2015年07月18日

新橋演舞場「阿弖流為 アテルイ」

今日は、朝から頭痛がして、3時間におよぶ観劇には最悪の体調だったこと、席が3階B席で見切り席だったこと、から、集中力にかけてしまった。

でも、そこそこ面白かった。

が、歌舞伎というよりも、新感線の色が濃厚で、ストーリーもいつもの通りだった。
なので、1部は、ちょっと退屈だった。あ〜、いつものやつね…と。
2部は、いつものように怒涛の展開で、最後のカタルシスもちゃんとありました(笑

阿弖流為といえば、15年ほど前に岩手県に地域づくりの仕事で通い始めたころ、「アテルイを知っているか?」と地元のうるさ方に聞かれ、当然、「知らない」と言ったら、ものすごくバカにされた。
そこであわてて高橋克彦の「火怨」を読んだ。
関西人の私にとって、それまで東北という地は遠い北の国だったのだけれど、この本で阿弖流為を知ったことで日本の歴史の中での東北の政治的、心情的な位置づけを少し垣間見た思いがした。
その阿弖流為を歌舞伎で観る日が来るとは思わなかった。

新感線のストーリーは、必ずやたらとかっこいい謎の女が登場し、威勢がよかったり、屈折した思いを抱えていたりする男たちがからんでいく。舞台は日本で、主人公たちは体制に不満を持っていたり、改革しようとしていたりする。だから、12年前に彼らが阿弖流為を題材に選んだのは、必然性がある。まさに阿弖流為は、日本の国家が形成される中で、最後まで抵抗したクライマックスの部分なのだから。その割には、教科書には出てこない。そこがまた、まさに「歴史」なんだけどね。「蝦夷」で片づけられていた先住民と大和朝廷の争いは、今も、世界各地で行われている紛争となんら変わりはない。普遍的なテーマなのだ。

内容は、染五郎の阿弖流為が、勘九郎の坂上田村麻呂と友情を紡ぎながらも、支配者側の論理に敗北していく話。七之助の立烏帽子が、あらはばきという地元の神の化身。

なんか懐かしいなあ・・・鶴見和子さんの「殺されたもののゆくえ」にとても感銘を受けたっけ。
土着の神に代表される文化が、人間の文明の発展(発展じゃないかも)のために消される運命にある。
七之助の美しく凛々しい神の姿が忘れられなくなりそう。「蒼の乱」の天海祐希の蒼馬の凛々しさと共通する。
いのうえさんは、かっこいい女を舞台に出現させるのが好きで、やっているのかとさえ、思える。

オープニングに、ほんの短い踊りのようなものがあり、舞台の背面に「阿弖流為」という文字が浮かび上がるのをみて、思わず、「ベルばら」のオープニングみたい・・・と思ってしまった。
そして、終演間近に一度幕が下りてから、ねぷた祭りのようなシーンが少しあって、まるで宝塚のフィナーレみたいだった。劇場に入るときに、リストバンドを渡され、2幕終わりに使うからと。どんなふうに使うのかと思ったら、フィナーレで青いライトが点灯し、お祭りシーンを一緒に盛り上げるというものだった。

まるで宝塚の退団公演千秋楽やん・・・

歌舞伎と宝塚の関係が、一番面白いかも(笑
宝塚の豪華絢爛さに対抗できるのは歌舞伎だけだしね。

とはいえ、やはり歌舞伎の立ちまわりの見事さには、ほれぼれした。
蛮甲役の片岡 亀蔵さんが、とてもいい味を出していた。

喰わず嫌いの歌舞伎をちょっと好きになれそうな気がした。

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先週、急に思い立って、歌舞伎気分を盛り上げようと東劇でシネマ歌舞伎「三人吉三」を観賞。
勘九郎、七之助兄弟に加えて、松也の3人による三人吉三。
話の人間関係が複雑で、かなりてこずったけれど、内容は素晴らしかった。
串田和美の演出によるとことが大きいかも。映像も、かなり凝ったものになっていて、舞台をただ記録したものだけでなく、一つの映画として見ごたえがあった。ラストシーンは、特に圧巻。





posted by Luna at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする