読了して、ささやかな達成感を味わっているところです。
思い返せば、この本が出版されたころ、ロンドンにいた私のもとに、赤い上巻と緑の下巻(なんだかきつねとたぬきみたいだ・・・と春樹風につぶやいてしまう 笑)の単行本が友人から送られてきました。
もともと村上春樹には、羊をめぐる冒険などに手を出したものの、あまり馴染めずな私だったので、わざわざ送ってきてくれたのに、小包の封をあけて、かなりがっかりした記憶があります。
だって、せっかく英語の勉強のためにロンドンにいるのに、なぜ赤と緑の本を今、「ロンドン」で読まなければならんのだ!
そして、帰るときの荷物が増える。
でも、わざわざ送ってきてくれたし〜と、ちょっと読んでみたけれど、やっぱり馴染めず・・・
が、しかし、ずっと気になって頭の隅に残っていたこのタイトル。
送ってきてくれた人は、たぶんもう私のことを忘れていると思う。
でも、村上春樹という名前を聞いたり、見たりするたびに、頭の中に浮かび上がるあの赤と緑の本の表紙。
「ノールウェイの森」
というわけで、これはこの妙な脳への焼き付けを消してしまうには、読むしかないとようやく読み始めました。
が、結局、読み終わるまでに3ヶ月くらいかかってしまった。
やっぱり春樹は、ダメだ・・・笑
1960年から70年にかけてが舞台。
ノンポリの学生の恋愛物語だけれど、やたらと「死」の匂いが立ちこめている。
そういえば、このころ作られた日本映画も、同じような匂いのものがけっこうあったな、と。
そういう時代だったのかな。
村上氏がこの本を書いたのは1987年ごろ。
読んでみて思ったのは、時代の匂いが立ちこめた小説だなと
そうして、思ったのは、からだも、こころも、強靱さには個体差があるということ。
35年かけて、いろいろ乗り越えて思う
この小説から、感じたのは、ワタナベくんや、永沢くんや緑のように強靱でなければ、生命は続かないということ。
35年かけて読んでよかったと思いました 笑
村上氏が、この本を書いた当時、かなりぞっこんだったというのがフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」
本の中にも、引用が出てきたりする。
「ノールウェイの森」を読了したころに、奇しくも宝塚大劇場で、月組による「グレート・ギャツビー」が開幕。
観てきました。
映画は、ロバート・レッドフォード版とディカプリオ版を両方見たことがあります。
本も、読んだことがあります。
小池修一郎氏による脚本・演出の月組公演は、相変わらずとてもうまくまとめられていて、とてもよかったです。
「グレート・ギャツビー」には、自殺するような人は出てこない。
むしろ、全員、生きることにむちゃくちゃ前向き。
永沢くんタイプばかり 笑
春樹ファンじゃないから、村上氏はギャツビーのどこにそんなに惹かれるところがあるのかなと不思議に思っちゃいました。
そういえば、1Q84も、チャレンジしてみたけれど、1巻目でギブアップしたっけ 笑
ダメとわかっていても、何度でもチャレンジする私、けっこうチャレンジャーだな