2017年07月30日

西加奈子著「i」

久しぶりに一気に読んだけれど、なんじゃ、これ?

シリアで生まれ、赤ん坊のときにアメリカ人の夫と日本人の妻の夫婦に養子にされ、ニューヨークで幼少期を暮らしたあと、日本に来て、私立の女子高(らしい)で親友を見つけ、大学院にいるときにふらっと行ったデモで写真を撮っていた一回り以上年上のカメラマンと出会い、大事にされ、でも、子どもができず、できたと思ったら、流産して、でも親友とわかりあえて、めでたしめでたし、という話。

数学が得意で、高校のときに「iはこの世に存在しません」と教わり、自分の名前が愛=アイだから、やたらとその言葉にこだわり、ずっといじけ続けるという話。

シリアをはじめ、世界中で災害や内戦で大量に人が死んだという報道があると、ノートに書きつけ、自分はここに生きているといじけ続けるという話。

一番腹が立ったのは、東北大地震のときに、親友も、両親も、アメリカにいて、早く渡米して避難してこいというのに、自分だけ東京に残る。この現状から逃げ出したくないからというのがその理由。今こそ、シリアの追体験ができるというわけ。でも、東北にボランティアに行くでなし、東京で大学生活を送る。そんなもん、みんなやってたよ。アメリカに両親も親友もいないのだから。

そして、反原発運動や安保反対のデモに参加する。でも、そこに確固たる考えがあるわけでもなく、彼女のパートナーとなるカメラマンは、「変化を望む人たちの顔を撮りたいから、デモを撮影する」のだそうで・・・

なんだ、それ?

あまりに浅い小説で、途中から、これは時間の無駄をさせられる
小説ではないのか?と思いつつ、なんとなく最後まで読んで、やっぱり時間の無駄だったと本を閉じたとき、激しい後悔に苛まれた。

世界で人が大量に死ぬと生きている実感が湧くという変な話。相続力の欠如にもほどがある。
毎日、人は生きて、死んでいっているのだ。

又吉大先生が帯に推薦文を書いていたらしい。図書館で借りた本だから、よくわからないけど。
又吉大先生にも、がっかりだ。


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2017年07月29日

シアターコクーン「魔都夜曲」

「白糸の滝」以来のシアターコクーンで「魔都夜曲」を観劇。

ものすごく思い入れを持ってみたせいか、思い切り肩透かしだった。

柚希礼音さまに出会うほんの少し前まで、私は、トニー・レオンにはまっていた。
レオンつながりという不思議なご縁なのだ。

当時、そのトニーさんの最新作が映画「ラストコーション」だった。
素晴らしい内容の映画だった。
熱く語ってしまったブログ記事

そのころ、必ず見に行っていた熱心なトニーさんファンの方のブログで、西木正明著の「夢顔さんによろしく」が紹介されていて、もちろん読んだ。
そのときのブログがこちら

ここにも書いているようにトニーさんが演じたイーを誘惑したピン・ル‐が恋に落ちたのが近衛文隆だった。
今回の「魔都夜曲」では、ストーリーを読むと近衛文隆=白川清隆のようで、いよいよ文隆氏の「noblesse oblige」すなわち高貴であることは義務を伴うという精神が、日本の舞台で取り上げられることになったのか!と、勝手に思い込み、ワクワクしながら、劇場に向かった。

が、1939年の上海を舞台にした恋愛ものだった…。
藤木直人の白川清隆には、これといった考え方の軸になるようなものもなく、上海で遊んでいる高等遊民。
楽しいちょっとこじゃれた音楽劇という作品だから、これでいいのかもしれない。大きな期待をした私がアホだった。

音楽劇とミュージカルがどう違うのかがよくわからないが、芝居部分との融合性がイマイチしっくりこなくて、芝居になるととたんにつまらなくなった。
藤木直人のセリフには、なぜか真実味がない。ほかの共演者の紡ぐ虚構の世界にそこだけぽかっと穴があく。
清隆の描かれ方が中途半端だから?

コング桑田や橋本さとしの回すクラブ「ル・パシフィーク」の場面は、とてもイキイキとして、1939年を楽しめるのに、芝居になると、2017年の渋谷に引き戻されてしまうのだ。

壮一帆の川島芳子は、ぴったりだった。もっと活躍してほしかったなあ。
ラスト近くに見せ場はあるけれど。
チャイナドレス姿が美しかった。裾が長くて、ちょっと裾さばきが難しそうだったけど。

マイコの紅花(ホンファ)は、清隆を愛し始めてしまう過程が丁寧に演じられていた。
チャイナドレスが、どれもステキでオペラでしげしげ見てしまった。

小西遼生のチーチャンも、場面に合わせ、適格な演技で、ホンファとの関係性がすごく明確。さすがだった。
と見ていくと、芝居シーンのいらだちの原因が自ずとわかってきちゃうなあ(笑

重慶に旅立つ清隆とホンファのシーンで終わるのだが、それでいいのか!と、がっかり。
ジャズの調べとともに、猥雑で華やかな日本の開戦間近の上海の雰囲気を楽しめばいいのだろうけれど、清隆の今後を暗示するぐらいはあってもよかったのではないのか。

彼の思いを砕いて、戦争は始まり、彼自身も、noblesse obligeを貫いたがゆえにシベリアで命を落とすところまで、せめて示唆してほしかった。

いいところのおぼっちゃんが、恋に落ちて、開戦を避けるために命がけで重慶に恋人と手に手をとってジャズの調べに乗って行っちゃう。みんなで踊って、歌って終わり。なんだかな〜。宝塚でも、なかなかない単純さだよ〜。

観客の中に、清隆=文隆の最後を知る人、知りたいと思う人なんていないんだろうな。

とさみしーい思いに駆られて帰宅の途についた。

「夢顔さんによろしく」をもう一度読みたくなってしまった。


「夢顔さんによろしく」の感想の中に、「誰かを好きでいることってすてきなことだなあと思う」と結んでいるが、本当にそうだと思う。ちえさまのおかげで、本当に世界がすごく広がったから。
「REON JACK2」のDVDで、毎夜、ちえ祭💛ちう。

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2017年07月20日

赤坂ACTシアター「ビリー・エリオット」プレビュー初日

ついに開幕した「ビリー・エリオット」
プレビュー初日を観た。

会場は、綾瀬はるかさん、市村正親氏一家、北大路欣也氏、笠井信輔アナなどをはじめ、どこかでみかけたような人たちと業界人が入り乱れ、ショービジネスの渦中そのものだった。
ちえさまは、こういう世界にいるのね〜と思いながら、一般人の目線で貴重な瞬間を目撃してきた。

ちえさまコアファンとしては、やはりウィルキンソン先生が気になったのだけれど、完璧な先生として、舞台をけん引。さすが我らが柚希礼音!ゆずキングだっ。

WOWOWで放送されたロンドン版の舞台映像を見ていたが、やはり生の舞台の迫力は想像以上だった。
各国ですでに公演されており、演出は、基本的にすべて踏襲するというスタイルだそうなので、完成された作品だと言える。それをまったく新しいキャストで、日本語化するという作業がどれほど大変なものなのか…。

炭鉱の町という共通点だけで選ばれた九州弁には、ちょっと違和感があった。英語のプラカードが多用されたり、サッチャーの名前が連呼されたりするので、その部分と九州弁の融合をしなければならない脳内補完が最初、できなかったのだけれど、徐々に耳に馴染んではきた。標準語だったら、やはり炭鉱の町の感じが出なかったのかなあ。

この長丁場の公演のビリー役としてトップバッターを飾ったのが前田晴翔くん。
堂々としたもので、舞台の上が自分の居場所だと、すでに知っているところがすごい!
こんな子が、あと4人もいるなんて!

あまり取り上げられないけれど、ビリーの心の扉をあけて、やりたいことに挑戦していく大きなきっかけをつくるマイケルの存在が、すごく大きい。自分と同じ年の子が、ものすごく自由に生きていることを知ったとき、ビリーに大きな変化が生まれる。したいことをやっていいのだ!と。
二人のダンスのシーンは、まさにエンターテイメント!

昨日のマイケル役の持田唯颯くんのエンターテイナーぶりも堂に入ったものだった。
恐るべし、子どもたち!

綺羅星のごとく、才能のある子たちがたくさん舞台を彩っており、今後の日本のエンタメ界を支えていく子たちになるだろうなと思わせられた。5年後あたりには、誰かがロミオ役をやっているかもしれない。

ウィルキンソン先生は、やさぐれているけれど、凛としていて、厳しいけれど、温かくて、とても魅力的な女性だ。

子供ができて、中央でがんばっていたのに、コースから外れてしまい、その上、さびれていく街でダンナに浮気され、生徒たちは、ぱっとしない子ばかりで・・・自分にイライラしつつも、かつての華やかなころがバレエを踊っているとよみがえってくる。
そんなとき、先生の前に彗星のごとく現れたのがビリー。才能を見出し、捨ててはおけない。
おせっかいなんてやるガラじゃないのに、これだけは放っておけない。

そして、ビリーは見事ロイヤルバレエスクールに迎えられる。
ビリーには輝かしい未来が待っている、かもしれない。

自分が見出した子がかわいくて仕方がないのに、ジェラシーも感じる。
これからの大変さもわかるが、見守っていくことしか、もう自分にはできない。

そんな先生の複雑な感情が、ちえさま先生から、ひしひしと伝わってきた。
お母さんの手紙を読むビリーから、大切なものを受け取るシーンと、ラストの後ろ姿でビリーを送りだし、涙声で別れを告げるシーンに、心情を大切に演じるちえさまの真骨頂が垣間見えた。
待っていたのはこれだった〜!と、客席で心の中で思い切りちえさまウィルキンソン先生を抱きしめたばあやでした。

娘のでビーとの関係は、これからもっと深まるのかな。

ちえさま以外の出演者たちも、さすがにえりすぐられているだけあって、みなさん、完璧。
特に久野綾希子さんのおばあさんの存在感がすごかった。
あのステキな久野さんが、ボケかけてはいるけれど、激動の時代をろくでなしの夫とともに生き抜いた力強さをもった老女を見事に演じていた。

労働者たちが、お金がなくてオーディションに行けないビリーたちに「芸術は、おれたちが支援する!」というシーンが大好き。
ビリーの魂の叫びが、大人たちを動かし、希望の灯が灯る瞬間。そして、芸術って遠いものじゃなくて、こんなふうに生まれ、育てられていくんだなと。

休憩20分を含む濃密な3時間ほどの舞台の中に、家族の愛、地域の連帯、人生の苦さときらめき、子どもの成長・・・人生の大切なことがすべて詰まったすごい作品だ。
ちえさまの退団後の代表作が、よくやく見事に着地、女優として開眼した瞬間に立ち会えたことは、ファン冥利に尽きる。は〜、幸せだった。

ちえさまの心配していたカツラは、ばっちりに合っていた。初めてみる、アップ髪のちえさま。なかなかイケてた。
衣装も、もっとダサダサかと思いきや、ポップな色合いでかわいかった。
スパッツ姿のぴちぴちお尻を眺めながら、むふっとなってしまった。オッサンみたい。
オッサンついでに、胸の谷間があった・・・そして、ダサいレッスン着の胸も、やけに豊かで・・・
謎を解くキーワードは「宝塚の娘役」?という説があったりなかったり…(笑

ちえさま、大切にされていますね。
ばあやは一安心。

プログラムにビリーをやってみたいとあって、ちょっと吹きました。
でも、観てみたい!
RJ2のヌッキーとのシーンをアレンジして、オールダービリーと踊っているシーンを妄想してみた。

チュチュ姿が、あまりにもきれいで、うっとりしているうちにカーテンコールになっていて、一瞬しか写真が撮れなかった・・・残念。でも、近くでティアラを付けたちえさまをじっくり見れたから、よしとしよう💛

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プレビューの間は、稽古場情報のプログラムしか販売されてない。
二つにわけるなんて・・・
とりあえず稽古場の方を購入。

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終演後、外に出たら、ビリーのネオンがまぶしかった。

posted by 風土倶楽部 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

梅田芸術劇場「グレート・ギャツビー」

なにが物足りないのだろう…

井上ギャツビーは、ひたむきにデイジーを愛する男をまっすぐに演じているし、
ねねデイジーのかわいさときたら、そのままねねドールにして持ち帰りたいくらいだし、
ころちゃん、まりも、AKANELIVさん、渚さんとOGの活躍には、さすが!と思わせられるし、

なのに、ドキドキワクワクしない。
なぜ、なぜなの〜?

ねねちゃんがいると、どうしてもちえさまを連想してしまうからかもしれない。

小池氏のデイジーは、ひたすら可憐で、浮気性な夫に悩む自立できない女。
映画の「華麗なるギャツビー」のミア・ファーロー演じるデイジーは、もっと我儘で、自己中心的で、世間知らずで、あまり自分の生き方に疑問を抱かない上流階級のオンナだったっけ。

小池ギャツビーのデイジーの人間像が、「かわいいだけのオンナでいる方が幸せなのよ」といったセリフに代表されるように受け身だから、物足りないのかもしれない。
小池氏が求めるデイジー像に、ねねちゃんはしっかり応えてはいる。

もう少し毒があってもいいのになあと思った。
そのほうが、まりもの演じるマートルのあがきが鮮明になるのではないだろうか。

音楽が新進気鋭のリチャード・オベラッカーの全曲書下ろし。
聴いていると、宝塚の音楽家たちがいかに優秀かがよくわかる。
かならず心にひっかかるフレーズや、歌詞がどこかに残るような曲作りをしている。
リチャード・オベラッカー氏は、英語の歌詞をもとに曲を作ったのだろうか。

そこは音楽に乗せなくてもよいのでは?といったところが歌になっていた。
もともと日本語は音楽に乗りにくい。
そのあたりがうまくこなれていないような気がした。
なんとなく酔えない。入っていけない曲ばかりだった。

小池氏、やっぱり忙しすぎるのかな…。


posted by 風土倶楽部 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

東京バレエ団「ラ・バヤエール」

バレエをちゃんと観たのは、ロンドンぷー太郎時代だから、なんと32年ぶり!
そして、東京文化会館は、オペラ「ローエングリーン」を観て以来だから、25年ぶりくらいか?

時の経つのは早い・・・

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変わらない佇まい。

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まさかちえさまのお導きで本格的なバレエを観る日が来るとは。
そして、そのバレエの素晴らしいことと言ったら・・・

夢のひとときだった。

東京文化会館にて、東京バレエ団による「ラ・バヤエール」
なにもかも美しくてびっくり

舞台装置も、衣装も、なによりダンスも。

バレエは食わず嫌いだったけれど、目から鱗が何枚もぼろぼろと落ちていった。

物語は単純。
勇者ソロルと神殿の舞姫ニキヤが、相思相愛になるが、大僧正がニキヤに一目ぼれし、パワハラをする。
おまけに有力者ラジャがソロルを見初め、娘のガムラッティの婿にと望む。
ソロルは、ガムラッティの美しさと権力の座につい目がくらみ、了承してしまう。
邪魔になるのはニキヤ。ガムラッティがニキヤに身を引くようにと脅すが拒否。
婚約の儀式の最中に、ニキヤはラジャとガムラッティが送った花かごの中に潜ませてあった蛇にかまれ、命を落としてしまう。
ソロルは、ニキヤを裏切った悔恨とともに罪悪感に苛まれ、婚礼の誓いの場で誓いをすることができず、神の怒りに触れ、ついに神殿が崩壊し、人々はすべて死に絶える。

単純とはいえ、これだけのことを言葉ではなく、その肉体にだけ託すのがバレエ。

いいオトコだけれど、不実なソロルに振り回されるニキヤの純真さ、くやしさ、嘆きが、がんがん伝わってきて、クラクラした。

身体能力が優れたちえさまが、バレエに出会ってはまった理由が、とてもよくわかった。
こんなに美しいスポーツは、ほかにないもんね。

神殿が崩壊したあとに、ニキヤとソロルの短いデュエットダンスがあって、ロミジュリのラストシーンみたい。そう、まるで宝塚💛
水香さんが、ちえさまのことが気になっていた理由も、なんとなくわかったような・・・(笑

音楽が、とてもドラマチックだった。
ナクソスで、しっかり復習中。

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posted by 風土倶楽部 at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする