思わず前に腰を下ろして、一緒にお茶でもしたくなりました。
みなさんも、しばしのひとときなごんでくださいまし。
気になってはいたけれど、なかなかいつもゆっくり見ている暇がない。
六臂像は坐像あるいは半跏像で6本の手のうちの2本に如意宝珠と法輪を持っているのが基本だけれど、右手を頬に当てたのみの思惟像も多くみかけられる。如意宝珠はなんでもかなえてくれるドラえもんのポケットみたいなもので、法輪は煩悩を打ち砕くためのものだそうで、アメとムチをもちながら、「どうやって救ってあげようかねぇ」と考えておられるお姿ということなんでしょうか。
こんな素敵なほほえみを絶やさないキャラクターを石でつくって、昔の人は家のすぐそばに置いて、一緒に悩んだり、ときには相談したりしていたのかなあ。この余裕の微笑みを彫った人の腕もなかなかのもの。
そうそう、このあたりはお墓が家のすぐそばや庭の中にあって、つい最近建てたぴっかぴっかの黒御影石のお墓と、苔むした文字も定かでない石碑だか、墓碑だかわらかないものがたくさん一緒に置いてある。要するにお墓と一緒に暮らしがあるというわけ。
「これって、いつからあるんですか?」
「さあ、わかんねぇなあ。考えてみたこともないよ」
というのが、地元の人のたいていの答えだ。
この家は裏庭に石碑と石仏が点在していた。
先日、うちの実家の兵庫県西宮市のある墓苑で売り出していた永代供養の墓はほんの1uほどで200万円ほどしていた。その1uに100名近い応募があって抽選だったとか。都会ではお墓にもお金がないと入れないのだ・・・。山に灰を撒いてもらいましょうかね。(あ)




