2017年07月15日

梅田芸術劇場「グレート・ギャツビー」

なにが物足りないのだろう…

井上ギャツビーは、ひたむきにデイジーを愛する男をまっすぐに演じているし、
ねねデイジーのかわいさときたら、そのままねねドールにして持ち帰りたいくらいだし、
ころちゃん、まりも、AKANELIVさん、渚さんとOGの活躍には、さすが!と思わせられるし、

なのに、ドキドキワクワクしない。
なぜ、なぜなの〜?

ねねちゃんがいると、どうしてもちえさまを連想してしまうからかもしれない。

小池氏のデイジーは、ひたすら可憐で、浮気性な夫に悩む自立できない女。
映画の「華麗なるギャツビー」のミア・ファーロー演じるデイジーは、もっと我儘で、自己中心的で、世間知らずで、あまり自分の生き方に疑問を抱かない上流階級のオンナだったっけ。

小池ギャツビーのデイジーの人間像が、「かわいいだけのオンナでいる方が幸せなのよ」といったセリフに代表されるように受け身だから、物足りないのかもしれない。
小池氏が求めるデイジー像に、ねねちゃんはしっかり応えてはいる。

もう少し毒があってもいいのになあと思った。
そのほうが、まりもの演じるマートルのあがきが鮮明になるのではないだろうか。

音楽が新進気鋭のリチャード・オベラッカーの全曲書下ろし。
聴いていると、宝塚の音楽家たちがいかに優秀かがよくわかる。
かならず心にひっかかるフレーズや、歌詞がどこかに残るような曲作りをしている。
リチャード・オベラッカー氏は、英語の歌詞をもとに曲を作ったのだろうか。

そこは音楽に乗せなくてもよいのでは?といったところが歌になっていた。
もともと日本語は音楽に乗りにくい。
そのあたりがうまくこなれていないような気がした。
なんとなく酔えない。入っていけない曲ばかりだった。

小池氏、やっぱり忙しすぎるのかな…。


posted by 風土倶楽部 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観劇日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック