「ギリシャに消えた嘘」☆☆・・・
「太陽がいっぱい」を書いたパトリシア・ハイスミスの作品の映画化というので触手が伸びた。
が、遠く及ばず、がっかり。詐欺師のチェスターに巻き込まれてしまうアメリカ人のガイドの青年ライダルが、原作では、本当にイエール大学の学生で、考古学の教授である父親に厳しく育てられたお坊ちゃま。優秀な一家の中でなんとなく萎縮していた彼がギリシャで、亡くなったばかりの父親にどこか面影が似ているチェスターに惹かれ…という話らしい。が、映画では、ギリシャ語の堪能なライダルが、ガイドをしながら、お客からマージンを姑息な手段で得ているという設定で、不良青年にしか見えない。だから、父親とチェスターの関連性が生きてこないし、ライダルの人間性がつかめないまま、チェスター、ライダル、チェスターの妻のコレットの堕ちていく道行となる。素材がいいのに、かなり残念な映画になっちゃいましたね。
ライダル役のオスカー・アイザックが、そもそもアメリカ人に見えない。グアテマラ出身だそうで…(笑
「マリー・アントワネットに別れを告げて」☆☆・・・
1789年7月14日からの数日間の宮殿内の様子を、王妃の朗読係を中心にドキュメンタリータッチに描いている。宝塚のおかげで、1789年は、バスティーユ陥落に始まるフランス革命の年としっかりインプットされてしまっている。オスカルさまとアンドレの亡くなった年なのだ(笑
公式サイトには、「本物のヴェルサイユ宮殿でのロケを敢行し、時代の香りを余すところなく伝えた。一方で、衣装やメイクは当時の豪華さに、現代風のアレンジも加えて再現、単なる歴史の記録ではなく、2012年にも通じるゴージャスな世界観を提示した。」とあるけれど、そのアプローチが間違えている。
ヴェルサイユ宮殿でロケをし、時代の香りを余すところなく伝えたつもりなら、細部も、しっかり当時を再現してほしかった。「2012年にも通じるゴージャスな世界観」は必要ない。
公式サイトには、ストーリーのところに以下のような文章が掲載されている。
「王妃からは「ポリニャック夫人の身代わりに。」という思いもよらぬ非情な命令を受ける。
踏みにじられた愛、身を引き裂く嫉妬、生命の危険──果たして、果たして、シドニーの最後の選択とは──?」
ここから物語が始まるのかと思いきや、これ、最後の10分ほどの間のことだけ。詐欺です。
シドニーの最後の選択って、なんにもないけど…
だって、単なる朗読係の小間使いに選択肢なんてない。ポリニャック夫人は革命を生き延びたから、かえってよかったんじゃないのかしら。
革命側の作成した首をちょん切るリストが宮殿内を駆け巡り、あたふたする貴族の能天気なところが一番面白かった。情報のない当時だと、いよいよ民衆が攻めてくるというときになって初めて本当の危機を知るという感じだったのかも。
王妃はポリニャック夫人とレズみたいな描かれ方をしているけれど、フェルゼンはどうした?(笑
この映画の原作であるシャンタル・トマの「王妃に別れを告げて」(白水社刊)を読んだ方が面白いかも。
ちえさまがインスタグラムで「キンキーブーツのビリーポーターさんが通しにいらっしゃった💗
この方、本当に凄かった」とつぶやいていて、「キンキー・ブーツ」が気になったので観た。
面白いやん!
このドラッグクィーンのローラをやった方なのね。
ストーリーは、傾いた靴工場をローラと、オーナーのチャーリーがすったもんだしながら再生するという、お定まりのもの。コメディだから、気軽に楽しめるし、ローラのステージがロンドンのおかまショーを垣間見ているようで面白かった。
「偏見を捨てよう!」「いったいなにができるっていうんだい!と言わないようにしよう!」
まあ、わかりやすいメッセージが直球で飛んでくる。
ちえさまはいよいよ来週の明日が初日。ドキドキわくわくそわそわ…だわ〜。
びっくりマークみたいなお顔が多いせいか、ますます目が大きくなっているようなちえさま。毎日刺激的なんだろうなあ…
私は、どうやっても力が入らない。気分が乗らない。
なので、手当たり次第、観劇と映画に走っている…
2015年10月15日
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