2017年08月16日

ハンス・ファラダ著「ベルリンに一人死す」

映画「ヒトラーへの285枚の葉書」の原作。
なぜか”ヒトラー”とタイトルの入った映画は気になる。が、見るのが怖い。ならば、原作を読んでしまおうと思ったら、なんと600ページに及ぶ長編!
ありゃりゃ・・・と本を手に取って、読み始めたら、すぐに引き込まれ、読書タイムの朝に夜に1940年半ばのベルリンを彷徨する羽目に。これが怖いのなんのって!幽霊なんかより、怖いのはやはり人間だわ。

ナチス政権下の恐怖と狂気が支配するベルリン。
少しでも失言したら、密告者に告発され、訊問を受け、少しでも反体制の匂いをさせたら、すぐに刑務所に入れられてしまう。そこに入ったら、おしまい。人格を蹂躙され、多くの場合、二度と出てこられない。出てきたとしても、一度疑われた人間ということで孤立させられる。

お互いに監視しあう日々。だれとも心を通わせることができない日々。
あたりまえの自由を望めば、疑いの目が集まってしまう。
そんな恐ろしい社会を毎朝、毎夜、疑似体験させられて、縮み上がってしまった。

作者のハンス・ファラダは、当時人気作家だったが、ナチスに協力をしなかったため、追い詰められ、精神的にかなり参ってしまい、病気になってしまった。終戦後、この本を書き上げた3か月後に亡くなったそうだ。
それだけに恐怖政治が支配する社会の描写のリアルなことと言ったら!

映画なら、2時間ほどで済む恐怖が、読了までの1週間も続いてしまった…

息子を戦争で奪われた労働者階級の夫婦が、息子を戦死に追い込んだのはナチス政権を生み出した自分たちなのだから、それを終わらせるのも自分たちだと、政権を批判する葉書を書き、ベルリンの街に置き始める。
2年以上かけて、285枚の葉書をばらまいたのに、267枚がゲシュタポの手に!
いかに市民が恐怖政治におびえていたかを物語る数字だ。

自由に息をすることさえはばかられるような日々の中、夫妻は、その不自由さを跳ね飛ばすように葉書を書き、街の片隅に置き始める。
それは人間らしい生き方を実践する第一歩だった。だが、命がけの。

私が、その時代のベルリンにいたとしたら・・・
積極的な密告者にはならないと思うが、できるだけ息をひそめて、体制の片隅に生きていることだろう。
が、自分の大切な人を殺されたり、大切な人が戦死したりしたら・・・

昨夜は、NHKでインパール作戦の愚かさを伝えるドキュメンタリーを放送していた。
かねてより、もっとも愚かな作戦と言われているインパール作戦。作戦とはいえ、物資の補給経路さえ確保せず、ただただ、兵士たちを繰り出し、5000人も兵士が戦死するころにはどうにかなっているだろうという適当なもの。

こうして殺された人たちが数万人もいる。
が、この作戦を糾弾したり、責任を追及することもなく、こうして、時折、テレビ番組で放送されるだけ。
90歳を越えた当時の生き残りの人たちが、当時の作戦を担った責任者たちの責任追及に声を上げた事実もない。(終戦直後は、生きることに必死だったとは思うが)

クヴァンゲル夫妻の行動が、ささやかではあるけれど、いかに勇気ある行動であることか!
最後に夫のオットーは、自分たちの行動は自分たちだけで行ったことが間違いだったと悟る。広がりを持てなかったのは仲間がいなかったからだと。
が、二人だったから、2年以上も続けることができたともいえる。

実在の人物をモデルにし、作者の経験をもとに書かれており、どんなにつらい目にあわされても、自分のとった行動に誇りをもち、最後の瞬間まで尊厳を保った人たちがいたことに胸が揺さぶられる小説だった。



posted by 風土倶楽部 at 16:29| Comment(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする