
初めてみました。
「まさき」といって、山ぶどうの葉を干してたたいたものです。
くず米を粉にして、「まさもち」を作るつなぎにしていました。
中にはサツマイモやかぼちゃ、あずきなどを入れたり、味噌をつけて食べたとか。
浜の方に持っていって売っていたこともあったそうです。
もしやと思い、岡山県奥津町のお仲間がまとめた食の資料を引っ張り出してみたら、ありました!
山菜のキクバヤマボクチや山ぶどうの葉を同じように綿状にして、餅とつくときに茹でて混ぜてつくとあります。
かの地ではぶどう餅というそうです。
東北では聞いたことがなかったです。
ぶどう餅で検索してみたら、ぶどうの粒のカタチを指していたり、ワインが入っていたりで別物。
ぶどう餅と「まさもち」、かなり気になります。
甘くくすんだような鄙びた香りがします。
何かいいものかも!ということで分析してもらったら、「単なる繊維だけだった」と徳五郎さんは落胆した口調。
いいじゃないですか。
香りや味、食感が楽しめるのなら。
なんでも少しずついろいろなものをバランスよく食べれば、食べ物はすべて薬ですから。
山には野生の茶の木があって、番茶にして、これも浜との物々交換の品物の一つだったとか。
浜との交流がけっこうあったみたいで、その辺りのことをもっと調べると面白そうです。
松の葉とか笹は、その場で採って、炭焼きの火にかざしてヤカンにつっこんでお茶として飲んだそうで、ワイルドティーだあ。
今までぼたん鍋も、いのしし汁もあまりおいしいと思ったことはなかったけれど、これはイケマス。
大きな丼一杯一気に食べちゃいました。
兎の食べ方を応用して、日本酒に一晩浸すことで、肉をやわらかくして、臭みをとることができたそうです。
さすがあ!
次にウマイ!と思ったのは呉汁です。
豆腐をつくるときの呉をそのまま使うということです。
中には大根やにんじん、平茸などが入っています。味は味噌でつけるので、要するに大豆づくしです。
おからも食べちゃうわけだから、無駄がないです。
どうやらこの辺りでは、よく出てくる料理のようで、これまた鳥取県地産地消の資料に出ていました。
ひと手間の威力はすごいです。
次回からは、ミルを使ってしまいそうです。
やってみて、つくってくださった方たちのありがたみがようやくわかりました。
あらためてご馳走さまでした。
この呉汁に、かつてはズイキやドジョウを入れて食べたそうです。泥くさくて嫌いだったという方、いや、ここにドジョウが入っていればもっとおいしいはずという方、思い出の味は二分されていました。
田んぼの水を落とす10月ごろが一番脂がのっておいしかったという方も。
さて、そのドジョウは今ではほとんどいなくなったそうです。理由は、昭和50〜60年ごろに特に強力な土壌殺菌剤(まさにドジョウ殺菌?)などの農薬を蒔いたためではないかということです。ただ、最近は減農薬になったためか、少し戻ってきているとのこと。
イノシシは、この数年急増中。電柵もほとんどきかないそうで、大豆をつくっても食べられてしまうことがほとんどだそうです。
今では家でつくる豆腐や味噌用の大豆を作るのが精一杯。
イノシシのおかげで豆腐小屋での自家製豆腐も風前のともし火というわけです。
余談ですが、今年の春、私の故郷の近く、西宮市あたりの河川でウリボウが親からはぐれてしまい、川床の段差を越えられないで右往左往しているのを放っておけ、いや、かわいそうだから保護しろとか大騒ぎになっていました。
テレビの報道をみながら、「あほらし!」と思っていた人がずいぶんいたはず。
私なんて、最近は我が国の自給率と世界の食糧情勢を鑑み、食糧難になったときに心強いイノシシの増え方だと考えちょりました。ただ、あっという間に食い尽くされてしまいそうですけれどねぇ。人間が一番コワイ。
問題は、イノシシが増え、熊が里に下りてくることが多くなる一方で人間が減りつつあることです。
人間が減るのは増えすぎたのだから仕方がないとして、偏って生息していることに問題があるのです。
では、どのように過疎と過密をシャッフルして、配分をうまくバランスを取るか。
おまけにただ、バランスよく生息するだけでなく、先人の知恵や技術、すなわち文化をどのように受け継いでいくか。
問題はここなのです。
かつては山の頂上付近まで田んぼと畑が広がっていました。
今ではススキが目立ちます。
田んぼが休耕田になり、手入れが行き届かなくなったころから、イノシシが増え始めたような気がするとか。

こちらから見る扇ノ山は、すっかり葉を落とし、ところどころ黒く見えるのは天然杉だけれど、見えない側は広葉樹をすべて針葉樹に変えてしまっているということです。どうやら山の裏側は風景がかなり違うようです。
ということはイノシシや熊の食べ物が不足しているということ…。
かつては、ずいぶん山奥まで農作業で入っていても、熊に遭遇することはほとんどなかったそうです。
柿を取ろうとして、枝を折った後です。
落ちても、猫みたいにぜんぜん平気だそうです。
地元の方はマムシを見つけると、通り過ぎることができません。
まるで習性のようです。
全員、車を止めて、飛び降りて、ゲット!
徳五郎さん、ぜんぜん平気です。
でも、最近は熊にやられてしまうことが多いそうです。
集落の変遷の中で、山が荒れ、田畑が放置され、人が減り、イノシシが増えるという未だかつてなかった大きな転機を迎えています。日本中がそんな転機に直面しているけれど、深く静かに進行しているから、気づかない。気づいていても、なんとなく過ぎてしまっている。だって、格差社会出現なんて言っているけれど、まだまだそこそこみんな豊かなんですから。
高齢者は、子どものころや若いころ、山を歩いて越えて学校に行ったり、お父さんの手伝いで炭焼きしたりと、自然と向き合う日々を体験しています。それは今の私たちが想像しようと思ってもできないような体力、忍耐、気力が必要だった時代。おまけに戦争体験もあります。だから、65歳ぐらい以上の方は、今の便利で平和な世の中をより一層楽しんでいる、そんなふうに感じることがよくあります。
この方たちが去った後、日本人が積み重ねてきた数千年の記憶、特に日本の世界でも稀に見る豊かさを秘めた自然との付き合い方の記憶は消えてしまうのでしょうか。
10年後、日本は、外見だけ日本、そんな国になりかけているような気がしてなりません。
文化の重さをひしと感じる2006年の晩秋です。

さて、上地地区のレポート、次回は「水使い」です。





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