2015年12月24日

「スターウォーズ/フォースの覚醒」

好奇心抑えがたく、ド・センターで「スターウォーズ(SW)フォースの覚醒」をMX4Dで体験してみた。

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結論として、普通の3Dで十分だと思う。

椅子が激しく揺れたり、傾いたり、風があちこちから吹いてきたり、背中をどつかれたり、はてはなにやらきな臭い香りまで顔に吹き付けられ…なにかと忙しい。途中で、落ち着いて見せてくれよ、と思ってしまった。
内容と関係ないところで背中をつつかれてもなあ…。
ずーっとイスが動いたり、風が吹いたりしなくても、例えば、攻撃するときに特定のパイロットの体験がそのままこちらに伝わってくる、といったような工夫はできないのかしら。画面は動きまくるけれど、どの視点でMXが反応しているのかがわからないままだから、臨場感に欠けるのだと思う。

本編が始まる前に高速道路を疾走する車の中にいるような瞬間があるんだけれど、そのときが一番おお!と思ったくらいで、あとは本編のいつものオープニングの文字が宇宙に飛んでいくあのシーンが、3Dだ〜と思ったくらい。
技術的な革新はたいしたことあらへんな〜、という感じだった。

作品の内容は…数か所うるうるしたけれど、それはつい70代のハン・ソロとレイア姫の表情を見ていると、こちらの人生と重ね合わせてしまうからで、作品の内容ではない。
全体にWをなぞったようなストーリーで新味はなし。

以下、ネタばれあり。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

またしてもデス・スターが同じように星を破壊したり、デス・スターの中に侵入したり…既視感たっぷり。
わざとそうしているのか?

W−Yを見ていれば、あ、それね、みたいな符丁があるので一応楽しめるけど…でも、なにか物足りない。
あまりにも物語がなぞられすぎていて、せっかくYで平和を取り戻した銀河の世界が、なぜ、まったく同じような帝国をまた許してしまっているのかが解せないままに、レン、レイ、フィンという新しいキャラクターが登場。
フォースの暗黒面の代表格のカイロ・レンが、さっさと仮面を外してしまうのも、どうよ。
まだ、悩み中のダースベーダーで、父親殺しを実行して、本物のダースベーダーUになろうとしているらしいけれど、そのあたりの心理描写と背景が語られないから、ハラハラ感がない。
できれば、もうちょっと美しい凄みのある役者を使ってほしかったなあ。ハン・ソロとレイアの息子という設定にも、かなり白けた。ずーっとそれやん!親子関係のぐちょぐちょに翻弄される銀河帝国なのだ。君たちに反省はないのか!(笑 と思わずつっこみたくなる。
デス・スターが集めた太陽エネルギーで破壊される星は、ええ迷惑や。

ポーは、どうやって墜落から逃れられたのか語られずに突如、再登場するのも、あまりにマンガ的。
いくらええ加減な話でも、もう少し辻褄を合わせてくれ〜。
ポー役のオスカー・アイザックは「ギリシャに消えた嘘」に出ていた人ね。こんなところで再会するとは思わなかった(笑

新味としては、女性と黒人のメインキャラの登場なんだろうけれど、二人とも、イマイチ魅力に欠ける。
ハン・ソロのような色気があるわけでもないし、レイア姫のような鮮烈なリーダーシップがあるわけでもない。
まあ、これから[に向けて成長していくキャラなんだろうけれど…
[、見るかなあ・・・自信ない(笑
今回の新キャラの中では、BB-8がナンバー1!とーってもかわいかったので、BB-8を主人公にして1本作ってほしい。

Xを見たときの衝撃が忘れられず、ついSWが公開されると足を運んでしまうけれど、その後はずーっと裏切られ続けている。Xのエンドロールをみた後、席を立つことができず、当時、入れ替えがなかったから、そのまま2回目を見てしまった。今まで、席を立てなかったのは「風と共に去りぬ」と、「スターウォーズ 帝国の逆襲」(X)の2本だけなのに〜。

MX4Dを体験したあと、普通の3Dでもみようかと思っていたのだけれど、2回観る気にはなれないなあ。

posted by 風土倶楽部 at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

「007」と「桐島、部活やめるってよ」

「桐島、部活やめるってよ」☆☆☆☆☆

当たるときには、よい映画に連続して当たるのだなあ。
題名をよく耳にしていて、気になっていた映画だった。
原作がしっかりしているのかしら。
とても人間観察が行き届いた興味深い内容だった。
高校生の学校内での生態を描いているのかな…と思いつつ見ていたら、他者との関係性、自分の立ち位置、そして、今をどう生きるかを一人ひとりの高校生の日常を通して突き付けてくる内容で、かなりたじろいだ。
「この世界で生きていくしかないんだよ」
見たら、削除しようと思っていたけれど、とりあえず残しておこう。


「007 スカイフォール」☆☆

007シリーズは、まず見なかったことはないのだけれど、これはスルーしていた。
カッコ悪い007とか、暗いとか言われていたから、だっけな。
スペクターを見るためには、やっぱり予習しておかねば、と見たけれど、やっぱり「はあ?」な007だった。
いつから007は、こんなに深刻な映画になっちまったのだ。
見たら、すかっとするような娯楽エンターテイメントだったのに。
カジノでコモド・ドラゴンが登場。
コモド・ドラゴン!? へ?と思った。イモトがかけっこしていたっけ?なんか違うよなあ。


そして、ロードショウの「007 スペクター」☆☆
場内は大盛況。昼下がりの回だったからか、同年代が多いような気がした。
オープニングのメキシコは、なかなか快調な滑り出しで、おお〜、007だ〜!と、うれしくなったのだけれど・・・
が、このあと、またまたスカイフォール的なアプローチにどんどんなっていき…

モニカ・ベルッチが登場するころには眠気が襲ってきてしまった。
実は、モニカ出演ということで、かなりそそられていたのだ。
だって、美しいモニカがからむのはボンドとの恋と決まっているでしょ。

ところが、ボンドに殺された組織のボスの未亡人であるモニカは、目の前に現れたボンドに「夫はぜんぜん帰ってこなかった」と言って、さっさとボンドとセックスして(それも壁に押し付けられて、それで終わり)、スペクターの会議の場所を教えてしまう。欲求不満の未亡人なのだ。
「CIAに保護を頼んでおいたから」というボンドの言葉にうなずいて登場終わり!
登場シーンは全部で5分ほど。
それはないでしょ、と、思わず心の中で叫んじゃったよ。
あとで重要な役で登場してくるのかな〜と心待ちにしていたけれど、結局、これで終わり。

モニカでなくてもよかったやん・・・

ここで大きく裏切られた感満載の私は、再び気が遠くなって、気絶寸前になった。
が、なんとか持ちこたえ、きっと面白い展開があるはずと、期待をムリに喚起した。

スカイフォールのときから、やけにボンドの少年時代の話が出てくると思ったら、今回は、ついに「兄弟」なんていうのが出てきた。007の生い立ちやら、生き方の悩みなんてやらなくてよろしい。

途中、カーチェイスのところで、やっと007ぽいなあ、この車は水陸両用よね〜と思ってみていたら、単に川に沈めて、ボンドは座席から飛び上がって、パラシュートで降りてくるにいたっては、ふつふつと怒りが湧いてきた。

こんなん、007とちゃう!

砂漠の中の要塞も、イマイチはったりがきいてない。全世界の情報を掌握しようというのに、あのレベルのパソコンを並べた部屋でいいのか!

ほとんどドキドキもしない、ワクワクもしない。
スリルなら、「黄金のアデーレ」のオーストリアからの脱出シーンの方がよほどある。

まったく数十億円をかけて、こんな程度の映画を作るってどうよ。
爆発させるのは盛大にやっているけれど、肝心の楽しませる部分が大きくずれている。
007は、おしゃれで、粋で、ユーモアがあって、ダンディでなければ。
女とみれば発情して、すぐにエッチしちゃう007なんてあかん。

テーマミュージックを聴いているときが一番「あ〜、007や〜!」と思った。
次回は、本来の007に戻してくれないと、もう見ないからねっ!

気付くの遅い私…グレイグになってから、ずっとそんな007だったのにね。
グレイグは、キライじゃないんだけど、映画の作り方が間違っていると思う。

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2015年12月07日

「御用船 帰還せず」「離れ折紙」「文福茶釜」「螻蛄」

相場英雄著「御用船 帰還せず」☆☆☆

新聞の書評にホメて書いてあったので読んでみた。
江戸時代中期になって構造改革をしないと政権が持たなくなるというのはわかる。
だから、萩原重秀のような人物が重用されたといのもわかる。
それに対して、北町奉行所の役人である柳田や高木、要するに既得権益を守ろうとする側が阻止しようとするのもわかる。
が、しかし、金を隠すというのが金融市場としてはわかるけれど、隠しおおせるものでもない。いや、逆に隠しおおせたのなら、そもそも御用船を帰還させないなどという離れ業は必要はなかったわけで…その御用船奪取のからくりも、あまり説得力がなく…設定に無理があった、と思う。
一気できたから、☆1個おまけ。

黒川博行著「離れ折紙」☆☆☆☆

新幹線に乗るのになにも読むものをもって来なかった!と、急遽、書店で目についたこの本を購入。
「骨董」をテーマにした短編集で、人間くさい登場人物ばかりが次々に出てきてとても面白かった。
骨董には、うっかり手を出さないでおこうと肝に銘じた(笑
あまりにも面白かったので、「文福茶釜」を図書館で予約。
帰りの新幹線用には「螻蛄」を購入。
文庫本を買ったのは1年ぶり。
伝統宗教の裏で欲に走る僧侶や事務局。そこに絡むやくざの桑原と、建設コンサルタントの二宮の疫病神コンビ。こちらも欲の泥沼で、それこそ泥だらけになって七転八倒する輩の話が疾走感をもって展開する。
骨董シリーズも、疫病神シリーズも、大阪弁が炸裂!
朝ドラの「あさが来た!」も大阪弁で、頭の中はすっかり大阪弁が渦巻いている今日このごろ。
螻蛄は、読んだからってどうってことない内容なんだけれど、クセになる。

さて、次はシリーズ最高傑作らしい「国境」を読もうっと!




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2015年12月06日

「黄金のアデーレ 名画の帰還」

「黄金のアデーレ 名画の帰還」
文句なく星☆☆☆☆☆!
構成・脚本がとてもしっかりしていて、素晴らしい映画だった。
数年に一度しか出会えない震えるほどの感動を覚えた。

オーストリアで成功した富裕なユダヤ人一族が、ナチスにより家族を引き裂かれ、全財産を収奪されてしまう。
二人の娘はアメリカに亡命。かろうじて生き残る。
そのうちの一人マリア・アルトマンが、叔母がモデルとなって、叔父がクリムトに描かせた名画「黄金のアデーレ」を取り戻す話。
国と家族を棄てた心の傷を抱えて生きてきたマリアが、名画を取り返す過程で心の浄化を得ていく経糸に、やはり亡命した友人の息子で駆け出しの弁護士ランディが、自分のルーツを知り、新しい自分の生き方を見つけていく横糸が見事に組み合わされ、一つの鮮明な心に残る名画となったような映画だ。

名優ヘレン・ミレンによりマリアの複雑な心情が手に取るようにわかり、物語の中に入り込むにしたがって、まるでマリアの目になってウィーンの街並を観ているかのような錯覚さえ覚え、途中からずっと涙目になってしまった。悲しみと恐怖の街になってしまった故郷ウィーン。思い出したくない、絶対に足を踏み入れたくないと思っていた、でも、懐かしくて仕方がない街・・・マリアの瞳に映る現代のウィーンが平和だから、ますますその悲しみが濃くなる。
マリアの結婚式が、家族の最後の幸せなひとときとなり、その後、家族がナチスによって引き裂かれていく過程を映画は多くを語らず、的確なシーンをマリアの回想でつなぎながら、伝えていく。

最初は、値がつけられない名画を取り戻すという弁護士としての報酬に目がくらんで取り組んでいたランディが、次第に名画を取り戻す意義を見出していく過程も秀逸。ホロコーストのモニュメントの前で「トイレに行く」とマリアに言って、近くのカフェのトイレに駆け込み、嗚咽するシーンでは、一緒に泣いてしまった。

歴史をこうして振り返ることの大切さをこんなにわかりやすく、細やかに描いた映画は、多くないと思う。
できるだけたくさんの人に見てほしい。

ほんまに感動した〜!!!


posted by 風土倶楽部 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

METライブビューイング「タンホイザー」

インタビューや幕間を入れると4時間半!
絶対寝るだろうな…と思っていたんだけれど、うとうとしたのは10分ほどだけ。
あとはおお〜!と、感動の連続だった。
特にMETの音楽監督ジェイムズ・レヴァイン氏の指揮によるオーケストラの演奏が素晴らしかった。
私は、ど素人だから、あまりオーケストラまで気が付くことはないのだけれど、今回は歌唱も、もちろん素晴らしかったけれど、とにかくオーケストラによる音楽がかっちり枠組を作り、そのうえ、歌唱を導いていた。

1幕冒頭のニンフたちの愛の交歓シーンのバレエにも感動。
まるでボッティチェリの「春」のような美しさ。エロスをここまで美しく、上品に、でも、エロティックに表現できるとは!スローな動きは、鍛え抜かれた肉体があってこそできる。ダンサーたちの動きの美しさに目を奪われた。

均整の取れた肉体があふれる舞台から、一転、女神ヴェーヌスとタンホイザーの場面に。

すごいボリュームだなあ・・・声も、体も。
やはりあれだけの声量は、あのぐらいりっぱなボディでなければ出ないのよねぇ。
ど迫力。
インタビューでヨハン・ボーダー氏は、公演前には食事をしないとのこと。3時間以上の舞台なのに!
でも、あの体格!あの声量!

1幕後半にちょっとうとうと。タンホイザーはヴェーヌスベルクでの快楽に飽きて、女神の誘惑を振り切り人間世界に戻ってくる。この世界観にびっくりぽんや〜。2極なのね。快楽のある世界か、ひたすら神様やキリスト教に支配される世界の2極。このあたりが、今一つ理解しにくい。

2幕は、人間界に戻ったタンホイザーが、ヴェーヌスベルクに行く前に想い合っていたエリーザベトと再会し、愛を誓う。そして、「愛」についての歌合戦が行われる。この世界観も、ほへ〜??!
騎士は吟遊詩人でもあったらしく…みんな、歌がうまいのだ(笑
歌会には、有名な「大行進曲」とともにわらわらといろいろな人々が集まってくる。ちょっとスターウォーズのいろいろな星の星人たちが集まるシーンを連想(笑 そのぐらいバラエティに富んだメンツだった。

タンホイザーの親友ヴァルトブルクが、女性への神聖な愛を歌うのだけれど、タンホイザーは女神を讃え、快楽的な愛を支持する歌を歌ってしまう。すると、集まった人々に大顰蹙をかってしまう。そんなにみんなで糾弾しなくても〜と、今の時代だと思っちゃうんだけどね。ワグナーの時代は、こんなにストイックだったのかしら…。この価値観も、いまいちよくわからない。

タンホイザーは、ローマに行って教皇に許しをもらってこないといけない!ということになり、追放されてしまう。あわれエリーザベト。彼女一人がタンホイザーを必死にかばい続ける。
この2幕の迫力がすごくて、あら〜っ!!!と思っているうちに終わった。

3幕は、かつてタンホイザーが人間界に戻ってきた森のはずれの場所で、エリーザベトが彼の帰りを待っている。が、彼は帰ってこない。行き合わせたヴァルトブルクが慰めるが、彼を救えるのは自分だけだと思い込んでいる(実際にもそうなんだけど)エリーザベトは、命を捧げて神に彼を許してもらおうとする。「さまよえるオランダ人」と同じく女の犠牲によってオトコが救われるのだ。

戻ってきたタンホイザーは、教皇に絶対にお前は救われないと言い渡され、絶望のどん底状態。そんなら、また、女神のところに行っちゃうもんね〜とヴェーヌスベルクに行こうとするのだけれど、ヴァルトブルクが必死に止める。そこにエリーザベトの葬列が来て、タンホイザーは彼女に寄り添って、ようやく清い世界に戻り息絶える。
3幕も、あら〜っ!!!と思っているうちに終わった。

清い世界ってなに!?というのは残ったけれど。

歌舞伎も、文楽も、オペラも、価値観のずれが頭を悩ませるところなのよね。

ワーグナーは、かなり高揚感があって、ちょっとやばいと思った(笑
壮大な世界が目の前に広がってきて、ものすごくあげあげな気分になる。
クセになるかも…

ヴォルフラム役のペーター・マッティさん、好みです(笑
うふふ…
《フィガロの結婚》の伯爵のちょいワルぶり、見たかったな。



posted by 風土倶楽部 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

宝塚大劇場月組「舞音/Golden Jazz」本公演+新人公演

POBを観たら、目も、耳も、心も肥えてしまった。
そんなふうになって、初めて宝塚を観た。

宝塚大劇場月組「舞音/Golden Jazz」本公演+新人公演
Wで観劇してしまった。

月組ファンの方は読まないでね。超辛口なので。

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「舞音」
マノン・レスコー」のお話を元にしているということだったけれど、ロスグロが「オテロ」をベースにしながら、本質から、ずれちゃった話になったように、こちらもヅカならではの味付けが濃すぎる内容になった。
辛口の私としては、あんこに黒蜜をかけたような甘さはどうも苦手なのだ。

シャルルの本音を体現する「もう一人のシャルル」であるみやちゃん(美弥るりか)が登場し、まさお(龍真咲)の現実のシャルルがハノイに到着する船に現れる冒頭あたりから、クラブでのちゃぴの登場シーンまでは、ベトナムの異国情緒もあり、楽しめそうかな〜と思っていたのだけれど…

シャルルを影と本物に分ける必要があったのかなあ。あてがきだから、仕方がないのかもしれないけれど、わかりにくかった。みやちゃんは、そこそこ存在感を出してはいたけれど、わざわざシャルルの本音をもう一人がやらなくても、シャルルはそんなに複雑な男じゃないもん(笑

シャルルとマノン(リエン)の出会いが、何に惹かれて始まったのか、わからないままに始まってしまった。
クラブのハスの花のショーの中で登場する踊り子マノンに扮するちゃぴ(愛希れいか)のオーラは、なかなかのもの。とても美しく、はかなげで、物語の象徴ともなる泥の中に咲くハスの花を十分表現できていた。

なのに、なぜ、突然、恋に落ちるのか、わからなかった。
二人のベッドインシーンでは、またまた大石さんの甘すぎる振付で展開。
シェニエのときと同じで、既視感ありあり。
私はこういう雰囲気があかんのだ…これは好みの問題なので、ダメなものはダメ。

一緒にダンスをちょっと踊っただけで、いきなりこの展開。
マノンは、そういう直感を重視する女なのか?だって、原作は贅沢な暮らしが好きで、オトコを翻弄する女だから。と思ってみていたら、そうでもなくて、純情な女、みたい。
どっちなんだ?と思いつつ物語が進行。結局、純情な女だったのね(笑 

目をひいたのは、たまきち(球城たまき)。体格がよくて、妹のマノンの紐のような暮らしをしているオトコの雰囲気は出ていた。が、イマイチやろうとしている状況がよくわからず・・・おばさんは、飲み込みが悪いのよね。

マノンが投獄をされるあたりから、悲劇に向かって物語は進行していく、のだけれど、なんだかちぐはぐで、シャルルはもちろん、シャルルの親友のモランも、警察長官も、マダム・チャンも、それぞれの存在がもやっとしていて…

すんません、飲み込み悪いです。
宇月のディン・タイ・ソンぐらいが輪郭がはっきりしていたかなあ。

と思って、新人公演を観たら・・・

ラストのあーさー(朝美絢)とマノンの舟のシーンで泣いちゃった。
れんこん(蓮つかさ)のモランも、まゆぽん(輝月ゆうま)のディン・タイ・ソンも、海乃美月のマダム・チャンも、あーさーのシャルルも、きっちり存在感があった。

これって、シャルルのセリフのキャッチボールができているかできていないかが大きいのじゃあるまいか…

そもそもシャルルのセリフの言い方が本公演は気になって、気になって・・・どうして「サイゴン」が「さぁいごん」になったり、「愛している」が「あーいしている」になったりしちゃうのだ?
本公演のシャルルは自分が大好き、そんな感じがして仕方がなかった。だから、ラストのシーンも、自分のために泣いているような気がしちゃった。
新公のシャルルは、傷つきやすいおぼっちゃまなんだけれど、すべてを投げ出して初めての愛につき進んでいくオトコだった。だから、ラストの舟のシーンも、もう一人のシャルルの「心の赴くままに生きていけばよい」という心の声が、たとえマノンを失っても、後悔はせずに、ずっとこの愛を心に生きていくんだろうなあと思わせるものがあった。叶羽のマノンは、それに応え、シャルルが愛さずにはいられなかったマノンになって終わったと思う(物語が始まったころは、ちょっと不安だったんだけどね 笑)

セリフの明瞭さが新公のまゆぽんとか、れんこんの方ができていた。
特にれんこん、お見事!あーさーとの二重唱は、どっちかが声が上ずってしまっていたけれど、お芝居は二人とも、とてもよかった。

というわけで、同じ作品とは思えなかった。
上級生、やばくない?

私的注目のありちゃん(暁千星)は…無難にやっていた。声が低くなって、声量がかなり出てきたかな。
でも、もっとがんばらないと、ね。ちょっとスランプ?


「Golden Jazz」
JAZZじゃなくて、JAZZ風だな。
タンバリンでごまかしているように聞こえた。
みんな声量が足りない。ジェンヌは、もっと体格をよくしないと声が出ないよ。
歌詞がオケにかき消されてしまう。
ダンスも重量感なし。
ありちゃんは、バレエは◎だけれど、ほかのダンスはまだまだだな〜。

カポエイラのシーンは、がんばっていたと思う。特にちゃぴ。
トップ娘役が一番の見せ場をつくるなんてね。

それにしてもデュエットダンスで、最後にトップ同士が違う方向を見て終わるなんて、初めてみた。

月組、課題が多すぎるなあ・・・今の月組にしかできない公演だ…とか思っているのだとしたら、情けない。もっともっと上を目指してほしい。でないと、若手がかわいそう。

星組の若手が、近くにずらっと座って観ていたけれど、なにを思ったのかしら。

posted by 風土倶楽部 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする