2006年06月20日

サーフィンと漁業の意外な関係 と 「里という思想」

定住調査なるものに少し関わっています。
定住の条件とはなんでしょうか。
そこで安心して子育てができる、それが定住の一番の条件なのでしょうか?
その安心て何?
根無し草の私はどこに定住すればいいのか?
なぜ、東京に40年近く住んでいるのに定住という感覚が持てないのか。

昨日、内山節さんの勉強会「死についての思索 自然、共同体、記憶(歴史)に即して」に参加してきました。
勉強嫌いだけれど、内山さんのお話はなぜか聞き入ってしまいます。

命の循環がゆっくりと行われる村の景色の中で暮らしていると「これでいいのだ」と諒解する。土地=自然と人が結びついたときだけ、この諒解が起きると内山氏。個々の個体が死を迎えながらも、村という団体は続いていく。何代も前の人のことは直接伝わらないけれど、かつての人の暮らしがあって今の暮らしがあると実感できること、結局、続いていくということが安心につながるのだろう。

そういえば、少し前に菅野芳秀さんと吉本哲郎さんが「ともに生きる、ではなく、ともに死ぬ」ことが重要だと話していたことがあったっけ。

そのローカルの中でさえ死を失う現代。ついに死は科学にゆだねられてしまい、おまけに生の側にだけリアリティがあれば、なんでもアリの世界になってしまう。死の世界のリアリティがかつてはNO!と言わせた言葉を私たちは失いつつあると。
まさに構造計算の偽造も、村上ファンドも、エレベーターも同じ文脈の中にあるというわけです。
内山氏の話は、いつもながら深く納得させられるとともに、なぜか癒されるのです。

かがり火の編集長の菅原歓一さんとは、根無し草友の会みたいなもの。前回の勉強会でも、結局、私たちは都市生活者はどうしたらいいのかとため息をつきあいました。今回も二次会で「どーしよう」と話していたら、内山さんから「野垂れ死の美学というのもあるよ(大うけ)」と。
甲斐さんは高千穂と周防大島があるから、なんか余裕の構え。悔しい・・・。

しかし、都市生活者は漂流者だと考えてばかりもいられない。
友人と長屋研究会(仮称)なるものを立ち上げようかとたくらんでいるところです。
コーポラティブではなく、長屋です。

なお、今回の勉強会は新潮選書から刊行されている「里という思想」が参考文献でした。
まだ読んでいませんが、たぶんお薦め本です。

さて、表題のサーフィンと漁業の意外な関係。ぜんぜん今日の話と関係ないじゃない!と言われそうですが、関係ないといえばないかも。

サーファーは波が命、だから海のそばで暮らしたい。できればサーフィンをやりながら生活したい。漁業は晴れた、海が穏やかな日が漁には最適。海が荒れればお休み。海が荒れればサーファーは大喜び。というわけで、サーファーで漁業に飛び込んでいく人が少なからずいると久しぶりに会った若い友人から聞きました。友人の弟さんがまさにその1人というわけで、おまけに地元で彼女もできて結婚するかもとのこと。これが定住の始まり、ですかね。

兄弟で海と関わる仕事をこれから自分たちで作っていこうとしているそうです。
おばさんは、どこかのKおじさんと一緒で最近、この手の話にすこぶる弱いです。
何かしてあげたくなってしまいます。
でも、根無し草だから、腰に力が入んないのだ。大地に根をおろしたーい!
諦めが悪いだけなのかな。

posted by Luna at 00:00| Comment(6) | TrackBack(1) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
都市生活者でもなく、農家の娘で完全田舎者なのに、結婚もせず漂流している私です(笑)。ここ、笑うとこだからわらってくださいね。実家が田舎にある、という文脈はあるけれども、そこが自分の戻れる場所か、よりどころに成りうるのか、そこが死に場所かというのは、私の場合はまだまだわかりません。誰とどこでつながって生きていくのか。まだ嫁に行くこともあきらめていないので、女性の場合は結婚するまでわからないような気がするし、結婚することをあきらめないうちにはわからないような気がするし。今度おねえさまに相談にのっていただきたく思いました。
余談ですが、中学校時代に好きだった人が、大学時代に会ったらサーファーになっていて、台風が来ていやだなーと思っているとなりで、目をキラキラ輝かせて、天気予報の台風情報を見ていたのを思い出しました。たくさん書き込んでごめんなさい
Posted by morichi at 2006年06月24日 22:53
おねえさまは、この問題に関してはまったく役立たずです。結婚をあきらめてもまだわかりませんから(笑)。ここ、笑うとこです。
まあ、心の赴くままに、ということでしょうか。
Posted by またの名をハニークィーン at 2006年06月26日 00:05
なんか、見てはいけないものを見てしまったような……ここ、笑うところだから笑ってくださいね。きのうの「こもんず」リキ入れて書いたので読んでください。

それから、たまたま今日発見したんですが、5月1日の朝日1面の「水俣病50年」の記事の写真の中に相思社のえんどーさんが写っていましたね。
Posted by kaiです at 2006年07月07日 15:54
ご無沙汰しておりますm(__)m 亀コメントでごめんなさい。僕も根無し草です。

『「里」という思想』のご紹介をありがとうございました。慣例の北海道詣での道中に読み進めました。「そう、そうなんだよなぁ〜!」とうなずきながら。なかなか言葉で伝えることのできなかった考えをきちんと表現していただいたようで、とても嬉しかったです。多くの人に読んで欲しいな。

それにしても・・・・こういう考えって、理解し共感できる人がどんどん少なくなっているのではないかな?内山さんの視点は、<風>の視点だとは思うけど。
今年度取り組んでいる森の体験学習では、ノコギリを上手く使える中学生が少ないし、周りのスギ林を先人が植えて育てたことすら知らない生徒が多いし・・・・<市場経済>恐るべし。

蛇足ですが、「東京オリンピックが転機で、生活様式がどんどん変わっていった」と我が町ではよく聞きます。内山さんが紡ぐ世界を実感できるのは、もうギリギリのような気がしています。
Posted by happyisland at 2006年08月07日 01:32
おお!お久しぶりです。
住田町と聞くだけで涼しそう。

「里という思想」、私も読みました。
期待通りの内容でした。
癒されつつも、ますます、私ってどうしたらいいの…状態です。
先祖の祀り方さえも、ちゃんと受け継いでいない。都会のコンクリート部屋でパソコンに向かっている場合なのか…と時々焦ります。

パソコンって仕事をしたつもりになれる、怪しい箱らしいです。それをついに持って歩くハメになったワタシャ、いったい何なんでしょ。
Posted by あさだ at 2006年08月07日 14:09
はじめまして。
内山節さんの勉強会、いいですね。
機会があれば、ぜひ参加してみたいです。
(トラックバックをさせていただきました。内山さんの『時間についての十二章』についての記事です)
Posted by ふらら at 2006年08月21日 10:47
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