2016年12月17日

新国立劇場マンスリープロジェクトと東京芸術劇場「紛争地域から生まれた演劇」

シェイクスピアは、つい、気になって手をだしちゃう。
今回の「ヘンリー4世」も、浦井くんがハル王子?B作がフォルスタッフ?面白そうじゃないの…というノリだったし。
と、演劇好きの友人に言ったら、もともと大衆演劇だったのだから、軽い気分で見るのでよいのだと。
そういわれると、なんだかほっとする。

でも、やっぱりちょっとお勉強してみようかなと、新国立劇場マンスリープロジェクトの「ヘンリー4世の魅力と、いま日本語でシェイクスピアを演じるということ」を聞いた。

世界でただ一人37作品全部を演出したという演出家の出口典雄氏による講義。
その出口氏が1975年に旗揚げしたシェイクスピアシアターのために全戯曲を翻訳したのが小田島雄志氏。
宝塚のシェイクスピア作品をやるときに監修しているからというわけではないけれど、シェイクスピアの訳といえば、小田島氏だと思っていたのだけれど、福田恆存氏とかなりバトルがあったそう。
知らなかった〜。

日本人は詩を語ったことがないのだが、英語圏の戯曲は詩と散文に分かれている。
確かに!
舞台で詩を語っているのなんて見たことがないけれど、シェイクスピアの戯曲には、あちこちに詩が出てくる。
だから、日本語でやるときには、演出家主導で読み方をつくらないといけないんだそうな。
そもそも最初に翻訳した坪内逍遥が、詩と散文を分けて訳してなかったそうで…
日本人にとっての詩というのは、俳句や和歌だから、朗々と読み上げる詩とはかなり大きな違いがある。
あのシェイクスピアの饒舌さには、詩も入っているから、なのかな。
小田島氏は詩人だから、そうした部分をうまく訳すことができたそうな。

言葉が状況を決定していく。
そういう意味でシェイクスピアは、観客に親切ともいえる。

シェイクスピアの作品には、権力と恋に取りつかれた人々が必ず出てくる。
権力や恋が絶対的なもので、それらにとりつかれて、取り違えたり、間違えして物語が進む。
ロミオとジュリエットなんて、恋に取りつかれた10代の若者が3日間で人生のすべてを知り、人生を終えていく話だ。


そして、ハムレットは後ろ向きに前に進むんだとか。

うーむ・・・わかったような、わからないような・・・でも、なんとなくわかる。

シェイクスピアは、相対的に物事を見ていく。
いいは悪い、悪いはいい・・・てな感じで価値の相対化をする。

さて、お気に召すままはどうなんだろう。
ちゃんと最初から最後まで観たことがないお芝居なのよね〜。
シェイクスピアは、比喩が多くて、セリフが膨大だから、観ている方もエネルギーがいる。
ちえさまが出ていなければ、あまり触手は伸びなかったかも。


「紛争地域から生まれた演劇」のイランの作品を観劇。これって、観劇なんだろうか…70人ほどの観客が、初めて台本を手にする役者と脚本に翻弄されながら、進行するというもの。作者は、兵役を拒否したため国外に出られない若手作家。自由を求めて、演劇の脚本で行けるところまで行こうというもの。行けるところって、どこ?この変わった脚本は世界20か国以上で上演され、あのラミン・カリムルーも、BWで演じたというので好奇心を刺激されてしまった。もちろん寝ている暇なんてなかった(笑 抑圧されている状態とは、こういうことか〜みたいな感覚を少し味わったような気がする。ほんの少しだけどね。
日本は平和だな〜。


posted by 風土倶楽部 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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