2017年05月08日

実写版「美女と野獣」と〜かつて書いた文章〜

アニメで十分ステキだったのに、なぜ実写版も作っちゃおうと思うんだろう…
膨大なエネルギーをかけて。

とか思いつつ、結局、見ちゃうんだな〜。

まあ、これだけよくアニメの世界観を実写化したものだ。
ガストンがアニメ版とそっくりで内心可笑しくて仕方がなかった。

とても素敵な作品に仕上がっていた。
新しいビーストの歌も、切なくて泣けた。
お母さんが疫病にかかり、赤ちゃんだった娘を生き延びさせるために、父娘が母を置き去りにしたというつらいエピソードも追加されていた。
あまりにも悲惨・・・

とても素敵なおとぎ話しなんだけれど、アニメのときから気になっていたことがある。
ベルが自分はほかの人と違うと言いながら、本を手放せない娘だという設定。

無知蒙昧な村人たちと発明家親子のインテリぶりの対比が、イマイチすっきりしないのだ。
父を愛する気持ち、素直な感性をもった美しい娘の冒険譚ではダメなんだろうか。
本を読むことが夢見がちな娘ということを意味しているんだろうけれど…

2011年に私が宝塚に十数年ぶりに出会ったのが、当時の月組の「バラの国の王子」だった。
このおかげで、この1年後にちえさまに出会えたのだ。
なので、私にとっては「美女と野獣」はちょっとしたエポックメーキングな題材。

ヅカの設定が少し違い、コワい姉が二人いたような(笑 シンデレラと合体ね。
王子の呪いも、悪い魔女によってかけられて、真実の愛を見つけると解けるとか…眠れる森の美女と合体ね。

ヅカではよくある合体(笑
でも、さすがによく考えられていると思った。これはありだね、と。
もちろんヅカなので、単純明快な内容だった。

自由で平等の国アメリカ人の発想の中には、なんだかよくわからない選民意識みたいなのが時折顔を出してきて、興味深い。
日本人の中にそういうものがあまり出てこないのは、先の大戦で徹底的に叩かれてつぶされたから、なんだろうか。。。

友人にかつて連載していた記事を読ませてくれと言われたので、読み直してみたら、自分でもよく書けているのに驚いた。書くために取材もしたし、本も読み漁り、ほんの見開き2ページの記事のために10日間くらい苦しみぬいた記憶がある。あまりにつらくて、その割には雀の涙ほどの原稿料だったので、5年ほどで降りてしまった。季刊誌での連載だったから、できたようなものだ。
あのころのエネルギーは、もうないのかなあ、と思いつつも、好きなことには邁進してるやん…ともう一人の私がささやく。

あ、邁進しているか。エネルギーの置き所が違っちゃったのね。

posted by 風土倶楽部 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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