2006年06月11日

高崎の初夏の里山を味わう

上から10時の方向へ
ヤマジノホトトギス
クズ
ミツバ(茎のみ)  
ヨモギ
ヒメジオン

tenpura.jpg

先日、群馬県高崎市の山の中で摘んだいわゆる雑草たち。
天ぷらにして食べちゃいました。

tenpura2.jpg

高崎里山の会の会長である瀧田吉一さんは、地元の小学校の環境教育プログラムを里山をフィールドに長年にわたって実施しています。
その中の人気プログラムがこの天ぷらで山野草を食べちゃおうというもの。
用意も簡単、調理も簡単、その場ですぐに揚げて食べられる。
採れたてをいただきます!
それぞれの香りや味わいがほんのり残っていて、食が進みます。
こういう経験は子どもたちにとって里山を体で感じる貴重な体験となります。
子どもたちだけでなく、もちろん大人にも。
「食べる」ことで里山とつながりを持つことが一番自然なことですよね。

takasaki.jpg

ここが瀧田さんたちのフィールド。
ブルーベリーや梅などの果樹を植えて、食べられる里山に変身中。
が、夏は雑草との闘いです。天ぷらにしておいしく食べられるのも春から初夏にかけてだけ。
ただ、ただ、草刈に精を出す夏が始まりつつあります。

さて、この秋から高崎商科大学では新しく「地域創造」の授業が開講されます。
その皮切りとして、7月22日には同大学にて地域フォーラムが開催されます。
親子で探した高崎に残したいもの、親と子、それぞが写真で切り取ったものがテーマです。
どんなものが出てくるか、とても楽しみです。

今回はその事前調査として、同大学のある南八幡地区を歩いてみました。
一つ判明したこと。以前から群馬の人は石碑だとか石仏がどうして好きなんだろう(特に年配の方)と思っていたら、上毛三碑というのがあるんですねぇ。もちろん上毛かるたに読まれています。

群馬県はかつては上つ毛の国(かみつけのくに)と呼ばれ、古墳の数は2000基以上もあり、古くから開けたところだったようです。その証拠として代表されるのが上毛三碑と呼ばれる石碑です。その一つが今回、調査した地域にある金井沢碑で神亀三(726)年に作られたもの。

農家が石碑を洗濯石として使っていたところ、悪いことばかり起こるので現在の位置に祀られたとか。これは江戸時代のお話。
おかげで字の部分はかなり磨耗しています。

石碑の内容は屯倉(天皇の料地をあずかるひと)の役人の祖先が祖先と父母の菩提のために宗団をつくり、仏教に帰依し、供養したと書かれているそうです。確か学校で6世紀初めころに百済の聖明王が釈迦仏像と経典その他を朝廷に献上したのが仏教伝来のときとか習ったような記憶があるので、ということは約200年かかって上毛国に仏教は伝播してきたということなのでしょうか。

ラベル:地域調査 地元学
posted by 風土倶楽部 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 群馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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