2017年08月26日

ステージアラウンド 新感線「髑髏城の7人 鳥」

ゆりかもめ市場前駅の前には、灼熱の太陽にじりじり焼かれた砂漠が広がり、その向こうにIHIアラウンドステージの劇場がぽつんとあった。

1590年の乱世の関東平野にタイムスリップするには十分な設定だ。
やるねぇ。

私の席は、15列目の29番というまるで劇場のおへそみたいな場所。
舞台との距離は、ちょうどいい感じで、全体を見渡すことができた。
この劇場だと、あまり前方席だと、目が回るだろうし、せっかくの凝ったプロジェクションマッピングに浸れないかも?

ど真ん中だったためか、あまり席が回転しているという感じがせず、舞台展開が目の前でどんどん進行していくという感じだった。揺れも、ほぼ感じなかった。

何度も再演されているこの作品。宝塚でいえば、ベルばらみたいなもので、いろいろな人が演じることで、作品が変化し、見え方が変わっていくのが面白い。が、初めてみたとしても、物語はそんなに複雑ではないのでわかりやすい。

観劇後、2011年版を家でみて、復習してみた。

天魔王の森山未来、蘭兵衛の早乙女太一は、同じ役。
どちらもパワーアップしていた。特に太一の決め方が際立っていた。色っぽさも。
蘭兵衛の曼殊沙華の赤い花が描かれた衣装がステキ♡
白い花園の中を髑髏城に向かっていくシーンにぞくぞくしちゃう。

阿部サダヲの捨之介は、完全にサダヲ捨之介。予想も、期待も裏切っていなかった。
サダヲが天魔王をやったら、どうなるんだろう。悪役の方が観てみたかったかも。

それにしても、捨之介は蘭兵衛にずたずたに切られて、よく生きているなあ(笑
2011年版の小栗くんなんて、早霧にお腹を刺されているのに激しい立ち回りをしていた。
せっかく血しぶきを飛ばしたりして、ほかのこをとリアルにやっているんだから、あのあたりはなんとかならないのかしら(笑

極楽大夫の松雪泰子が妖艶で、こちらも期待通り。
歌も歌えちゃうなんて。知らなかった〜。

どうやら、花は、従来通りのシンプルな演出だったようで、今回は歌やダンスを少し取り入れ華を添えている。

毎回、新感線を観て思うのは、これはオリジナルの作品だけれど、2.5次元ものと同じ濃厚なファンタジーの香りがする。
劇画を舞台化したといったもの。時折、映画を観ているかのような錯覚さえ起きるときがある。
その劇画性を如実に現したものが激しい殺陣だ。

実際の切り合いが、こんなに美しいわけもなく、まるで究極のダンスのような殺陣。
こんな生の殺陣を見ることができるのは、新感線の舞台以外ないだろう。

3時間におよぶ芝居の中で、殺陣のシーンがかなりの部分を占めている。見せ場でもある。
こんなに激しい殺陣を怪我もなく、危うい一瞬もなく、どうやってこなしているのか不思議でならない。
中心的な役者も大変だけれど、受ける側の役者たちの技量は、それ以上なのかもしれない。
この殺陣があるから、物語がリアルになり、舞台に釘付けにされる。

戦国時代の関東平野にどっぷりと浸れる3時間。
しっかり楽しませてくれるはずれのない新感線だ。

風や月も観たくなっちゃったな〜

posted by 風土倶楽部 at 21:48| Comment(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

ハンス・ファラダ著「ベルリンに一人死す」

映画「ヒトラーへの285枚の葉書」の原作。
なぜか”ヒトラー”とタイトルの入った映画は気になる。が、見るのが怖い。ならば、原作を読んでしまおうと思ったら、なんと600ページに及ぶ長編!
ありゃりゃ・・・と本を手に取って、読み始めたら、すぐに引き込まれ、読書タイムの朝に夜に1940年半ばのベルリンを彷徨する羽目に。これが怖いのなんのって!幽霊なんかより、怖いのはやはり人間だわ。

ナチス政権下の恐怖と狂気が支配するベルリン。
少しでも失言したら、密告者に告発され、訊問を受け、少しでも反体制の匂いをさせたら、すぐに刑務所に入れられてしまう。そこに入ったら、おしまい。人格を蹂躙され、多くの場合、二度と出てこられない。出てきたとしても、一度疑われた人間ということで孤立させられる。

お互いに監視しあう日々。だれとも心を通わせることができない日々。
あたりまえの自由を望めば、疑いの目が集まってしまう。
そんな恐ろしい社会を毎朝、毎夜、疑似体験させられて、縮み上がってしまった。

作者のハンス・ファラダは、当時人気作家だったが、ナチスに協力をしなかったため、追い詰められ、精神的にかなり参ってしまい、病気になってしまった。終戦後、この本を書き上げた3か月後に亡くなったそうだ。
それだけに恐怖政治が支配する社会の描写のリアルなことと言ったら!

映画なら、2時間ほどで済む恐怖が、読了までの1週間も続いてしまった…

息子を戦争で奪われた労働者階級の夫婦が、息子を戦死に追い込んだのはナチス政権を生み出した自分たちなのだから、それを終わらせるのも自分たちだと、政権を批判する葉書を書き、ベルリンの街に置き始める。
2年以上かけて、285枚の葉書をばらまいたのに、267枚がゲシュタポの手に!
いかに市民が恐怖政治におびえていたかを物語る数字だ。

自由に息をすることさえはばかられるような日々の中、夫妻は、その不自由さを跳ね飛ばすように葉書を書き、街の片隅に置き始める。
それは人間らしい生き方を実践する第一歩だった。だが、命がけの。

私が、その時代のベルリンにいたとしたら・・・
積極的な密告者にはならないと思うが、できるだけ息をひそめて、体制の片隅に生きていることだろう。
が、自分の大切な人を殺されたり、大切な人が戦死したりしたら・・・

昨夜は、NHKでインパール作戦の愚かさを伝えるドキュメンタリーを放送していた。
かねてより、もっとも愚かな作戦と言われているインパール作戦。作戦とはいえ、物資の補給経路さえ確保せず、ただただ、兵士たちを繰り出し、5000人も兵士が戦死するころにはどうにかなっているだろうという適当なもの。

こうして殺された人たちが数万人もいる。
が、この作戦を糾弾したり、責任を追及することもなく、こうして、時折、テレビ番組で放送されるだけ。
90歳を越えた当時の生き残りの人たちが、当時の作戦を担った責任者たちの責任追及に声を上げた事実もない。(終戦直後は、生きることに必死だったとは思うが)

クヴァンゲル夫妻の行動が、ささやかではあるけれど、いかに勇気ある行動であることか!
最後に夫のオットーは、自分たちの行動は自分たちだけで行ったことが間違いだったと悟る。広がりを持てなかったのは仲間がいなかったからだと。
が、二人だったから、2年以上も続けることができたともいえる。

実在の人物をモデルにし、作者の経験をもとに書かれており、どんなにつらい目にあわされても、自分のとった行動に誇りをもち、最後の瞬間まで尊厳を保った人たちがいたことに胸が揺さぶられる小説だった。



posted by 風土倶楽部 at 16:29| Comment(0) | 記事掲載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

日本青年館 宝塚星組「阿弖流為」

日本青年館のこけら落とし公演「阿弖流為(あてるい)」の初日を観劇。まっさらな客席に座ってきました。
1階席センターの前方に座っていたので、後方席からの見え方はよくわからないけれど、列ごとに段差がついているので、視界はとても良好かと思う。
2階席は、センターに転落除けのバーがあって、それが舞台をとても見にくくしているらしく不評らしい。当然でしょう。

トイレが少なくて長蛇の列。今後、宝塚歌劇の上演が多くなるとしたら、改善してもらわないと・・・といっても、トイレの数をそう増やせるものでもなく・・・どうするんだろう。
周囲にビルがないので、同じ敷地内のホテルのトイレでも使うのだろうか。

昨日は、初日だったためか、飲み物の自販機がなく、テーブルを出して富士のなんとやらの水のボトルを1本200円で売っていた。冷やしてあるわけでもなく、なんだかサービスが全般に悪そうな印象。

背広の男性たちがロビーにやたらと立っていた。
事前に利用の多い女性の目線をちゃんと取り入れたのかしら。
立って飲んだり食べたりしている人たちをたくさん見かけた。丸テーブルを設置するとか、座れるスペースを作るとか、もう少し工夫がほしい。

さて、肝心の「阿弖流為」について

礼真琴(ことちゃん)をはじめ、星組の組子たちの熱い心が伝わる素晴らしい内容だった。
舞台奥のセットが開き、中央にことちゃんが現れるオープニングからのダンスのあたりは、ぞくぞくするほどステキだった。イキのいい娘っ子たちの美しいイケメンぶりが華やかさをまき散らしつつも、蝦夷の土着性も、ちゃんと感じられるほど力強いダンスだった。

蝦夷側のメンバーの一人ひとりの個性がちゃんと表現されていて、綾 凰華の母礼、天華 えまの飛良手、音咲 いつき、ひろ香 祐など、みんな好演。
阿弖流為と最後まで共に行動する母礼は、かなり美味しい役。ぶれない母礼を綾がかっこよく、でも出すぎず、絶妙のバランスで演じていた。

特に目を引いたのが、紀広純の輝咲 玲央。蝦夷征伐を目論む朝廷側の大将。押し出しが強く、朝廷の強大な権力を冒頭見せつけた。

鮮麻呂の壱城 あずさは、朝廷側になびきつつも、蝦夷の生き残りに命をかけるという複雑な立場で、蝦夷の心意気を貫く男の生きざまをきっちり演じきった。しーらん、やるやん、ええやん!と、びっくり。しーらんは、ついに代表作を得たね。

柚長さんが、桓武天皇にもびっくり!ぴったりでびっくり!

そして、スター性に目を惹きつけられたのが、瀬央ゆりあ(せおっち)。都で洗練された官僚であり、武人である田村麻呂の位置づけが立ち姿だけでもわかる。ことちゃんの阿弖流為に負けないオーラも、すごい!
田村麻呂が、魅力的でなかったら、阿弖流為のの命をかけた和議が引き立たなくなっちゃうもんね。
せおっちとことちゃん、いいコンビだ!

佳奈の有沙 瞳は、今回は、あまり見せ場がなかった。小柄だから、ことちゃんとの並びがとてもいい感じ。

舞台中央奥と両サイドのスクリーンに登場する地名や名前を映し、わかりやすくしている。
特に地名が耳慣れないものばかりだから、とても親切でわかりやすい。

15,6年前に、この物語に出てくる舞台のひとつとなった岩手県紫波町の循環型まちづくりに深くかかわっていた。当時、地元の人に阿弖流為を知っているかと聞かれ、初耳で、あわてて高橋克彦著「火怨ー北の燿星アテルイー」を読んだ。関西出身の私には、まったく知らない世界で、新しい日本史の見かたに目を見開かされた思いがした。

アラハバキの神など自然を信仰する阿弖流為たち蝦夷の思いこそ、日本人の心のふるさとだと、北上川や早池峰などの山々に囲まれた岩手で仕事をしていたときによく思ったものだった。
今回の星組公演「阿弖流為」には、そんな蝦夷の立場と心情がとてもわかりやすくシンプルに描かれていた。
蝦夷に生まれて幸せだったと言い残し、処刑される阿弖流為に素直に涙できるのは、阿弖流為と佳奈の恋に焦点をおかず、あくまでも阿弖流為や母礼、田村麻呂、鮮麻呂などの主要登場人物たちの生きざまを中心に描いているからだろう。

最近は、阿弖流為を主人公にして舞台化されることも多く、歌舞伎でも観たが、今回の宝塚星組版が、蝦夷たちの思いをとてもよく再現しており、いつか岩手県の阿弖流為と田村麻呂の足跡を訪ねて旅してみたいという思いに駆られた。

阿弖流為の故郷である岩手に仕事で関わっていたこと、日本青年館は、ことちゃんがちえさまに出会った劇場であること、そこでことちゃんが阿弖流為をやってくれたこと、勝手な思いだけれど、ぐるっとつながったような気がして、うるうるしてしまった。

いい作品だ!

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posted by 風土倶楽部 at 15:37| Comment(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする