いた芝居にトマ本人はどれくらい存在しているのか。
彼が本当に伝えたいことは、彼自身もわかっていない。セリフをワンダが言うことで、初めてトマ自身が気づかされることも。そこから新たな自分がどんどん出てきて、マゾヒズムを情熱の一つとして捉えようとしていたトマの中に、異様な陶酔とともにマゾヒズムに溺れていく自分が生まれていく。

フランス映画だなあ〜。理屈と感情が網目のようにめぐらされ、見る側もからめとられていく。
芝居小屋に行くときのワクワクする感じを覚える冒頭部分。そして、その小屋を後にするラストシーン。

トマ役のマチュー・アマルリック、ワンダ役のエマニュエル・セニエ
まさに舞台がそのまま映像になっている(と思われる長回しなのだ)。
目の動き、表情、手の動き、どれも計算されつくした芝居の応酬が続く。
役者にとっては、こういう舞台はやりがいがあるのだろうなあ。
どうやってセリフを覚え、なりきっていくのか。
すごいものを見せていただきました。





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2015年07月14日

あさのあつことカトリーヌ・アルレー

あさのあつこ著「弥勒の月」「夜叉桜」
タイトルの付け方がうまい。
つい手にとってしまう。
先に「夜叉桜」を読んだ。

思わせぶりな展開だな〜。

「弥勒の月」での殺人事件が、どうやら尾を引いているらしい。
シリーズだから、当たり前か(笑
なんだかもやっとしつつも、文章がうまいし、ストーリーテラーでぐんぐん一気させてもらった。
が、最後の謎は、???と3つくらい残ったまま。
このまま、また、次につながるわけ?

ひょっとしたら、「弥勒の月」を読んだら、謎が半分ぐらいに減るのかな?と思い、「弥勒の月」を手にしてみた。

うーん、やはりラストに???が残る。
思わせぶりすぎない?
でも、まあ、ひっかかっていた謎は、すぐに忘れちゃったし、どうでもいい謎だったみたい。
信次郎の言動が、あまりにも人の心を逆なでするようなものばかりで、正直気分が滅入った。
ということで、このシリーズはこれで打ち切りです(笑

実家の本棚を整理していたら、ひょっこり出てきたカトリーヌ・アルレー著「目には目を」
表紙の70年代の雰囲気にひかれて、ページをめくってみたら・・・
ほかのことをしたくなくなるぐらい面白くて、一気させてもらった。

登場人物は4人だけ。
それぞれの独白でつながれて、物語が進んでいく。
独白だから、それぞれの置かれている状況と心情が赤裸々に吐露される。

資金繰りに行き詰った皮なめし工場のオーナー。
その若く美しい妻。
石油の埋蔵地の権利を偶然手にし、富豪になりかけている冴えない独身中年男。
その姉で医者の独身中年女。

登場人物をみただけで、なにかが起こりそうな危うい構成(笑

翻訳が素晴らしくて、すいすい読めてしまう。
アルレーは、悪女書きと評されているようだけれど、鼻の下の長いオトコ書きとも呼びたい。

60年代初めに初版が出ているのだけれど、まったく色あせていない小説だった。
「わらの女」を読んでみよ。

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2015年07月07日

宝塚歌劇星組公演「キャッチミー・イフ・ユー・キャン」「大海賊/アムール、それは」

梅田芸術劇場ドラマシティで「キャッチミー・イフ・ユー・キャン」、
梅田芸術劇場メインホールで「大海賊/アムール、それは…」の千秋楽
をWで観劇。

まずは「キャッチミー・イフ・ユー・キャン」

紅子(紅ゆずる)、やるやん!
天才詐欺師の半生をスピーディな展開で見せてくれる。さすが小柳菜穂子さん演出!
といっても外部のバージョンを見ていないので、違いがわからない〜。
映画も見てないから、違いがわからない〜。
紅子バージョンだけでいえば、それなりに面白かった。
紅子は、10代の男の子の揺れる心情をうまく表現していた。音程が、10代の男の子ということで、いつもより高くなっているためか、声がすごくよく出ていた。紅子、こんなにお歌がうまかったのね。

家族が崩壊していくことで、傷つき、父を助けたいがために詐欺師の道を歩む。
それだけではなく、フランクの中に詐欺をゲームとして楽しんでしまう部分も、垣間見れた。
捕まりたくないけれど、どこかで捕まえられたい。自分の本当の人生を歩みたいというフランクの思いが交差するブレンダの実家でのシーンは切なかった。

かいちゃん(七海ひろき)のカールは、フランクより年齢がかなり上の設定なんだけれど、あまり上に見えず…。ともみん(夢乃聖夏)が、ルパン3世で銭形をやったときには、それなりの年齢に見えていたから(先入観もあったかもしれないけれど)、もうちょっと工夫できたら、フランクの幼さが鮮明に出たかも。
低い声が割合楽に出る人のようで、歌は紅子の音程との対比が出て、わかりやすかった。願わくば、歌唱力の安定をめざしてね。
部下の中では、せおっち(瀬央ゆりや)が笑いをうまく誘っていた。

あーちゃん(綺咲 愛里 )のブレンダは、かわいくて、きらきらしていたし、夢妃杏瑠のママも、安定の演技と歌でよかったし、娘役たちのナースのシーンなどが、ちゃんと一つの見せ場になっていた。
星組の娘役たちの充実度高し!

紅子は、こんなにぴったりな役を与えてもらって、劇団にちゃんと考えてもらっているのね。
ちえさま(柚希礼音)がいないのは、やっぱり寂しいけれど、星組らしい華やかで楽しい公演だった。

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「大海賊/アムール、それは…」

リカさん(紫吹じゅん)主演の作品をスカステで見たときに「なんじゃ、これ?」だったのでなんの期待もしていなかったけれど、期待以上に空虚な作品だった。なぜ、これが今、また再演?
お話しそのものがどーでもいい内容で、ついウトウトしてしまった。
ふうちゃん(妃南 風)のエレーヌは、完璧な宝塚の昭和の娘役。
よくぞここまでつくった!
リカさんバージョンでも、ラストの重傷を負ったエレーヌが海を見たいと言って、銀橋をリカさんが手をとって連れていくシーンに、「重傷を負っているのに歩いているじゃん!」と突っ込みを入れまくったんだけれど、今回も、なんと、なんと、エミリオみっちゃん(北翔海莉)は、「大丈夫か?」を連発しながら、小船まで歩いて連れていくではないの・・・
目の前でエドガー(まさこ(十輝いりす)にぐさっと刺され、青息吐息なのは知っているはず(笑
なのに「大丈夫か?」はないでしょ。。。

と不満だらけの中で目を引いたのが、ことちゃん!(礼真琴)
海賊姿がかっこいい〜。

実は、オープニングに海の波のざざ〜という音がしただけで、心は黒豹冒頭に飛んでいる私。
海賊といえば、黒豹ちえさまの神々しいまでにステキだったお姿が、まだ瞼の裏にくっきりと浮かび上がる。
あの海賊を期待しちゃいけないのはよっくわかっているんだけれど・・・でもね・・・
そんな心の隙間を埋めてくれたのが、ことちゃんだった。
海賊の衣装を着こなし、軽やかな身のこなし。そこにはかすかにちえさまの面影が・・・
ああ、ことちゃん、あなたがいてくれたから、星組を観ているのだとようやく実感。

娘役では、はるこちゃん(音波 みのり)、白妙 なつ、うまいなあ。
いつの間にか星組の娘役たちは、本当に層が厚くなっていたことにあらためて気づき、涙…。

そして、ショー「アムール、それは」
冒頭の衣装の色合いからして、昭和度満開。
みっちゃん、初めてじっくり生のお歌を聴いた。すごくうまい。本当にうまい。
でも、なんだか歌謡ショーみたい。

もうこれ以上は書かない。
星組じゃないんだもん。
ことちゃんいるけど、まさこさんいるけど、みっきーもしーらんもいるけど・・・

なんか違う。

ぜんぜんドキドキも、ワクワクもしない。

私は、やっぱり卒業しちゃったんだなと実感。
私が愛した舞台は、ちえさまの歌と踊りと演技、そして、組子たちとつくりあげるすべてが融合した舞台芸術そのものだったから。それは宝塚であって、宝塚じゃないものだったような気がする。宝塚の中にふわっと浮かんだ新しい世界だったのかも。それは、ちえさまという稀有なパフォーマーを使って自分たちの表現をしたい演出家、振付家、脚本家、スタッフたちが総出でつくった舞台芸術だった。このメインホールの星組公演を見て、強くそう思った。

でも、ちえさまが「ふぉー・えばー・たからづか〜」とおっしゃっていたので、これからもなるべく観るけどね。
とりあえず、「ガイズ&ドールズ」は、ことちゃん、紅子、せおっちたちの舞台をちゃんと見る予定。

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緞帳が新しくなっていた。
3月には、ちえさまがディナーショーの後で、ここに来てくれて、For goodを歌ってくれたなあ…
あと3か月で、新しいちえさまに会える・・・ワクワク、ドキドキ
考えるだけで、ワクワクドキドキさせてくれるちえさまなのだ黄ハート

タグ:宝塚歌劇
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2015年07月04日

サンセット大通り

赤坂ACTシアターにて、「サンセット大通り」の初日を観劇した。
ねねちゃんの退団後初の出演。
ノーマ 安蘭けい(とうこさん)&ジョー 平方元基のバージョン。

映画史上、傑作中の傑作と名高い映画のミュージカル版。音楽はアンドリュー・ロイド・ウェバー。

名をはせた女優の多くが、やってみたいというノーマ。
一世を風靡したけれど、今は忘れられた存在。
でも、まだ、色香は残っている。
年齢の設定は50歳。
ものすごく難しい役だと思う。

とうこさんは、とってもリアルに演じている・・・
不気味だったり、かわいかったり、コミカルだったり。
が、今回、主役をさらったのは平方くん!
目が離せなかった。

2年前にきりやん(霧矢大夢)の宝塚退団後初の主演作品「マイフェア・レディ」のときにフレディで「君住む街角」を歌い上げていた平方くん。
あのときは、線が細い感じで、歌がうまいなあぐらいしか印象に残らなかった。

なのに、今回のジョー役は、ほぼ出ずっぱり。
とうこさんと、ねねちゃんベティの間を行ったり来たりの色男ぶり。
ちょっとときめいてしまいましたよ。

まあ、ちえさまに心を奪われている私としては、まだまだ平方くん、色気が足りないけれどね(笑

ところで、このお芝居、平方くんが主役に見えちゃっていいのかな(笑
とにかく私の印象に強く残ったのは平方くんだった。
売れない不遇な脚本家が、年上の女の深情けにはまりつつも、明るい表舞台にあこがれ、野心をもち、あがく姿がとてもリアルに伝わってきた。

ねねちゃんは、宝塚の娘役とあまり変わらない役だから、やりやすかったのでは?
ダンスなんて、ちえさまとやっていたことから思えば、どーってことないしね(笑
婚約者とチュッ!としたり、ジョーとぶっちゅぶっちゅキスしたり・・・ねねちゃん・・・リアルキスの気分はいかがなもの?
平方ジョーは、とうこさんもソファに押し付けて、ぶちゅっとして、お姫様だっこしていた。

私は、どうしても舞台の上のリアルキスになじめなくてね〜。
宝塚の好きなところは、リアルじゃないところも大きい。
それなのに、ちえさまのキスはドキドキする。
宝塚以外も、そーゆうふうにはいかないものなんでしょうかねぇ。

ひょんなことから最前列センターで観劇したので、メイクに関してはかなりじっくりチェックしてしまった。
ねねちゃんのメイクがちょっと濃いめに感じたぐらい、全体にうすーい舞台化粧。
とうこさんの衣装がステキだなあと思っていたら、なんと有村先生のデザインだった。

映画は、ずいぶん昔に見たのでほとんと覚えていなかった。
ミュージカルは、これが初見。
オープニングの音楽は、これからのドラマチックな展開を予想させられるようなウェバーならではの期待感に満ちたもの。
プログラムによると、マックスの歌う「The Greatest Star of All」なのだとか。
気が付かなかった・・・
ノーマは、自分の過去の栄光から逃れられなかったのだけれど、そうしたのはマックス。
この音楽の使い方は、このミュージカルの肝の部分だったのね…

ミュージカルは、初見だとストーリー展開と舞台装置に慣れるだけで終わっちゃうなあ。
オペラ座の怪人などのナンバーの一部がふっとのぞくようなメロディラインがあって、おお!ウェバーだ〜と思っているうちにカーテンコールに。

舞台は、わりにシンプル。豪華なノーマの部屋も、大きな階段に凝縮されている。
そのかわりに時代とノーマの栄華を象徴するように車が舞台で効果的に使われている。

あと2,3回観ないと語れないなあ。
ミュージカルは、お金がかかる〜。

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1800円。高い〜。SS席はプログラム付。

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ねねちゃんにもお花が来ていたけど、撮り忘れた〜。

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新しいPOBのチラシ。
す、て、き黄ハート


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