2015年10月15日

「ギリシャに消えた嘘」「マリー・アントワネットに別れを告げて」「キンキー・ブーツ」

ギリシャに消えた嘘」☆☆・・・
「太陽がいっぱい」を書いたパトリシア・ハイスミスの作品の映画化というので触手が伸びた。
が、遠く及ばず、がっかり。詐欺師のチェスターに巻き込まれてしまうアメリカ人のガイドの青年ライダルが、原作では、本当にイエール大学の学生で、考古学の教授である父親に厳しく育てられたお坊ちゃま。優秀な一家の中でなんとなく萎縮していた彼がギリシャで、亡くなったばかりの父親にどこか面影が似ているチェスターに惹かれ…という話らしい。が、映画では、ギリシャ語の堪能なライダルが、ガイドをしながら、お客からマージンを姑息な手段で得ているという設定で、不良青年にしか見えない。だから、父親とチェスターの関連性が生きてこないし、ライダルの人間性がつかめないまま、チェスター、ライダル、チェスターの妻のコレットの堕ちていく道行となる。素材がいいのに、かなり残念な映画になっちゃいましたね。
ライダル役のオスカー・アイザックが、そもそもアメリカ人に見えない。グアテマラ出身だそうで…(笑

マリー・アントワネットに別れを告げて」☆☆・・・

1789年7月14日からの数日間の宮殿内の様子を、王妃の朗読係を中心にドキュメンタリータッチに描いている。宝塚のおかげで、1789年は、バスティーユ陥落に始まるフランス革命の年としっかりインプットされてしまっている。オスカルさまとアンドレの亡くなった年なのだ(笑

公式サイトには、「本物のヴェルサイユ宮殿でのロケを敢行し、時代の香りを余すところなく伝えた。一方で、衣装やメイクは当時の豪華さに、現代風のアレンジも加えて再現、単なる歴史の記録ではなく、2012年にも通じるゴージャスな世界観を提示した。」とあるけれど、そのアプローチが間違えている。
ヴェルサイユ宮殿でロケをし、時代の香りを余すところなく伝えたつもりなら、細部も、しっかり当時を再現してほしかった。「2012年にも通じるゴージャスな世界観」は必要ない。

公式サイトには、ストーリーのところに以下のような文章が掲載されている。
「王妃からは「ポリニャック夫人の身代わりに。」という思いもよらぬ非情な命令を受ける。
踏みにじられた愛、身を引き裂く嫉妬、生命の危険──果たして、果たして、シドニーの最後の選択とは──?」
ここから物語が始まるのかと思いきや、これ、最後の10分ほどの間のことだけ。詐欺です。

シドニーの最後の選択って、なんにもないけど…
だって、単なる朗読係の小間使いに選択肢なんてない。ポリニャック夫人は革命を生き延びたから、かえってよかったんじゃないのかしら。

革命側の作成した首をちょん切るリストが宮殿内を駆け巡り、あたふたする貴族の能天気なところが一番面白かった。情報のない当時だと、いよいよ民衆が攻めてくるというときになって初めて本当の危機を知るという感じだったのかも。

王妃はポリニャック夫人とレズみたいな描かれ方をしているけれど、フェルゼンはどうした?(笑
この映画の原作であるシャンタル・トマの「王妃に別れを告げて」(白水社刊)を読んだ方が面白いかも。


ちえさまがインスタグラムで「キンキーブーツのビリーポーターさんが通しにいらっしゃった💗
この方、本当に凄かった」とつぶやいていて、「キンキー・ブーツ」が気になったので観た。
面白いやん!
このドラッグクィーンのローラをやった方なのね。
ストーリーは、傾いた靴工場をローラと、オーナーのチャーリーがすったもんだしながら再生するという、お定まりのもの。コメディだから、気軽に楽しめるし、ローラのステージがロンドンのおかまショーを垣間見ているようで面白かった。
「偏見を捨てよう!」「いったいなにができるっていうんだい!と言わないようにしよう!」
まあ、わかりやすいメッセージが直球で飛んでくる。

ちえさまはいよいよ来週の明日が初日。ドキドキわくわくそわそわ…だわ〜。
びっくりマークみたいなお顔が多いせいか、ますます目が大きくなっているようなちえさま。毎日刺激的なんだろうなあ…

私は、どうやっても力が入らない。気分が乗らない。
なので、手当たり次第、観劇と映画に走っている…

posted by 風土倶楽部 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

渡辺淳一著「遠き落日」

渡辺淳一著「遠き落日」
野口英世の生涯をドキュメンタリー風に描いた小説、というジャンルだと思う。

渡辺淳一という人は、「失楽園」などでセンセーショナルなアダルト小説の書き手のイメージが強いけれど、「花埋み」などの医療をテーマにした小説も書いている。
新聞の連載で「失楽園」などをちらっと読んだだけだったので、「花埋み」を読んで、明治時代に女医になった女性の自立を描いた骨太な内容にちょっとびっくりした。

野口英世といえば、幼児のときにやけどで左手が不自由になったけれど、貧困の中、医者になり、黄熱病の解明に命を捧げた英雄…だったのだけれど、実際は…というのが「遠き落日」

一種の天才肌の人だったようで、自分が興味を持った事柄については寝食を忘れて研究に没頭。一方で金銭の感覚が大幅にずれていて、借金をしまくり、友人知人に迷惑をかけまくった人でもあったようだ。
研究で少しでもわかったことがあれば、がんがん論文を書きまくって発表していたため、ずいぶん間違った研究成果もあった。
なによりも黄熱病の原因を突き止めたと思っていたけれど、梅毒などのスピロヘーターの一種だとしていたものが、結局、ウィルスで、本人はそのウィルスに汚染されて、黄熱病で命を落としてしまう。
当時の顕微鏡では、まだ、スピロヘーターしか突き止めることができず、この後、人類はウィルスとの闘いに邁進せざるをえなくなる。その過渡期に英世はいたという悲劇。
意識が薄れていく中で、「わからない…」とつぶやいていた英世が憐れでならない。

ほとんどなんの伝手もないのに、一度日本で案内しただけのアメリカ人の教授のもとになけなしの資金で渡米し、訪ねていき、ほぼ押しかけの弟子になり、やがて、その教授の右腕になり、当時の世界で最も有名な医者の一人になりあがる英世のパワーには脱帽だ。ハングリー精神の賜物。

性格的に問題があろうと、立身出世が動機であろうと、研究に人生を捧げたことに代わりはなく、人格的に破たんしていたとしても、やはり偉人には違いない。
渡辺氏があとがきで書いているように、偉人に祀り上げられていた英世よりも、この本の中の英世の方が人間的で魅力的だと思う。
映画化されたけれど、従来の英世像を壊すものではなかったらしい。
科学の重要度がますます増している今こそ、英世の生き方を映画化してみても面白いのでは?

「花埋み」の荻野吟子も、日本初の女医という栄光を味わったあと、思いがけない展開で人生の苦難を再び味わい、最後は失意の中で終わる。英世も、やはり栄光を極め、ウィルスに犯され、命を終えていく。
しかし、二人とも、命終わるときに駆け抜けた満足感はあったように思う。いや、思いたい。

渡辺氏の小説をもっと読みたい…

posted by 風土倶楽部 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする