2017年03月17日

「ボディー・スナッチャー 恐怖の街」

お昼を食べながら、BSプレミアムの「ボディ・スナッチャー 恐怖の街」(監督: ドン・シーゲル 1956年製作)をなんとなく見ていて、びーっくり!
手塚治虫をはじめ、60年代から始まったSFのマンガやテレビのウルトラマンをはじめとするSFドラマのネタ元やん!
知らなかった〜!

子どものときに読んだ手塚治虫の吸血鬼の話。
どんどんみんなが吸血鬼になっていき、この映画と同じように恋人同士が逃げるけれど、最後は女性が吸血鬼になってしまい(いや、彼女は最初からそうだったんだっけ?)、最後の人類になってしまった男性に「あなたも私たちの仲間になればいい」という。その誘いを拒否し、彼は自ら命を絶つ。人類として生きるために。
というストーリーに感動し、強烈に印象に残った。

宇宙からの未知の生物によって、どんどん人間が乗っ取られていく恐怖。
56年製作なのに、恐怖がひしひしと伝わってくる。

が、意味不明な死体のような宇宙人を前に、まずは落ち着こうと、コーヒーやお酒をカウンターで飲むシーンには、当時のイケイケのアメリカの余裕が感じられたりして面白い(笑

女優も男優も、典型的な美男美女。

巨大な種で繁殖する宇宙人の生態が面白い。植物だと、繁殖しはじめたら、恐ろしい勢いではびこっていく。
クローバーやミントって、ひょっとして宇宙人か(笑
あのドラマも、あのマンガも、これがベース・・・だなんて、なんだか衝撃だったなあ。

今なら、ウィルスによる感染症でパンデミックとなり、まさにバイオハザードだ。
古典的傑作が現代にちゃんと息づき続けているってすごい。
それだけ普遍的なテーマなんだろう。
宇宙生物やウイルスでなくても、周囲のどんどん考え方が変化して、自分だけが取り残されてしまうような恐怖は、どんなときにもある。

偶然だったけれど、見れてよかった。
原作はジャック・フィニィが55年に発表したSFスリラー小説
原作を読んでみたくなった。

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2017年03月16日

LALALAND

イキのいい音楽とダンスで始まったオープニングには、おっ!楽しそう!と、ちょっと「ヘアスプレイ」みたいなのり?なんて思って期待したんだけれど・・・

二人の恋が進行するにしたがって眠気が襲ってきて、プラネタリウムでふわふわ浮かびながら、歌っているころには、夢の中になってしまった。

恋をしなくなって久しいから、こういうふわふわラブリーな感覚を忘れてしまったのかも。

どうして彼女が女優として大成功をおさめたあと、彼らが続かなかったのか。
どこでどう間違えたのか。
その集大成ともいえるラストシーン。
イチゴに砂糖とハチミツをかけたようなあまーいシーンだった。

人生、そういうこともあるよね・・・

どこでどうしたって最後は独りさ、ということを知ってしまったオバハンには、あまり酔えない映画だった。
きっといい映画なんだと思う。でも、まったくテイストが合わなかった。

アカデミー賞を受賞した映画と、本屋大賞を受賞した本には手を出してはいけないというセオリーを忘れていました。


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2017年03月02日

ブラナー・シアター・ライブ「冬物語」

恵比寿のガーデンシネマにて、ブラナー・シアター・ライブ「冬物語」を鑑賞。
たまーに英語の演劇をむしょうに観たくなる。
英語も、わからへんのに・・・変な奴だ。

30年前にイギリスに1年いたとき、観劇しまくったなつかしさがそうさせるのか?
観たくなる英語の芝居は、決まって英国のものだから。

冬物語、面白かった〜。
寝てしまうかと思ったら、ちゃんと覚醒していた。
特に1幕。シシリア王リオンディーズが嫉妬に狂い始めて、どんどん周囲の人間たちを不幸にしていく過程がスリリングで見入ってしまった。
シェイクスピアの芝居は、なにかにトチくるってしまった、憑りつかれてしまった人間が周囲を巻き込んで物語が進むのが定番だそうだ。

確かに・・・あんな人がいたら、迷惑だ。特に家族はたまったもんじゃない。
それまでラブラブしていたのに、親友が自国に帰るというのを引き留めているうちに、夫が一生懸命引き留めているから(いや、妻に、君からも頼めと言っていたはず)、妻も、熱心に引き留めていたら、「もしや二人は愛し合っている?」と嫉妬の気持ちが芽生え・・・そこからは怒涛のごとく嫉妬に狂いだす。

人間関係なんて、そんなものかもしれない。
ちょっとボタンを掛け間違えただけで、どんどん気持ちが離れていってしまう。
私は、そんな友人との関係を何度も体験している。

怒涛の1幕から、一転2幕は、王リオンディーズが引き起こした不幸の16年後。
1幕の悲劇に比べ、こちらはわりに明るい。後悔に苛まれるリオンディーズに訪れる幸せなひとときとは?

いろいろあって、最終的には和解するんだけれど、王の息子と寵臣アンティゴナスは命を落とし、帰らない。
その悲しみを一番感じるのは、ジュディ・デンチ扮するアンティゴナスの妻であるポーリーナだ。
007のMとしてもかっこいいジュディさん。ここでも、王を恐れず、一貫して王をアホだ、バカだとののしるかっこよさ。夫を失っても、大きな愛ですべてを包み込む。彼女は、「時」の化身でもあるようだ。
結局、「時」がすべてを溶かし融和させる、ということなのかな。

シェイクスピアのセリフは、登場人物の頭の中をすべてさらけだすから、わかりやすいというのを聞いたことがある。そう思ってセリフを聞いていると、確かに全部吐露している(笑 なるほどね。だから饒舌なわけね。
ちえさまが膨大なセリフで大変だったのは、このためなのだ。
目線でものを言うとか、一言で察するなんていうのはない。

面白いなあ。

英語のセリフにはリズムがあって、やはり日本語で聞いているのとまったく印象が違う。
映画だから、訳がかなり短くされているためもあるかと思うけれど、セリフが長いと感じなかった。

舞台設定は、シェイクスピアの時代のセリフはそのままに(たぶん)、時代は20世紀初頭みたいな感じだった。冒頭にフィルムでシシリア王とボヘミア王の幼少時代の仲の良さを観たりするシーンがあったから。

お気に召すままは、アメリカ人による演出。
やはりイギリス人の方が、シェイクスピアに関しては一枚上手なんじゃないかな。

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2017年01月25日

「リバティ・バランスを射った男」

1962年製作、ジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを射った男」

BSプレミアムでお昼に放送していたのを録画して見た。
なにも期待せず、なぜ録画したのかもよくわからず…。
が、見られてよかった。

傑作だった。

お昼のBSは、なぜか頻繁に西部劇を放送している。
解説には、傑作、注目作、などの文言が散見され、ほんまかいな…といつも思っていた。
西部劇は、特に見たいジャンルでもないし。

が、これは、素晴らしい作品だった。

南北戦争も終わり、アメリカがいよいよ近代化に向かって歩み始めたころのお話。
無法時代の名残の色濃い西部の街にやってきた弁護士になりたてのランス。街の入り口でリバティ・バランスが率いる荒くれ者たちにみぐるみはがされてしまう。牧場主のトムと、彼を慕うレストランの給仕ハリーに助けられるが、このまま泣き寝入りするのではなく、法で裁きたいと考える。

字の読めないハリーに法律書を読ませ、読めるのが当たり前という態度のランス。
近代化の先端をゆくランスと、まだ昔のままの街の人たちとのやりとりが随所にいろいろなエピソードで仕込まれていて、時代背景がとてもわかりやすい。

字の読めない人が多いのに、新聞社を一人で立ち上げ、新聞を発行しているダットン・ピーボディ編集長の気骨も面白い。

牧場主のトムは、銃の名手。ハリーを嫁に迎えるためにひそかに家を増築している。
開拓者の成功者の一人だけれど、牧場を拡大するなどの新しい波には乗り切れていない。

登場人物の一人ひとりのキャラが、とても明確で、物語の進行もスピードがあり、どんどん引き込まれてしまった。

中盤、意外な展開で、ランスは街の代表者に祀り上げられ、中央の政界への足掛かりをつかむ。
その裏には…

というのが、あっと驚くラストシーンになる。

ジョン・フォード監督、すごいじゃないですか。
そして、ちょっとお腹の出たジョン・ウェイン。ぐずぐずしているから、ハリーの気持ちをつかみ損ねてしまう。不器用で、♡のある男。はじめて、ジョン・ウェイン、ええやん、と思った。

こんな傑作を放送してくれるBSプレミアムは、エライ!(笑

堪能いたしました。

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2016年12月24日

「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」

ううっ💧

まさか、スターウォーズで泣く日が来るとは・・・

でも、泣けた〜。

T〜Vは、ずっと惰性で見ていた状態だし、「スター・ウォーズ フォースの覚醒」なんて、ぜんぜん覚醒しないで、気絶しそうだったもん。

ついに、ついに「帝国の逆襲」以来の感動と満足感を味わう日が来た!
スター・ウォーズは、WとXを越えられないと思っていた。
が、ついに並ぶ作品が登場!

これを見たかったのよね〜。

登場人物たちの人生が凝縮して描かれていて、夢がないといえばいえないことはないけれど、背負っているものから逃れようとしながらも、フォースの命ずるままに自分のなすべきことに立ち向かっていく。

ううっ・・・また、泣いちゃう。

あ、それって、「バイオハザード ヴォイス・オブ・ガイア」のちえリサたちと一緒だ…

と、いつものようにちえさまに戻っていく私。


もとい!
ローグ・ワンは、はぐれものといった意味があるそうな。
1977年、1980年のスター・ウォーズのはぐれものは、ハンソロだったけれど、2016年のはぐれものは女性のジン。
ジンの強いまなざしにやられた〜。囮になったりして、ハードな任務をこなしていた男たちを従えて、敵地に乗り込んでいくところが、もうちえリサ!

あ〜、また、ちえさまに戻っちゃう。

でも、結局、そういう時代なんだろうな〜。
オンナはお茶汲みという時代に社会に出た私としては、隔世の感あり。

ラストの美しい海のシーンが、胸に迫って、泣いてしまった。
そして、エピソードWへの橋渡し。

完璧やん♡

そりゃあ、ツッコミどころはある。
ドニー・イェンが、棒で戦っちゃうところも、考えてみれば、そりゃあムリだろう、なんだけれど、ドニーがやっているから、納得。そして、ちえリサもゾンビと棒で戦っていたし…。

いろいろと符合の多い「ローグ・ワン」と「バイオハザード・ミュージカル」
などと考えているのは、世界中で私だけだろうな〜。

ま、いっか。

とにかく、スター・ウォーズが、また、私の元に戻ってきてくれたといううれしさに昨日から浸っている。
そして、エピソードWをもちろん鑑賞。
全部持っていると思っていたら、なぜかUだけない・・・ま、なくていいけど。

今までの3倍くらい楽しめた。
あの設計図は、ジンやキャシアンたちが命を賭けてゲットしたものなんだ!と思うだけで、何倍もドキドキした。

39年の時を隔てて、大きな環が閉じて、スター・ウォーズは希望をつなぐ話だったのだと思い至った。

ありがとう、ローグ・ワン!



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2016年11月01日

東京国際フィルムフェスティバル「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」

超高齢化社会で100歳越えがごろごろいる時代に突入しつつある。
我が家の90歳の口癖は「90歳にならないと、このつらさはわからへん」
自分のわがままを通すときに錦の御旗のごとくこの言葉を必ずいう。
そして、「つらい、痛い、あちこち痛い」と、日々つぶやいて、じっと横になっている。

90歳になってみないとわからない・・・心の中で「そら、わからへんわ…」とつぶやいてしまう。
じゃあ、100歳を越えちゃった人は、どうなるのだ?毎日、つらい、つらいと言いながら生きているのか?

そんなことを毎日考えるようになって出会ったのが笹本恒子さんだった。
テレビ番組で観た恒子さまは、大腿骨を骨折したため車いす生活を余儀なくさせられてはいるけれど、お肌つやつやで、はつらつとしておられた。

そんな恒子さまのドキュメンタリー映画ができたというので、思わず飛びついてしまった。
おまけに上映後に記者会見まであるとのこと。
生の恒子さまを見ることができる稀有なこの機会を逃す手はない!と。

本物も、やっぱりすごいパワーだった。頭脳明晰、言葉も明瞭。
「私、102歳になっちゃったのよ。うふ」

「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」
二人の人生を駆け足で辿り、現在と重ね合わせるドキュメンタリー。
一番印象的だったのは、笹本さんが住んでいたマンションの1室から、ベランダ越しに目の前に広がる都心部の風景を見ながら、「死にたくなるようなこともあった」(といったような言葉だったかと)とおっしゃっていたこと。そりゃあ101年も生きていたら、いろいろあるのは当然。でも、なんだかほっとするような一瞬だった。
とても強い意志で生き抜いてきた笹本さん。そんな人にも、もちろん山あり、谷ありだったのだと。

むのさんの反戦を強く訴える生き方は、とてもわかりやすく力強かった。
ただ、シールズを出したのは、かなり疑問。単なる大学生たちとの対談にしてほしかった。

「笑う・・・」というタイトルがついているのだけれど、むのさんの最後の様子が衝撃的。
一度は死線をさまよいつつも、復活。その37日後に逝去。
画面では、少なくとも「笑う」状態ではなかった。

上映が終わってからの記者会見で、観客から、まさにこの部分の質問があり、会場に来ておられた息子さんが「最後に微笑んで亡くなりました」とあったので、救われた気がした。が、映画だけ観る人にとっては、やはり疑問が残るだろう。

監督によれば、どう死ぬかが最大の課題になっている今、泣きながら生まれ、笑いながら死ぬという仏教の言葉を問いかけたかったそうな。

101歳を生き抜いたお二人の生命力と前向きな気力には、勇気をもらえたけれど、「笑う」という部分は、映画からはあまり伝わってこなかった。
記者会見に登場した笹本さんのほほえみを一目みれたことの方が大きかったかな。



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2016年08月26日

「神なるオオカミ」

2016年(今年やん…)製作の中仏合作の映画「神なるオオカミ」
TSUTAYAでふと目に留まったので。

日本では絶滅してしまったオオカミ。
生態系の頂点がいなくなったおかげで鹿もイノシシも増え放題。
人間が増えてどんどん山野を浸食している間は、そのバランスの悪さが顕在化しなかったけれど、今や、森は荒れ果て(一応緑豊かに見えてはいるけれど)、人の暮らしがケモノたちに脅かされる事態に・・・

日本は山がちな国だから、その荒廃ぶりはわかりにくいけれど、映画の舞台になったモンゴルは草原がほとんどだから、とってもわかりやすい。

この映画では、オオカミは徹底的に美しい気高い生き物として描かれている。
本能に従い、大自然の中でその役割をはたしている。
人間もその大自然の一部であるかぎり、オオカミとは対等に命を張り合う。

が、そこに外から、金と生業を求めて人間がなだれこんできたときに何が起こるのか。
お定まりの自然の破壊。そして、オオカミの生息を脅かす。
どこでも同じことを繰り返していくのが人間。

舞台は、文化大革命の時代。辺境の地に下方されたインテリ青年が、オオカミに魅せられてしまう。
オオカミの子どもを間引いていくことに耐えられず、1匹の子犬(オオカミの)をこっそり育て始める。
都会の男というのは、どこの国も同じだな〜。
やたらと感動するけれど、自分の価値観は捨てずに、草原の民の暮らしを引っ掻き回していく。
そこに、政府の役人(下っ端だけど)が主任として赴任してきて、開発を推進していく。

この両者の愚かさが、同じ量で描かれているのに好感をもった。
迷惑するのは草原の民とオオカミ。
でも、結局、草原の民は、開発者と手を組み、新しい時代を築くことに踏み出していく。

中国とフランスという現実派の民が作った映画だなあ。
日本だと、もっとウェットな内容になっちゃいそう。

25年ほど前にモンゴルに釣りに行ったときに、現地で人を襲うようなケモノはいないと言われたので、イトウ釣りに夢中になっていたけれど、この映画をみて、あれ?モンゴルにオオカミがいるやん・・・

ググってみたら、いる。準絶滅危惧種だけれど、いる。

ということは・・・あのときもいたのか。。。
誰もいない川べりで魚を釣ったり、草原でうろうろしたり、漆黒の闇の中で星空を眺めていたりしたっけ。

オオカミのいる自然、いない自然。
ずいぶん受ける印象が違うものだ。

ところで、映画の中でモンゴルに中国の役人(漢人)が来るのも気になって、これもググってみて驚いた。
近代のモンゴル史は、僧侶が数万人単位で処刑されたりと虐殺の歴史でもある。
この映画の草原の民たちと漢人たちとの関係性に納得。

25年ほど前に行ったときは、ウランバートルは淋しい街だったけれど、現在は、きっと近代的なビルが立ち並んでいるのだろうなあ。
近代化と人の幸せ、近代化と自然の在り方、いろいろなことを考えされられる映画だった。

ぜんぜん眠くならなったから、☆☆☆☆☆


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2016年08月22日

「海街diary」と「誰も知らない」

是枝監督の作品を続けて2つ見た。

「海街diary」
見ている間、何度もうるうるしてしまった。
ほかに女をつくって家を出ていってしまった父。
その父に反発して、やはり家を放りだした母。
残った鎌倉の古い家に暮らす3人姉妹。そこに亡くなった父が遺した母違いの妹を受け入れて…
というお話。
両親がいなくなっても、祖母が丁寧に暮らした家があり、そこで3人と一人の新しい暮らしが育まれていく。
家族が肩を寄せ合い、思い出をつくっていけば、そこにちゃんと家族の物語が紡がれていくのだな〜としみじみ。
末の妹が少しずつ居場所としてこの家に馴染んでいく様子が丁寧に描かれていて、彼女が、その家までの階段を上っていくようなシーンに出会うたびに思わず涙腺が緩んだ。
知らない家族の話なのに、なぜか懐かしくなって仕方がないという不思議な映画だった。
小津タッチの気負わない、静かな映像と会話が心地よかった。

「誰も知らない」
こちらは、無責任な母が父親の違う子どもを4人も生んで、お金を置いて、長男にすべてを任せて出奔してしまうという実話をもとにしたもの。
2DKくらいの古いアパートの1室が、子どもたちの唯一の居場所。大家に大勢の子どもがいることがバレテはいけないので、下の3人は窓から顔を出すことさえ母親に禁じられてしまう。
出生届を出していないから、学校にも行けない。いや、母親は学校に行っても仕方がないと行かせない。
母のいない日中は、4人の子どもたちだけの世界。やがて母が子供たちを置き去りにしていなくなってしまったら、ますます4人だけの暮らしに。
それでも4人は、不自由をものともせず、暮らしていく。
福祉関係に訴えれば?という大人もいるのに、4人でいたいからと、長男は12歳(ということになっている)の知恵を駆使して、弟と妹のめんどうをみる。
目の離せない驚きの内容だった。
ラストも、彼らは淡々と「誰も知らない」世界の中で生き続けていくことを選択する。
YOUが、あまりにもぴったりの母親役で、リアリティがありすぎ(笑
それにしても、子どもたちの演技の自然なことに驚く。
次男は福くんかと思ったら、違う子だった。
柳楽くんがカンヌ映画祭で最年少で主演男優賞を受賞ということだったけれど、これは取っちゃうよね。

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2016年08月21日

衝撃的な「シン・ゴジラ」

「シン・ゴジラ」、すごい映画だ!
怪獣映画だと思ったら大間違い。
社会風刺の映画なのだ。

だから、子供向きではない。
たぶん見てもわからない。子どもにはつまらない映画だと思う。

冒頭、海が沸騰し、なにが起こっているかわからないところから、完全に引き込まれた。
ゴジラに、ではなく、人間たちのドタバタぶりに、だ。

3.11直後の日本政府は、これ以上にドタバタだったんだろうなあ。

この映画のすごいところは、ゴジラに一切の感情移入を観客にさせないところにある。
目玉をむき出しにしたまったく可愛げのかけらもない生物として描くことで、「敵」というのもに対処するとはどういうことかが鮮明になる。

国を守るとは、防衛とは、外交とは、組織とは…が次々に突き付けられていく。
ものすごくよく練られた展開で、見ている間中、なぜかワクワクしてしまった。

このワクワク感はなんなのかしら。

ひえ〜、面白いやん!!!
これこれ、こういう映画を待っていたのよ!
と拍手喝さいしたい気分だった。
ある種のシミュレーション感満載。隣のアホな国とか、広大な領地を持っているのにもっと欲しがる大国とか、仮想敵には困らないもんね。

人間の罪業を一身に背負ったゴジラが醜いのは当然。
あれは人間そのものなのだ。

星新一のショート・ショートに、大きな穴が発見され、どこまで深いかわからないほど。そこに人々がいろいろなものを投げ込むようになった。巨大な底知れないゴミ捨て場だ。ある日、空から、ゴミがポツンと落ちてくる。ふと、あのショート・ショートを思い出した。

やしおり作戦なんて、突然言うから、「なに?それ?」と。
観客は、みんなわかっているのか?
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するときに飲ませた酒のことだそうで・・・

どこまでも日本にこだわった、日本への愛にあふれた映画だ。
もし、若くしてみたら、自衛隊に行かねば!と思ったかもしれない。
が、かなり組織論的なアプローチが多いから、子どもにはわかんないかもなあ〜。

早く無人の飛行機をたくさん作っておかないとね〜。
ゴジラより、手ごわい敵が日本の回りにはたくさんいるから。

私のお気に入りは、石原さとみちゃんの米国大統領特使。
さとみちゃんも、いつの間にか三十路近くなって、妖艶になってきたのね。
英語をがんばっていて、よくやった!

ネイティブの日本語のできる女優がやればよかったという意見もあるけれど、やはりここはさとみちゃんで。
祖母が広島出身という設定が泣かせる。
オリンピックをみていると、国籍がずいぶん曖昧になってきつつあると実感。
愛ゆえにいろいろな人種がミックスされて、生まれた場所、育った場所、そこで出会った人々に支えられて、その国の一員として最善を尽くす。

さとみちゃんの役どころは、なかなか意味深だと思う。
ラストは、シン・ゴジラ2を予感させる終わり方になっているから、次回は大統領にさとみちゃん、日本の総理に長谷川くんがなっている状況というのがありかも。いや、ぜひ、それでお願いします!(笑
謎の博士も、そのままだしね。まるでポケモンの「博士に送る」の博士みたいだ。

庵野さんという人も、エヴァンゲリオンも、まったく知らないばあやですが、これはエヴァなるものを見なくっちゃと思った。
若い人が、こういう視点を持った人が作ったものに深く心を寄せているというところをきちんと理解していないと、本当の日本の行く末がわからないから。

シン・ゴジラで、ゴジラトークしながら、国防や、自衛隊について語る、っていいなあ。
でも、セリフがものすごく早くて、ついていくのが大変だったから、もう一度観ないとなあ・・・

これって、戦略?



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2016年07月21日

BSプレミアム「太陽」

「太陽」傑作だ!
こんな脚本が書ける人がいるとは!

蜷川幸雄の演出だった「太陽2068」が気になっていた。

近未来のSFではあるけれど、普遍的なテーマがたくさん盛り込まれていて、すべてのシーン、セリフに目が離せない。

そもそも設定がすごい!
正体不明のウィルスによって、太陽の光を浴びることができなくなったノクスと呼ばれる新人類。
反面、病気に強く、頭脳明晰。寿命が旧人類の何倍にもなる。

そんな人類が誕生したがゆえに旧人類は、旧型とか骨董的人種キュリオと呼ばれ、ノクスに牛耳られ、貧しい生活を強いられることになる。
が、太陽の下で食力の生産ができるのはキュリオだけ。

人は、すべてのものを手にすることはできない。ならば、なにを選択して生きていくのか。なにに誇りを感じて生きていくのか。
あらゆる根源的な問いが盛り込まれている。

夜の世界だけにしか生きられず、夜明けを見ることのないノクス。
ラスト近くにキュリオの一人が、夜明けと日の沈むのを感じられてこそ1日を生きたことになるのだというようなセリフがあった。1日をしっかり生きてこそ、本当の生を感じることができるのだと。
そして、なにものにも頼らず、自らの手で明日を生き抜いていこうという決意がキュリオに生まれる。

すごい脚本だ。

映画化されているので、こちらも見てみようかな。
神木くんが鉄平なら、かなり期待できそう。
でも、やはり舞台だからこそのセリフの際立ちってあるからな〜。

次回、舞台があったら、ぜひ、観に行こう!


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2016年07月17日

WOWOW「タンゴ、冬の終わりに」「火のようにさみしい姉がいて」「嵐が丘」

2週間前から、右半身に電流が走るような痛みがあって、医者に行ったら、「帯状疱疹かと思う。が、発疹が出てからでないと治療ができない」と言われた。1週間ほどして、痛みが和らいだのでしめしめ、これで終わりか?と思っていたら、プツンと虫刺されのようなものが胸に現れ、少しずつ増えて・・・これが痛いのなんのって!
ウワサには聞いていたけれど、帯状疱疹って、こんなに痛いものだったのね〜。
皮膚科の医者に駆け込んで、薬をもらい、とにかく安静にしていろと言われたので、ちょうど溜まっている録画を観ることにした。

見ていても痛いんだけどね・・・とほほ。

なので集中力がイマイチで、語れるほどのものもないから、簡単な感想だけ。

舞台を映像の録画で見るのは、やっぱり邪道だと思う。
ちょっと気になっていた舞台が、立て続けにWOWOWで放送された。

「タンゴ、冬の終わりに」「火のようにさみしい姉がいて」「嵐が丘」「ジャンヌ・ダルク」「ひょっこりひょうたん島」

この5舞台を録画してみて、観に行けばよかったなあと思ったのは、「ジャンヌ・ダルク」かな。

清水邦夫脚本、行定勲演出「タンゴ、冬の終わりに」、蜷川幸雄演出「火のようにさみしい姉がいて」は、とてもよく似た内容で、どちらも役者の熱演に迫るものはあった。が、しかし、私は、果たして本当に演劇が好きなんだろうか…という自分への疑問を突き付けられたような芝居だった。

どちらも主役が落ちぶれつつある役者、それをサポートする女優の妻や愛人という設定。
役者って因果なショウバイなんだなあ・・・
現実と虚構の中で、なにが真実なのか、嘘なのかが混沌としていく。
それはそれで面白いんだけれど、その混沌の中の狂気が見ているものに対して不安感を与えていき、足元が崩れていくような気持ちの悪さがあった。
まあ、人間はどこかに狂気を孕んでいるものだから、そういうものを目の前に抽出して見せられてしまうと気分がよいものではないのかも。

「タンゴ・・・」の方は、三上博史が本人なのか、役なのかわからないぐちょぐちょ汗まみれ状態で、ひたすら見るのに疲れた。妻役が大好きな神野三鈴じゃなければ、最後まで行き着つけなかった(笑

「火のように・・・」の方は、段田安則がすごすぎて、宮沢りえも、大竹しのぶも、すごすぎて、目が離せないすごい舞台だった。特に大竹の目つきは、夢に出てきそう。
似たような設定だったけれど、こちらの方が内容はわかりやすかった。時の流れの中に置いてけぼりになるものと、追い越してしまうもの、いつまでも変わらないものと、激変するもの、それがオセロのセリフと重ねあわせて綴られるという、かなり高尚なセリフ回しなので、私のような商業演劇好きには少々荷が重かった。が、それなりに面白かった。でも、観に行ってたら、途中で寝ちゃっていたかも。

「嵐が丘」は、脚本・演出がG2.おお!バイオハザードと同じだぞ、というのでチェック。
昔は、この小説が面白いと思ったんだけど、今ではなにが面白いのかよくわからなくなった。
30年ほど前に、この小説が生まれたブロンテ姉妹の家を観に行って、いろいろ納得したからだと思う。
とにかくヒースの丘が続く、暗い閉塞された場所だったのだ。現代のように情報があふれている世界とは違い、隔絶された因習に満ちた世界の中で、才能だけを胸に悶々と暮らすブロンテ姉妹の表現者としてのはけ口が小説で、そこに自分のロマンをぶち込んだんだろうなあ〜と。
あの家と、その周辺を体感して、ものすごく腑に落ちたのだ。要するに欲求不満小説ね(笑

それをこの時代に舞台化する意味って、正直言ってまったくわからなかった。
堀北真希と山本耕史の出会いの舞台なのよね〜という目でしか見られなかった(笑
戸田恵子のうまさには、ちょっとびっくりしたけど。
堀北真希の妖しい美しさにも。山本耕史が夢中になるのもよくわかる。

「ひょっこりひょうたん島」は、観に行かなくてよかった〜、と心底思った。10分ほどでギブアップしちゃった。

「もっと泣いてよ、フラッパー」も。
六本木の自由劇場に通っていたころは、狭い空間で、時には最前列に座り、役者が目の前で楽器を演奏してくれるのを見上げていたっけ。そんな熱気を知っていたから、Bunkamuraで上演され始めるようになって、行ってみて、かなりがっかりしたのを思い出した。あの小劇場の舞台空間が、本当に好きだった。吉田日出子や笹野崇史が触れることができそうな近さで導いてくれる虚構の、とてつもなく楽しい魅力的な空間。あ〜、懐かしいなあ。もう二度と味わうことができないだろうなあ。余貴美子も、かわいかったのよね〜。
と、録画を見ながら思って、30分でギブアップ。


やっぱり私には、わかりやすい舞台がぴったりなのよね。
昨日は、痛みがかなり軽くなったと思ったのに、今日は、また、痛い。
ゾンビ化した水疱瘡菌のやつめが、胸に噛みついているイメージだわ〜。


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2016年07月14日

WOWOW 有村架純初主演「ジャンヌ・ダルク」

WOWOWで録画したものを鑑賞。
脚本・中島かずき、さすがだ。
暗い史劇をオリジナル脚本で、ここまで緊張感を孕みつつ怒涛のストーリーになっている。
登場人物の立ち位置が明確だから、すごくわかりやすい。
白井晃の演出も、ストーリーの流れがものすごくスムーズ。
おまけに100人の出演者によるイギリス軍とフランス軍のボリューム感が、民衆や軍隊というもののコワさを醸し出していて、すごい舞台設定と演出だと思った。

初主演の有村は、いっぱいいっぱいでやっているのが手に取るようにわかった。
それが必ずしも悪いわけではなく、ジャンヌのいたいけなさと力強さが、有村の現状と重なり、一定の相乗効果を上げていたように思う。この役は、やはり有村の年齢くらいでないとリアリティがなくなるから、舞台女優として初主演になりやすい役だろうなあ。
火刑台に上るシーンは、神々しいものがあった。

2010年には、堀北真希が演じたのね。なるほど〜。
架純とは、まったく違ったジャンヌになったことだろう。なんとなく想像できる(笑

東山紀之は、優柔不断なシャルル7世を、普段のカッコつけキャラを出さずにやっていて、面白かった。
ラストに王として独り立ちするシーンが見せ場ね。

ジャンヌをいじめる(笑)「悪役」ともいえる田山涼成、西岡徳馬のご両人がさすがの演技。
大人の社会っていやね、架純ジャンヌ、がんばれ!と思わせてくれた。

高橋ひとみがな〜・・・

ところで中島かずきの脚本では、シャルルとジャンヌが兄妹。ジャンヌは淫乱王妃として有名だったシャルル7世の母イザボーの生んだ妹という設定。兄がフランスの王として民衆に認めてもらえるようにあえて火刑の道を選ぶというストーリーになっている。
フランスの歴史、特にこの時代の歴史に馴染みがないから、ストーリーにこの血のつながりを入れることで、ジャンヌの心情がわかりやすくなった。フランス国民としてというよりも、シャルル7世の妹として、命をかけてフランスを救いたいという心情に泣かされる。

演出も、舞台美術も、音楽も、脚本も極上の舞台だった。
こんな「器」の中で初主演できた架純ちゃんは幸せな役者だ。
この後、「ビリギャル」だったのかな?


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2016年05月29日

WOWOW蜷川氏追悼番組「天保12年のシェイクスピア」

WOWOWで放送された蜷川氏追悼番組「天保12年のシェイクスピア」の録画を観た。
2005年公演。

江戸時代の宿場町でのヤクザの抗争を舞台に、シェイクスピアの37作品のすべてのパーツを取り入れた井上ひさし作。
なんと4時間!
舞台の映像を家で鑑賞するというのは邪道だな…とよく思う。
だって劇場という閉ざされた空間で、舞台の設定にトリップするわけではないから。
そう、いろいろ気が散るのだ。眠気に対する抵抗力も、きわめて低くなる(笑

何度も寝落ちして、何度も寝落ちしたところに戻り、ようやく完了。
途切れ途切れに見る舞台は、やはり舞台じゃないよね。
(ちえさまご出演の作品だと、ちょっと観よ…がやめられなくなり、そのまま最後までがよくあるんだけど)

蜷川氏の演出作品をほとんど見たことがないので、なにも語れないんだけど…
出演の役者たちが、なんだか楽しそうにやっているなあ〜と思った。
あまりにも楽しそうなんで、勝手にやれば〜、とちょっと引いてしまったほど。
生の舞台だと一緒に楽しめたのかな。

シェイクスピアの作品に盛り込まれた要素をつなぎ合わせれば、いくつも作品ができちゃうはず。
それをあえて全部つなぎ合わせてみた・・・その真意はなんだったんだろう。

面白くないわけじゃないけれど、だから?
人間の愚かさが、これでもかってくらい提示され、いくつかは笑いに変換されているけれど、全体的には、役者の熱演が目立てば目立つほど、冷めて見てしまう舞台だった。
越後の三世次(唐沢寿明)が銭ゲバみたいなキャラで、言葉を巧みに操り、人の心の弱さに付け込んでいく。
予想外の人が、わりにあっけなくバタバタ死んでいき、あら、この役者さんは、もう出てこないの?というほど贅沢な使い方がされていた。さすが蜷川演出(笑

このお芝居は、キャスティングした時点でほぼ完成している、そんな印象を受けた。そのぐらいみなさんイメージ通りの役だった。いい意味でも、残念な意味でも、この役者なら、こんな演技をするだろうな、をまったく裏切られることはなかったから。
最後に付録として、稽古場の風景が放映されていたけれど、いつになく和気あいあいな稽古場だったとのこと。
そりゃあ、そうだろうね。

夏木マリも、白石かずこも、藤原竜也も、吉田鋼太郎も、そのまんまやん。
唐沢くん、がんばってた。
毬谷友子が、情感豊かでとてもよかった。
篠原涼子は、舞台向きじゃないなあ。テレビの方がよいと思う。
高橋恵子と西岡徳馬が出てくると目が覚めた。

ぶっちゅはほとんどなかったけれど、三世次と女郎の濡れ場にびっくりした。
江戸時代の猥雑な世界観を表出できた大きな功績は、あの女優さんの勇気と度胸だと思う。
いつまでも記憶に残る乳房だ・・・

当時は、今みたいに芝居三昧できない状況にいたから、この作品が上演されていたのも知らなかったけれど、知らなくてよかったかも(笑 

いのうえひでのり演出版もあるらしく、そちらもちょこっと見てみたいなあ。

劇中であの有名なセリフ「 to be or not to be that is the question 」の今までのほぼすべての訳を藤原竜也のがセリフで言う場面があった。なるほどね〜。いろいろあるのね。

井上氏も、蜷川氏も鬼籍かあ。一番感じたのは時の流れ、だった。



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2016年04月16日

METライブビューイング(WOWOW)「マリア・ストゥアルダ」

ディドナートさん、すごい!!!

WOWOWで放送されたドニゼッティの「マリア・ストゥアルダ」を鑑賞。
どうもチューダー朝ものに弱い…つい見てしまう。

昨年のNYでの初METも「アンナ・ボレーナ」だった。

ジョイス・ディドナートは、ライブビューイングのMC役をいくつかの作品でやっていたので、特徴的な顔はばっちり覚えていたけれど、お歌は先日の「湖上の美人」で初めて。あのときも上手い人だなあとは思ったけれど、このマリアはひたすらすごい!素人の私でもわかるほど超絶技巧の歌唱法の上に、表現力が加わり、そのうえ、演技力も細やかで、死に向かうスコットランド女王の心情がひたひたひしひしと迫ってきて、釘づけにされた。

ディドナートが、インタビューの中で「稽古のときには、演技あるいは歌唱のどちらかに集中するようにして、本番では、毎回何が起こるかわからないから、流れに沿って両方を融合させる」といったようなことを言っていた。ものすごい技術があるからこそ、ここまで迫真の演技と歌唱が可能になるのね。

エリザベス役のエルザ・デン・ファン・ヒーヴァーのソプラノの迫力もすごかった。まだ、若い人みたいで、これがMET初出演とは思えない貫禄。
インタビューの中で演出家のデイヴィッド・マクヴィガーが、お品のない女王で…とリクエストしたとか。
ちゃんとお品のない、男勝りな、絶対もてそうにない女王像になっていた(笑
二人の間でうろうろするレスター伯爵も、大変だなあ〜と思いました、はい。演出家の思惑通り?

演出も、この重い作品内容に合わせて、白、黒に近いグレー、赤を基調に舞台がセットされ、人間の思惑が単純な色の中で鮮明に浮かび上がるようになっている。
緞帳が血塗られたライオンと鷲(よね?)。これも象徴的。

3幕の牢獄の場から、処刑場に至るシーンは、見ている側が息苦しくなる。
ドニゼッティは、「アンナ・ボレーナ」も同じような流れの作品で、こういうシチュエーションが好きなん?
どうしてこんなに究極の深刻なシーンを音楽化しようと思うのかしら・・・
魂の浄化を表現したいのかなあ。

確かにマリアの魂が浄化され、処刑台に向かうシーンには、ある種のカタルシスがあった。
ベルサイユのばらのマリー・アントワネットが「さようなら、パリ。さようなら、ベルサイユ。さようなら、フランス!」と残して断頭台を上っていくシーンと重なっちゃった。

ん?それでええのか?(笑

しかし、何回も観たくなるオペラじゃないよね〜。
重すぎるもん。
欧米の人、特にイギリス人にとっては、イングランドとスコットランドの統一は重要な歴史的なポイントなんだな、きっと。日本人の関ケ原の戦いとか、源平合戦とかと同じような「ここははずせないでしょ」的な…
政治的、宗教的対立とフランス文化と英国文化の対比、そして、そこに女心が複雑に絡み合う。
やっぱりやめられないチューダー朝だわ〜。

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2016年04月15日

マシュー・ボーンの「眠れる森の美女」ル・シネマ

はるか昔、ロンドン滞在中に、ミュージカルやら、芝居やら、見まくっていたころ、バレエも観てみるかと「くるみ割り人形」を観劇したのだけれど、「ふーん・・・」で終わってしまった。
以来、どうも食わず嫌いのバレエ。

このところWOWOWでマリインスキーの「眠れる森の美女」や「ロミオとジュリエット」を鑑賞。とっても美しいのだけれど、ぜんぜん心に響かない。ちえさまの愛したバレエは、私には向かないのだ…と思っていた。

そんな私が、マシューンボーンの「眠れる森の美女」って、なに?

なんか気になる・・・

舞台が映像化されていて、渋谷のBunkamuraのル・シネマで公開されている。
呼ばれている気がする・・・というなんの根拠もない勘。

まあ、この勘のおかげでこれまで生きてこれたようなものだから、素直に従いましょ。
と思いつつも、JACKですっかり失念。

気が付いたら、今日でラスト!
あちゃ〜ということで、朝からすっ飛んで鑑賞してきた。

もう衝撃!まるで「希望の空」のちえさまが、あそこにも、ここにもいるような作品でめちゃめちゃ面白かった。

トウシューズは一切なし。オーロラ姫は終始裸足で飛び回る。その軽やかなことといったら!
昨夜、録画していたマリインスキーのロミジュリを見て、うーん、うーん・・・あかんわ・・・、と。

トウシューズだらけで、そりゃあ、きれいなんだけどね・・・
ロミオとジュリエットが愛を交わすシーンも、きれいなんだけどね・・・
パッションが感じられないのよ。そう、ちえさまのお好きな、私も好きなパッションが・・・

が、マシューのオーロラ姫と王子(じゃなかったな。庭師みたいな感じだったけど)の心情は爆発しまくるのだ!

古典バレエをベースにしつつ、バレエとミュージカルが融合した素晴らしい内容の新しい芸術だね。
マシューさんは労働者階級の出での英国人で、22歳になってバレエを学び、モダンダンスの振付家になった人とか。そんなに遅くても、こんなすごい振付と演出ができちゃうなんて!

9月にオーブで公演そのものがあるけれど、バイオハザード直前やん。

やっぱりちえさま最優先、だな。


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2016年04月04日

MET ライブビューイング「マノン・レスコー」

WOWOWに加入したら、METのライブビューイングでやったのが次から次へと放送される。
なので、ライブビューイングがそんなにありがたくなくなってしまった。
まあ、音響が違う、迫力が違うのは否めないけれど、東劇程度の音響だったら、うちで40インチの画面で見ていてもいいかな。
3回の通し券が1枚まだ残っていたので、月組の舞音を観たことだし、プッチーニの「マノン・レスコー」もクリアしとくかなとお出かけしてみた。

マノンにクリスティーヌ・オポライス、急遽代役だったらしいアラーニャがデ・グリュー。
お歌はいう間でもなく、とっても素敵なんだけど・・・

アラーニャは、インタビューで一番難しかったのは若々しい感じを出すことだと言っていたけれど、確かに…(笑
しかし、アラーニャのMETでの活躍はすごいなあ。
5月上演のマダム・バタフライにも出てる。

不満だったのは、第二次世界大戦下に時代設定をしたこと。
ナチスの制服を着た人物がちょろちょろ出てくるんだけれど、あまり必然性を感じることができない。
19世紀の設定の方が、マノンの奔放さが際立ったのではないのかしら。
戦争に対して、特に主張のなにもないマノンとデ・グリューなのに、そんな要素を加える必要はないでしょ。
ラストの廃墟も、とって付けたようだった。どういうシチュエーションで、二人は廃墟にいるんだ???
オペラは、時々、近代に置き換えてやりたくなっちゃうのね。
成功しているものって、ほとんどないように思うけどなあ。

マノンは、はっきりいってアホな女。

あんなオヤジはいやよ〜、と若い男と逃げてみたけれど、暮らしが成り立たない。
で、やっぱり金持ちのオヤジよね〜、とオヤジを選んでみたけれど、毎日が詰まんない。

つまんなーい〜と言っていたら、お兄ちゃんが、また、かつての恋人を連れてきてくれた。
このお兄ちゃんの行動がまったく意味不明。

浮気している現場をオヤジに見つかり、牢獄へ。

自堕落な美少女(というより、オポライスは美魔女だけどね)に振り回される小太りのアラーニャ。

デ・グリューの振り回され方なら、カルメンのホセの方が堕ちがいがあるかもね(笑

月組の舞音は、さすが愛と夢の宝塚だけあって、ラブロマンスにしていたけれど、こちらのマノン・レスコーは、アホな女にはまった男の末路・・・以外のなにものでもなかったなあ。
プッチーニの曲は美しいけれど、これ、あまり好きじゃない。
マスネのマノンは、また違うのかしら。

商売がらみで銀座東急プラザをちらっと見てから東劇に向かったんだけれど、銀座の人出が半端なく、人をかきわけて道を歩かねばならなかった。
海外の人たちって、なんでそんなに急に日本に来たがるようになったん?(笑

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2016年03月30日

3月の映画

ちえさまのためにWOWOWに加入しなおしてしまった…
なので、映画を見る機会が増えちゃった。

前半は、REON JACK大阪公演忙しくて、見る暇なし。
21日の公開収録が終わり、ようやく一息ついた感じ。
なので、WOWOW参戦は25日の「ラビリンス 魔王の迷宮」から。
この間、亡くなったばかりのデビッド・ボウイご出演のファンタジー映画。
80年代してる〜。なんだかよくわからないけれど、懐かしい感じがあふれた映画だった。
イケイケのお姉さんたちが、街を闊歩していた時代よね〜、って、自分もその一人だった・・・イケイケじゃなかったけど、気分はそんな感じ? やれNYだ、パリだと、旅行に出かけていたっけ。

映画じゃないけれど、「荒木飛呂彦x森山未来 「死刑執行中脱獄進行中」」という舞台中継がめっちゃ面白かった。なんじゃ、これ?という感じ。舞台セットと振付の融合が、ものすごくユニークで、視覚的な刺激がすごくて、見始めたら、やめられなかった。

ボルジア家全10話一挙放送とやらで、一応予約録画したけれど、ところどころつまんで見た。
それでも、なんとなくわかっちゃう。しかし、お金をかけたテレビドラマだなあ〜。
ジェレミー・アイアンズが年をとって、凄みがでちゃって、欲ボケの法王がマフィアのボスみたいで、面白かった。娘のルクレツィア・ボルジアの声優が、イマイチ迫力がなくて、棒読みで耳触りだった。
1話と2話と10話あたりをちゃんと見た(笑 カテリーナ・スフォルツァという女傑に興味を覚えた。来年のNHKの大河ドラマの直虎みたいな人が、ヨーロッパにも同時期にいたのね。

連続ドラマW「変身」も、録画したけれど、同じく1話と5話だけ、ちゃんと見た(笑 東野圭吾の原作というだけで見ちゃったけど、イマイチ。神木くんはさすがの演技だった。二階堂ふみの重さが、ストーリーにフィットしていて、主役の二人はとてもよかった。

ちえさまご主演のミュージカル「バイオハザード」がどんなものになるのか…とりあえず予習に映画でも見ておこうと借りてきた。けれど、うーん、うーん・・・なんだ、これは・・・ばあやはついていけない。
ゾンビって、どうして人気があるの?なにが面白いの?

わからん・・・

ミュージカルになるの?

ということはゾンビも歌って、踊るのか?

ちえさま・・・でも、どんなお役でも、お共するし、お支えするから、どーでもええねんけどね。

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2016年02月20日

2月の映画

オデッセイ(2015年)
面白かった〜。まるで本当にあった話のような臨場感だった。
一番興味深かったのは火星での植物栽培。本当にできるのかしら。
ラストまで息をつかせぬ運びは、さすがリドリー・スコット監督!
今回は、あえてMX4Dでも、3Dでもなく、普通の画面でみてみた。落ち着く〜(笑

美女と野獣(1991年)
何年ぶりに見たかしら。ベルって、わりに上昇志向の女だったんだなあ(笑
ガストンは、ひどすぎるけどね。
テーマミュージックに合わせて、二人が踊るシーンは何度観てもロマンチックでいと美し。

フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国国防長官の告白(2003年)
衝撃的なドキュメンタリー映画だった。
東京大空襲に焼夷弾を使ったこと、原爆まで落としたことを過ちとして素直に認めているのにびっくりぽん!
でも、全部空軍の責任者だったルメイのせいにしているけどね(笑
「戦争に負けたら、それは犯罪になった」
まさに東京裁判はそうだった。原爆を落とした米国こそ、犯罪者として処罰されるべきだったのに。
ベトナム戦争の泥沼化は、ジョンソン大統領のせいにしている。
マクナマラではないけれど、米国は、この調子でイラクのフセイン退治もしたのね…
米国は、もう世界の警察から降りると言っているけれど、降りた方がいいと真剣に思った。
人類の未来は暗い。まったく戦争に学んでいないから。同じ過ちを繰り返し、今、世界はますます混沌としている。
録画すればよかった…。

キャバレー(1972年)
POBでブリヨーナちゃんが、とても素敵に歌っていたので気になっていた映画。TSUTAYAで探したけれど、なかった。第二次世界大戦前夜のベルリンが舞台。1966年に書かれた小説が原作らしい。60年代しているなあ。
当時のベルリンの雰囲気は伝わってくるけれど、その中にサリーに象徴されるようなアングラっぽい60年代のアメリカがごちゃっと入っていて、ちょっと不思議な映画だった。
キャバレーのナンバーは、よいのだけれど、ブリちゃんやナンシーさん、ジョシュさんの歌の方がステキだったな〜。ちえさまの楽団員シーンは、ほぼ、そのまま再現されていたのね。うふ♡

グランド・ブタペスト・ホテル(2014年)
第64回ベルリン国際映画祭審査員グランプリや、第87回アカデミー賞の4部門などを受賞し、批評家からは絶賛されている映画、らしい。私は、つまらなくはないけれど、あまりテイストは合わなかった。映像が面白いとは思ったけれど。 
ウェス・アンダーソン監督のほかの映画を見てないしな〜。批評家受けしそうな映画ですな。

エマ(1996年) 
またまたジェーン・オースチン原作のハーレクイン・ロマン風映画。
この年代の衣装がステキで、つい見ちゃうのよね。
お話は、あまりにもたわいないもので、おせっかいなエマが恋の橋渡しをしようとして、あちこちで人を傷つけ、自分も傷つきながら、すぐそばにいた一番ステキな人にようやく気が付き…というもの。
パルトローが美しい〜。まあ、それだけかな。

6才のぼくが大人になるまで(2014年)
12年間も同じ俳優で一つの映画を撮りあげたことにまず驚かされた。アメリカのごく一般的な家庭の12年間を傍観者として見ていられるという不思議な体験をした気分になれる。主人公のメイソンが、家庭という荒波の中でいろいろなことを体験し、考え、今の自分を肯定していくところで「大人になって」終わる。
いたいけな子どもから、生意気なティーンエイジャー、そして大学生…
1人の子どもが自分の考えで独り立ちするというのは、どんな平凡な家庭であろうと命がけのことなんだなあ。
母親の男運の悪さに妙に親近感を覚えた。まあ、あんなものさ。最初の夫がラストに言う「もうちょっと長い目で自分のことを見ていてくれたらね」という言葉に他人事ながら、カチンと来た。子どもが小さくて一番大変なときに、ふらふら遊び歩いて、1年半も帰らなかったりしたくせにっ!と。
ドキュメンタリー映画みたいで、ドキュメンタリーではなく、アメリカの平均的な家庭のかなり隅々まで描いた面白い映画だ。

「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」(2014年)
とーっても面白かった。コンピューターの生みの親だったのか〜。悲劇的な人生。業績も50年以上秘密にされていたなんて…。これからはパソコンの前に座るたびに思い出しちゃいそうだ。アラン・チューリング役のカンバーバッチ、うまい!

博士と彼女のセオリー(2014年)
何気にすごい映画だと思った。ALSを発症しつつも宇宙の真理を解くことに挑戦するスティーブ、その彼を支えながら、日々の子育て、彼の介護に骨身を惜しまず挑戦するジェーン。それぞれが「時間」をテーマに格闘する中で、現実の厳しさを淡々と(というように見えるところがすごい)受け入れ、二人の関係の根底を揺るがすようなそれぞれの新しい相手を関係性に引き込んでいく。でも、ちゃんとそれぞれに幸せを追及する手を緩めない。構成、脚本、そして二人の演技、どれをとっても一級品の映画だ。

ベイマックス(2014年)
「アナと雪の女王」には、まーったくなにも感じなかったので(そこそこ面白かったけど)、ディズニー映画には、もう反応しない年齢になったのかもなあ〜と完全に油断していたら、ありゃ〜っ!やられた!途中から、涙腺がゆるみっぱなしで、ラストで大泣き。恐れ入りました。ええ話や〜。

METライブビューイング「トゥーランドット」(2016年)
初めてリューのラストのところで涙が出てしまった。ゼフィレッリの演出は、とても的確にトゥーランドットの世界を表現していてさすが!「誰も寝てはならぬ」も、素晴らしかったけれど、とにかくアニータ・ハーティッグのリューに涙。切なさ、健気さに胸が痛くなる。
ニーナ・ステンメのトゥーランドットの迫力がすごすぎるし。さすがMET!なトゥーランドットだった。

今月は、WOWOWに加入していたので忙しかった〜(笑
ちょうどアカデミー賞のプレとして、過去に受賞した作品をたくさん放映していたので、見たかった映画をどっと見ることができて満足でした。3月からは、退会しちゃったのに、なんとちえさまが4月から宝塚プリミエールのナレーションを担当することに。

うーん・・・お声だけか・・・

で、でも、再加入しちゃうかも・・・

WOWOWからのFC会員対象のおまけ次第、かな(笑



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2016年02月04日

1月の鑑賞日記 いろいろ

3月、4月のちえさまコンサートが何回になるのかわからないので、財政状態が危うく(お茶会もある)、2月はおとなしくしている今日このごろ。
ちえさまの「眠らない男・ナポレオン 〜愛と栄光の涯に」を高画質で観たいというだけで、WOWOWに先月から加入。そうすると、やたらと映画を録画してしまい、今度は録画した映画をせっせと見ないとハードディスクがいっぱいになり…
忙しいったらありゃしない。それもこれもHDの中にちえさまがいっぱいおられるからなんだけれど(笑

エリザベス(1998年 英国)
公開当時、ケイト・ブランシェットのエリザベスがとても印象的だった。
16世紀半ば。日本は室町時代?中世は斬首がお好き、だな〜。ついた側が先手を打たなかったら、捕らえられて、即、ちょん切られてしまう。エリザベスは生き残って玉座についただけでも強運の持ち主だったというわけだ。
2回目見ても面白かったけれど、最近は血なまぐさいのはどうもダメだなあ〜。
このころの貴族は謀反をよく起こしていたらしいけれど、失敗したら即、首をはねられてしまうのにご苦労なことだ。国家が安定しないから、あわよくば…と野心を抱いてしまったのかしら。
カトリック側の司祭で暗躍する男にダニエル・グレイグがなっていて、目を引いた。このころから、スパイだったのね(笑


プライドと偏見(2005年)
オースチンの原作。これも2回目。再度みると、ますます「ハーレクイン・ロマン」本に思えてしまった。
ちょっと気になる男に最初に「たいしたことない女だね」と言われているのを小耳にはさみ、すっかり反発してしまった生意気な女が、なんだかんだあった末にその男と結ばれる。男は大富豪。
このストーリーも、自分の品のない家族が起こした問題を、その男がうまく取り計らってくれたことで、すっかり愛に目覚めてしまい、かわいい女にへんしーん、でめでたしめでたし。
ラストシーンで、つい意地悪く、女は母親を見ろというよ〜、あんたが最初に危惧した通り、この家族を抱えて後悔するよ〜、と思ってしまった。

バグダット・カフェ(1987年)
いや〜、懐かしい。Calling youが流れると、「あの頃」がよみがえってくる。
映画は、ほとんど覚えてなかった。こんなにムード映画だったのね。
ジャスミン役のマリアンネ・ゼーゲブレヒトが、いい味を出している。
でも、内容は、なんとなく、なんとなく…な流れで、Calling youが流れたら、はい、OKみたいな感じだった(笑 音楽の力ってすごい。


ラスト・コーション(2007年)
3,4回目かな。ロードショーでも見た。当時はトニー・レオンにはまっていたから。レオンにご縁のある私…(笑 このブログでも以前、かなり書いたので、詳細はパス。
さすがアン・リー監督。構成がしっかりしているから、心の動きがものすごく伝わってくる。
こんなにつらいセックスシーンはないね。常に死と隣り合わせの時代の輪郭がしっかり見える。
やっぱりすごい映画だ。

トゥーランドット(2015年 ブレゲンツ音楽祭)
湖上の舞台!ロケーションが素晴らしい!こんな夢のような舞台でオペラを見られるなんて、いいなあ…と、まず、そこにびっくりぽん!だった。行ってみたいなあ。オーストリアのノイジードル湖。
おまけに演目はトゥーランドット。お話は、わかったようなわからないような…まあ、どうでもいい。
「誰も寝てはならぬ」が有名だけれど、プッチーニだから、どの曲も、メロディラインが美しい。
プッチーニの遺作でもあり、ラストが未完成。
ちょっと気になったのは時代設定がはっきりせず、群衆が人民服を着ている。舞台が中国だからなんだろうけれど、その時代の話にしたいのか、する必要があるのか、イマイチはっきりしなかった。

ファッションが教えてくれること(2009年)
「プラダを着た悪魔」のモデルとも言われるヴォーグの編集長アナ・ウィンターを追ったドキュメンタリー。
編集部の確執が面白かったけれど、ファッションが教えてくれることがなになのかはよくわからなかった。「プラダを着た悪魔」の方が、教えてくれた気がする。アナが、なぜ、そんなに長期政権を維持できる能力を得たのかをもっと知りたかったな〜。


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2015年12月24日

「スターウォーズ/フォースの覚醒」

好奇心抑えがたく、ド・センターで「スターウォーズ(SW)フォースの覚醒」をMX4Dで体験してみた。

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結論として、普通の3Dで十分だと思う。

椅子が激しく揺れたり、傾いたり、風があちこちから吹いてきたり、背中をどつかれたり、はてはなにやらきな臭い香りまで顔に吹き付けられ…なにかと忙しい。途中で、落ち着いて見せてくれよ、と思ってしまった。
内容と関係ないところで背中をつつかれてもなあ…。
ずーっとイスが動いたり、風が吹いたりしなくても、例えば、攻撃するときに特定のパイロットの体験がそのままこちらに伝わってくる、といったような工夫はできないのかしら。画面は動きまくるけれど、どの視点でMXが反応しているのかがわからないままだから、臨場感に欠けるのだと思う。

本編が始まる前に高速道路を疾走する車の中にいるような瞬間があるんだけれど、そのときが一番おお!と思ったくらいで、あとは本編のいつものオープニングの文字が宇宙に飛んでいくあのシーンが、3Dだ〜と思ったくらい。
技術的な革新はたいしたことあらへんな〜、という感じだった。

作品の内容は…数か所うるうるしたけれど、それはつい70代のハン・ソロとレイア姫の表情を見ていると、こちらの人生と重ね合わせてしまうからで、作品の内容ではない。
全体にWをなぞったようなストーリーで新味はなし。

以下、ネタばれあり。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

またしてもデス・スターが同じように星を破壊したり、デス・スターの中に侵入したり…既視感たっぷり。
わざとそうしているのか?

W−Yを見ていれば、あ、それね、みたいな符丁があるので一応楽しめるけど…でも、なにか物足りない。
あまりにも物語がなぞられすぎていて、せっかくYで平和を取り戻した銀河の世界が、なぜ、まったく同じような帝国をまた許してしまっているのかが解せないままに、レン、レイ、フィンという新しいキャラクターが登場。
フォースの暗黒面の代表格のカイロ・レンが、さっさと仮面を外してしまうのも、どうよ。
まだ、悩み中のダースベーダーで、父親殺しを実行して、本物のダースベーダーUになろうとしているらしいけれど、そのあたりの心理描写と背景が語られないから、ハラハラ感がない。
できれば、もうちょっと美しい凄みのある役者を使ってほしかったなあ。ハン・ソロとレイアの息子という設定にも、かなり白けた。ずーっとそれやん!親子関係のぐちょぐちょに翻弄される銀河帝国なのだ。君たちに反省はないのか!(笑 と思わずつっこみたくなる。
デス・スターが集めた太陽エネルギーで破壊される星は、ええ迷惑や。

ポーは、どうやって墜落から逃れられたのか語られずに突如、再登場するのも、あまりにマンガ的。
いくらええ加減な話でも、もう少し辻褄を合わせてくれ〜。
ポー役のオスカー・アイザックは「ギリシャに消えた嘘」に出ていた人ね。こんなところで再会するとは思わなかった(笑

新味としては、女性と黒人のメインキャラの登場なんだろうけれど、二人とも、イマイチ魅力に欠ける。
ハン・ソロのような色気があるわけでもないし、レイア姫のような鮮烈なリーダーシップがあるわけでもない。
まあ、これから[に向けて成長していくキャラなんだろうけれど…
[、見るかなあ・・・自信ない(笑
今回の新キャラの中では、BB-8がナンバー1!とーってもかわいかったので、BB-8を主人公にして1本作ってほしい。

Xを見たときの衝撃が忘れられず、ついSWが公開されると足を運んでしまうけれど、その後はずーっと裏切られ続けている。Xのエンドロールをみた後、席を立つことができず、当時、入れ替えがなかったから、そのまま2回目を見てしまった。今まで、席を立てなかったのは「風と共に去りぬ」と、「スターウォーズ 帝国の逆襲」(X)の2本だけなのに〜。

MX4Dを体験したあと、普通の3Dでもみようかと思っていたのだけれど、2回観る気にはなれないなあ。

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2015年12月08日

「007」と「桐島、部活やめるってよ」

「桐島、部活やめるってよ」☆☆☆☆☆

当たるときには、よい映画に連続して当たるのだなあ。
題名をよく耳にしていて、気になっていた映画だった。
原作がしっかりしているのかしら。
とても人間観察が行き届いた興味深い内容だった。
高校生の学校内での生態を描いているのかな…と思いつつ見ていたら、他者との関係性、自分の立ち位置、そして、今をどう生きるかを一人ひとりの高校生の日常を通して突き付けてくる内容で、かなりたじろいだ。
「この世界で生きていくしかないんだよ」
見たら、削除しようと思っていたけれど、とりあえず残しておこう。


「007 スカイフォール」☆☆

007シリーズは、まず見なかったことはないのだけれど、これはスルーしていた。
カッコ悪い007とか、暗いとか言われていたから、だっけな。
スペクターを見るためには、やっぱり予習しておかねば、と見たけれど、やっぱり「はあ?」な007だった。
いつから007は、こんなに深刻な映画になっちまったのだ。
見たら、すかっとするような娯楽エンターテイメントだったのに。
カジノでコモド・ドラゴンが登場。
コモド・ドラゴン!? へ?と思った。イモトがかけっこしていたっけ?なんか違うよなあ。


そして、ロードショウの「007 スペクター」☆☆
場内は大盛況。昼下がりの回だったからか、同年代が多いような気がした。
オープニングのメキシコは、なかなか快調な滑り出しで、おお〜、007だ〜!と、うれしくなったのだけれど・・・
が、このあと、またまたスカイフォール的なアプローチにどんどんなっていき…

モニカ・ベルッチが登場するころには眠気が襲ってきてしまった。
実は、モニカ出演ということで、かなりそそられていたのだ。
だって、美しいモニカがからむのはボンドとの恋と決まっているでしょ。

ところが、ボンドに殺された組織のボスの未亡人であるモニカは、目の前に現れたボンドに「夫はぜんぜん帰ってこなかった」と言って、さっさとボンドとセックスして(それも壁に押し付けられて、それで終わり)、スペクターの会議の場所を教えてしまう。欲求不満の未亡人なのだ。
「CIAに保護を頼んでおいたから」というボンドの言葉にうなずいて登場終わり!
登場シーンは全部で5分ほど。
それはないでしょ、と、思わず心の中で叫んじゃったよ。
あとで重要な役で登場してくるのかな〜と心待ちにしていたけれど、結局、これで終わり。

モニカでなくてもよかったやん・・・

ここで大きく裏切られた感満載の私は、再び気が遠くなって、気絶寸前になった。
が、なんとか持ちこたえ、きっと面白い展開があるはずと、期待をムリに喚起した。

スカイフォールのときから、やけにボンドの少年時代の話が出てくると思ったら、今回は、ついに「兄弟」なんていうのが出てきた。007の生い立ちやら、生き方の悩みなんてやらなくてよろしい。

途中、カーチェイスのところで、やっと007ぽいなあ、この車は水陸両用よね〜と思ってみていたら、単に川に沈めて、ボンドは座席から飛び上がって、パラシュートで降りてくるにいたっては、ふつふつと怒りが湧いてきた。

こんなん、007とちゃう!

砂漠の中の要塞も、イマイチはったりがきいてない。全世界の情報を掌握しようというのに、あのレベルのパソコンを並べた部屋でいいのか!

ほとんどドキドキもしない、ワクワクもしない。
スリルなら、「黄金のアデーレ」のオーストリアからの脱出シーンの方がよほどある。

まったく数十億円をかけて、こんな程度の映画を作るってどうよ。
爆発させるのは盛大にやっているけれど、肝心の楽しませる部分が大きくずれている。
007は、おしゃれで、粋で、ユーモアがあって、ダンディでなければ。
女とみれば発情して、すぐにエッチしちゃう007なんてあかん。

テーマミュージックを聴いているときが一番「あ〜、007や〜!」と思った。
次回は、本来の007に戻してくれないと、もう見ないからねっ!

気付くの遅い私…グレイグになってから、ずっとそんな007だったのにね。
グレイグは、キライじゃないんだけど、映画の作り方が間違っていると思う。

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2015年12月06日

「黄金のアデーレ 名画の帰還」

「黄金のアデーレ 名画の帰還」
文句なく星☆☆☆☆☆!
構成・脚本がとてもしっかりしていて、素晴らしい映画だった。
数年に一度しか出会えない震えるほどの感動を覚えた。

オーストリアで成功した富裕なユダヤ人一族が、ナチスにより家族を引き裂かれ、全財産を収奪されてしまう。
二人の娘はアメリカに亡命。かろうじて生き残る。
そのうちの一人マリア・アルトマンが、叔母がモデルとなって、叔父がクリムトに描かせた名画「黄金のアデーレ」を取り戻す話。
国と家族を棄てた心の傷を抱えて生きてきたマリアが、名画を取り返す過程で心の浄化を得ていく経糸に、やはり亡命した友人の息子で駆け出しの弁護士ランディが、自分のルーツを知り、新しい自分の生き方を見つけていく横糸が見事に組み合わされ、一つの鮮明な心に残る名画となったような映画だ。

名優ヘレン・ミレンによりマリアの複雑な心情が手に取るようにわかり、物語の中に入り込むにしたがって、まるでマリアの目になってウィーンの街並を観ているかのような錯覚さえ覚え、途中からずっと涙目になってしまった。悲しみと恐怖の街になってしまった故郷ウィーン。思い出したくない、絶対に足を踏み入れたくないと思っていた、でも、懐かしくて仕方がない街・・・マリアの瞳に映る現代のウィーンが平和だから、ますますその悲しみが濃くなる。
マリアの結婚式が、家族の最後の幸せなひとときとなり、その後、家族がナチスによって引き裂かれていく過程を映画は多くを語らず、的確なシーンをマリアの回想でつなぎながら、伝えていく。

最初は、値がつけられない名画を取り戻すという弁護士としての報酬に目がくらんで取り組んでいたランディが、次第に名画を取り戻す意義を見出していく過程も秀逸。ホロコーストのモニュメントの前で「トイレに行く」とマリアに言って、近くのカフェのトイレに駆け込み、嗚咽するシーンでは、一緒に泣いてしまった。

歴史をこうして振り返ることの大切さをこんなにわかりやすく、細やかに描いた映画は、多くないと思う。
できるだけたくさんの人に見てほしい。

ほんまに感動した〜!!!


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2015年12月03日

METライブビューイング「タンホイザー」

インタビューや幕間を入れると4時間半!
絶対寝るだろうな…と思っていたんだけれど、うとうとしたのは10分ほどだけ。
あとはおお〜!と、感動の連続だった。
特にMETの音楽監督ジェイムズ・レヴァイン氏の指揮によるオーケストラの演奏が素晴らしかった。
私は、ど素人だから、あまりオーケストラまで気が付くことはないのだけれど、今回は歌唱も、もちろん素晴らしかったけれど、とにかくオーケストラによる音楽がかっちり枠組を作り、そのうえ、歌唱を導いていた。

1幕冒頭のニンフたちの愛の交歓シーンのバレエにも感動。
まるでボッティチェリの「春」のような美しさ。エロスをここまで美しく、上品に、でも、エロティックに表現できるとは!スローな動きは、鍛え抜かれた肉体があってこそできる。ダンサーたちの動きの美しさに目を奪われた。

均整の取れた肉体があふれる舞台から、一転、女神ヴェーヌスとタンホイザーの場面に。

すごいボリュームだなあ・・・声も、体も。
やはりあれだけの声量は、あのぐらいりっぱなボディでなければ出ないのよねぇ。
ど迫力。
インタビューでヨハン・ボーダー氏は、公演前には食事をしないとのこと。3時間以上の舞台なのに!
でも、あの体格!あの声量!

1幕後半にちょっとうとうと。タンホイザーはヴェーヌスベルクでの快楽に飽きて、女神の誘惑を振り切り人間世界に戻ってくる。この世界観にびっくりぽんや〜。2極なのね。快楽のある世界か、ひたすら神様やキリスト教に支配される世界の2極。このあたりが、今一つ理解しにくい。

2幕は、人間界に戻ったタンホイザーが、ヴェーヌスベルクに行く前に想い合っていたエリーザベトと再会し、愛を誓う。そして、「愛」についての歌合戦が行われる。この世界観も、ほへ〜??!
騎士は吟遊詩人でもあったらしく…みんな、歌がうまいのだ(笑
歌会には、有名な「大行進曲」とともにわらわらといろいろな人々が集まってくる。ちょっとスターウォーズのいろいろな星の星人たちが集まるシーンを連想(笑 そのぐらいバラエティに富んだメンツだった。

タンホイザーの親友ヴァルトブルクが、女性への神聖な愛を歌うのだけれど、タンホイザーは女神を讃え、快楽的な愛を支持する歌を歌ってしまう。すると、集まった人々に大顰蹙をかってしまう。そんなにみんなで糾弾しなくても〜と、今の時代だと思っちゃうんだけどね。ワグナーの時代は、こんなにストイックだったのかしら…。この価値観も、いまいちよくわからない。

タンホイザーは、ローマに行って教皇に許しをもらってこないといけない!ということになり、追放されてしまう。あわれエリーザベト。彼女一人がタンホイザーを必死にかばい続ける。
この2幕の迫力がすごくて、あら〜っ!!!と思っているうちに終わった。

3幕は、かつてタンホイザーが人間界に戻ってきた森のはずれの場所で、エリーザベトが彼の帰りを待っている。が、彼は帰ってこない。行き合わせたヴァルトブルクが慰めるが、彼を救えるのは自分だけだと思い込んでいる(実際にもそうなんだけど)エリーザベトは、命を捧げて神に彼を許してもらおうとする。「さまよえるオランダ人」と同じく女の犠牲によってオトコが救われるのだ。

戻ってきたタンホイザーは、教皇に絶対にお前は救われないと言い渡され、絶望のどん底状態。そんなら、また、女神のところに行っちゃうもんね〜とヴェーヌスベルクに行こうとするのだけれど、ヴァルトブルクが必死に止める。そこにエリーザベトの葬列が来て、タンホイザーは彼女に寄り添って、ようやく清い世界に戻り息絶える。
3幕も、あら〜っ!!!と思っているうちに終わった。

清い世界ってなに!?というのは残ったけれど。

歌舞伎も、文楽も、オペラも、価値観のずれが頭を悩ませるところなのよね。

ワーグナーは、かなり高揚感があって、ちょっとやばいと思った(笑
壮大な世界が目の前に広がってきて、ものすごくあげあげな気分になる。
クセになるかも…

ヴォルフラム役のペーター・マッティさん、好みです(笑
うふふ…
《フィガロの結婚》の伯爵のちょいワルぶり、見たかったな。



posted by 風土倶楽部 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

10月から11月に観た映画

「ダラス・バイヤーズ・クラブ」2013年製作 ☆☆☆★
主演のマシュー・マコノヒーは、エイズ患者を演じるために21キロも減量したそうだ。
ものすごーく雰囲気が出ていた。
ドラッグとアルコールとセックスに明け暮れる日々から抜け出す様子が、淡々と描かれていてリアルだった。
自業自得だし、自己責任でいろいろ動き回ってみるロン。自分に必要だから始めたことが、たまたま多くの人を助けることにつながっていくという路線を外さない映画のスタンスがなかなかよい。お涙ちょうだい映画じゃないところがね。この人、どうするんだろう…とみているうちに、あれよあれよとビジネスが展開。
ウィルスが体に入っちゃったんだから、それとうまく折り合いをつけていくしかないと、すぐに現実的な選択をするロンは、なかなか頭のいいやつだ。どんなときでも、生きる力のあるやつは生き残る、そういう映画?違うか(笑

「エビータ」1996年製作 ☆☆☆
エバ・ペロンという人物は、マドンナが演じたくなる女性よね〜、とずっと思いながら観ちゃった。
でも、イマイチ感動なし。なぜだろう。バンディラスが歌うって、どうよ…だからかも(笑
ペロンの影が薄いから、かも。バンディラスがペロンを演じているのかと勝手に思っていた。
音楽は、さすがにアンドリュー・ロイド・ウェバー。
ばらまき人気取りの大統領夫人にも見えるし、決断できない政府に代わって、がんがん実行しちゃう大統領夫人にも見える。たぶん両方が正解なんだろう。どこの国の民衆も、イメージに弱い。きれいな女に弱い、ってことでしょうか(笑

「映画女優」1987年製作
田中絹代の人生と日本映画の歴史を辿った作品。
観ようと思って録画したけれど、吉永小百合があまりにもダイコンなので、途中でやめて削除してしまった…
ちょっとびっくりぽんなほど、おダイコンだった。そして、私は小百合さんの映画をちゃんと観たことがなかったということに気が付いた。「キューポラのある街」とか「愛と死を見つめて」とか、恐ろしく古い映画、もしくはNHKの「夢千代日記」しか観てない!
観ないままで勝手なことを言ってすみません。でも、続けて観る気になれなかった。

「おとうと」1960年製作 ☆☆
市川崑監督。幸田文の小説「おとうと」が原作。 キネマ旬報ベストワン、監督賞受賞作品。
画面のコントラストが強くなる銀残しという手法による初の映画だそうで…
確かに陰影が濃い映像になっている。
岸恵子が28歳なのに17歳の役をしているのに、ちょっと無理やろ…と突っこみを入れちゃったし、
芥川也寸志の音楽が、あまりにも思わせぶりすぎて、うるさいし、
田中絹代は、コワいし、
重たい映画だった。
弟の碧郎役の川口浩が、意外にもうまくて、かなりびっくらぽん、だった。
探検隊の人のイメージしかなったから〜(笑

「きっとうまくいく」2009年製作 ☆☆☆
ボリウッドで最高にヒットしたという映画。友人が2回も映画館に並んで観に行ったほど面白かったと言っていたので気になっていた。つまらなくはないけれど、ものすごーく面白いわけでもなかった。踊ったり、歌ったりしている時間が長い。
「ゴーカン」のジョークが笑えない。放尿がなぜか多くて、やっぱり笑えない、学長の横暴さが学生を自殺に追いやるなんて、本末転倒もいいところ。特に学生の自殺が多いという社会の課題に馴染めなくて、はあ???と思いつつ見てしまった。インドの社会事情がわかっていないと面白さ半減というところなのかしら。
主役の偽学生が、どうやって大成したのかは、まったく描かれておらず、後ろ盾もなく、身分もなく、なにがどうなったんだ?というラスト。ファンタジーとしてみればいいのかな…と思ったり、私にとっては?が多い映画だった。

「地獄門」1953年製作 ☆☆☆☆
京マチ子の美しさに☆5つ捧げたいけど、長谷川一夫の盛遠があまりにも乱暴ものなので☆一個減点。って、それは映画の出来と関係ないやん!(笑)
菊池寛の戯曲「袈裟の夫」の映画化らしいけれど、ヒドイ話だ。夫と相思相愛の袈裟に一目ぼれした遠藤武者の盛遠が、自分のわがままを押し付けるという内容。
話の内容は、どーでもいい。とにかくマチ子さまの美しさがとんでもなくて、見惚れているうちに終わった。
マチ子さまは、貞淑な人妻も、伝法な姐御も、両方できる名優。文子さまとともに大好きな女優。
カンヌ映画賞でパルムドールを受賞している映画だけれど、きっとマチ子さまの美しさにヨーロピアンたちもくらくらさせられたのね。


posted by 風土倶楽部 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする