2006年05月29日

山古志村の今

先日の桐生市への旅で、3ヶ月ぶりに黒保根地区に行ってきました。
2月に訪れたときにはきれいに手入れされていた小さな棚田がそのままになっていました。
当主のご老人が寝込まれたそうです。ああ、またしても・・・と。
ふと気になって、新潟の知人に山古志村の棚田はどうなっているのだろうと聞いてみました。

「一言で言えば、困難がたくさん」との答えが返ってきました。
景観が一変したところもあるし、被害自体は少なくても、そこに行き着くための道路がないところもあるそうです。
困難とは下記のようなものです。

1 コンクリート構造物などと違い、形を戻すのが物理的に困難であること。地盤ごと流されているし、土壌や水の流れも変わっている。

2 復旧工事が「そこ」へたどりつくまでにも数年を要すること。
  物理的に平場に近いほうから工事をすることになり、農地を優先するわけにはいかないこと。

3 復旧したとしても、永続的に営農できる保証がないこと。

今の農村の現状を考えると、3番が最大の課題かもしれません。
震災があってもなくても存在する農山村の構造的な問題(少子化、高齢化、人口流出)が根本にあります。
それでも、山古志の復興が中山間地の持続的発展のモデルになるべく、現地では地域の実情にあった営農体制のあり方を考えたり、景観を台無しにするコンクリート擁壁はできるだけ避けるとか、復興住宅も従来からのたたずまいに近い形のものにするとか、工夫や配慮をしているところだそうです。

本当は住まいと営農がセットになってこそ復旧が進む地域でも、今のところは生活再建の目処をたてることが最優先で、どうしても今日明日暮らしていくことにしか思いは至らぬ、ということになっても仕方がありません。でも、「生命力にはすごいものがある」そうです。

多くは来年になるようですが、すでに被害が少なかった中で比較的平らなところで一部作付けが始まっているとのこと。
そして、ほとんどの人が村に戻るつもりでいるそうです。
今年の秋には新しい小中学校が完成するのをきっかけに第一次帰村という運びになり、まだ帰れない人たちのために、長岡市内からスクールバスも出すとか。
営農も市内からの通勤農業も視野に入れられているそうです。とにかくできることからやっていく、ということのようです。

合併して長岡市になりましたが、山古志の名前は残ったそうです。
地域外の人の手もいずれ重要な役割を担うことになるでしょうが、今は、整備を進めるのが先決。
さまざまな課題が凝縮されているからこそ、山古志村が復活できれば、日本の農業も復活できる!
きっと、きっと、21世紀の、新しい100年続く棚田が出現する、させたいですね。
そのためにもLJ21は体力をつけなければ・・・。(あ)
posted by 風土倶楽部 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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