2019年09月15日

映画「ひろしま」

見ている間中、こんなに胸が痛んだ映画はなかった。
泣いている感覚もないままに涙が流れた。

日教組プロが1953年製作、関川秀雄監督による日本映画
「原爆投下から7年後の広島。高校生のみち子は、授業中に原爆症で倒れ、8月6日の恐ろしい光景を思い出す…。原爆の恐怖と惨状を伝えようと、被爆から8年後に製作された反戦ドラマ。岡田英次、月丘夢路、山田五十鈴のほか、8万人を超える広島市民が撮影に参加、原爆投下直後の市内の惨状、市民たちが傷つき、苦しむ姿を、実際の映像も交え、迫真のリアリズムで再現し、ベルリン映画祭長編映画賞を受賞、海外でも高く評価された」(NHKサイトより)


ここには、人間の愚かさのすべてが詰まっている。
完成当時、アメリカに対する非難が含まれているからと、公開が見送られたというが、驚くべきことに冷静に、公平にそのときの広島と、その後の広島が描かれているのだ。

被爆者たちの被爆状況を検査だけして、治療しようとしないアメリカ
戦争をやめられない日本政府と日本軍
偏見により差別される被爆者たち

そして、なによりも非戦闘員の暮らす街に原爆を投下、それも実験したくて投下したアメリカ

人間がここまで愚かになれる生き物なんだということを思い知らせられる。

この映画のすごいところは、誰かが、なにかが悪いとはあえて描いておらず、淡々と事実を再現しているところだ。
被爆者となった非戦闘員の一般人も、この世界を招いた一人でもあることからは逃れられない。

大庭家と遠藤家の家族は、当時、どこにでもいた家族。
両親と子どもたち
その家族が地獄に投げ込まれ、それぞれの家族の中で唯一助かった大庭家の娘と遠藤家の息子は、原爆を背負って、体も心もむしばまれていく。

無垢な子どもたちが、原爆投下後の市内を親を求めて、逃げ場を求めて彷徨い続ける姿は、この世の終わりを思わせる
被爆して、苦しみながら死んでいく人々の様子は、モノクロだから、なんとか耐えられるが、実際はもっともっと地獄絵だっただろう。

広島市の中学・高校生、教職員、一般市民等約8万8500人が手弁当のエキストラとして参加し、月丘夢路、山田五十鈴という当時、売れっ子だった女優たち、岡田英二や加藤嘉などがプロの役者として出演。
戦後わずか7年後で、これだけの映画をつくりあげた人々の今も色あせることのない熱意が画面からほとばしるように伝わってくる。
映画製作の母体が日教組ということに少なからず驚いた。
左でも、右でもなく、淡々と事実を積み上げ、主張ではなく、伝えたい思いだけがストレートに伝わってくるのだから。

日本はもとより、世界中で、中学校か高校で鑑賞を義務づけたら、世界は大きく変わると思う。
少なくとも日本では、学校で必ず見るようにしてほしい。
主義主張ではなく、自分たちの過去をしっかりと見つめ、なにがこの地獄を招いたのかを考え、語りあう場にこれ以上の素材はないと思う。

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2019年09月14日

映画「記憶にございません」

なぜか見ることに・・・(笑)

貴一さんが、昔から好きなので、いいんですけどね😃

見ている間と観終わった直後は、薄味な内容だな〜と思ったんだけれど、思い返すと仕掛けが三谷味で、アホらしいんだけれど、ハートウォーミングなラストでよかったな〜と。

途中、黒田総理のお友達がお金を持って登場したあたりでは、浅い政権批判とかだと白けるな〜とハラハラしたけれど、そこはスルー。
どう生きるかという家族の話になってた。

白い黒田総理で政治は動くのかなあ
性善説だよね

でも、黒い黒田総理だから、あそこまで登り詰めることができたわけで・・・

ハッピーな家庭をつくることから、政治は始まるってことなん?(笑)

三谷メルヘンだね
宝塚よりもメルヘン、ファンタジーだ




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2019年09月05日

映画 キングダム

同年配の友人が、甥に勧められたとかでキングダムにはまっているのだが、イメージが壊れるのがいやで、映画のキングダムを見に行っていない、いや、行けないという
渋谷まで15分のところに住んでいるんだから、ちゃちゃっと行ってのぞいてくればいいじゃん、というのに、やっぱり行けないという

では、私が見てきましょう、とのこのこ行ってみた

はまった

いつの間に日本映画がこんなスケールの大きな映画を作れるようになったのだ?
原作を読んでないのに、イメージがなぜかその通りで、世界観にどっぷり浸れるではないか!

秦の始皇帝なんて、兵馬俑?ぐらいしか思い出さなかったのに、ここから怒涛の中華統一の歴史を探る日々・・・約2か月(笑)
例の友だちには、即、見るべきと報告。ようやく見て、イメージ通りだった、とのことでご満足いただけました。

映画は2回鑑賞。
周囲の友人たちに面白いからと大宣伝して、10人は行かせたかな

「なつぞら」の天陽くんとキングダムの政が、同じ吉沢亮くんというのを知ったので、周囲のばあやの友人たちに吹聴したら、みんな、へ〜!と驚いていた。
同年配が、天陽くんが吉沢くんと認識できてよかった(笑)

友だちが持っている漫画を借り、足りない部分は電子書籍で54巻を一気にクリア。

面白いっ!
血なまぐさいけど、マンガだから、なんとか読める。

キャラクターがどれも際立っていて、ワクワクさせられる。

丸2か月ほど、キングダムの世界にどっぷり浸れて面白かった〜
もちろんその間、ちえさまにも浸っていたけど。

55巻が出たので、ついに朱海平原平定か!と思ったら、まだ終わらない…(笑)

妙に紀元前200年ごろの中國の歴史に詳しくなってしまった。
すぐ忘れると思うけど。


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2019年02月22日

「女王陛下のお気に入り」と「半世界」

「女王陛下のお気に入り」
英国やフランスなどの歴史ものは、つい触手が伸びちゃう。
宝塚体質だから?(笑)

しかし、この映画は、そんな体質を寄せ付けてくれない。
権力に憑りつかれた女はコワいなあ
上昇志向の強い女も。

英国の歴史を予習してから、見た方がよかった。
アン女王は、子だくさんだったのに、すべて失ってしまっていたのだ。
この事実を押さえてないと、映画全体を見誤ってしまいそう。
英国では、よく知られていることなんだろう。
女王の孤独がひたひたと伝わり、そこに付け込んでいく女二人の壮絶な戦いに目が離せなくなる。


「半世界」
じわっとくる映画だった。
3人の39歳の幼馴染たちの焦燥と諦めと幸せと・・・人生の重みが心に届く
みんな、そんなもんなんだろうなあと。
特に炭焼き職人の高村(稲垣吾郎)の不器用な生き方が、たまらなく愛おしかった。
そう感じさせてくれる吾郎ちゃんのすばらしさ
気持ちの動きが手に取るようにわかる
人生の折り返し点ともいえる年代、自分のいる世界と外の世界の交わり、見えている半分の世界にこれから何を足していくのか。
きっといつまでも反芻し続ける映画だと思う。

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2018年12月29日

ボヘミアン・ラプソディーと日日是好日

ボヘミアン・ラプソディ
ビートルズには、なぜかまったく反応しなかったのに、クイーンは日本武道館で1975年に遭遇して以来、はまってしまった。
ロンドンでうろうろしていたころに、友人の家の窓から、フレディーの家が見えるというので拝んだことがある。
1989年だった。

ただ、フレディの苦悩を深く考えるわけもなく、英語の歌詞を深く受け取るわけでもなく、自分の未来と現状に対する不安と苦悩に忙しかった。

あれから40年以上たって、こんな映画に出会うとは…

涙、涙でございました。ライブ・エイドのシーンで大泣き。
フレディ、そしてブライアン、ロジャー、本当にありがとう!
出会えてよかった。そして、青春の何ページにも、いてくれてありがとう。

3回目にいつ行くか…考え中。


日日是好日
こちらも涙…
お茶の神髄をわかりやすく伝たわってくる。
難しいことはなにもなく、ただ、感じること。
のりちゃんと一緒に父の愛をたくさん感じることができた。
樹木希林の存在感が深くて、彼女なくしては成り立たなかった映画だと思う。
今一度、ご冥福を心から祈りたい。合掌

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2018年10月15日

映画「甘い生活」

フェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」

大昔に見たような気がするのだけれど、ほぼ覚えていない
BS3で放送されたのを録画したものを、安静にしていなければいけなので、見るなら、今でしょ、と。

何度もアナザー・ワールドに行きつつ、戻りつつしながら完鑑賞。
見始めたら、娼婦のアパートに行くところだけは思い出した。

やはりアニタ・エグバーグとのローマの夜の泉の場面が秀逸。
放蕩しているマルチェロでなくても、夢心地になってしまう。

1950年代の退廃した上流社会を中心に、人間の愚かさが焼き付けられた映像。
特に聖母に遭遇したという幼い兄妹を取り巻くマスコミの状況は、今とまったく変わらないし、パパラッチの語源になったというカメラを持ってハエのように群がるカメラマンたちの様子も、道具が異なるだけで同じ。
当時の縦に長い四角いカメラを全員が持っているのが面白い。

フェリーニだから、華やかな陰影とロケーションが印象的。

人間の退廃と放蕩は、どの時代も変わらないなあ
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2018年08月15日

オーシャンズ8

オーシャンズ8

ちえさまダニーLOVEだから、もちろんオーシャンズ8は初日の翌日に鑑賞。
だって舞台化されるかもしれないから。

ゴージャスな女優陣による宝石強奪プロジェクト。
突っ込みどころは満載だけれど、そんな野暮なことはしない。
ただただキャハハと彼女たちの活躍を応援しながら、笑って見るのが正しい。
ちゃんと韻を踏むかのごとくオーシャンズ11のメンバーと呼応させてあるキャラクターにも、うふふとうれしくなる。

サンドラ・ブロックも素敵だけれど、やっぱりケイト・ブランシェットが好き〜
「エリザベス」「エリザベス:ゴールデン・エイジ」「ブルージャスミン」「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」「シンデレラ」「キャロル」と、彼女が出ているとつい手が出てしまう。
ケイトを見るだけに、もう一回、見てもいいなあ。

サンドラも、アン・ハサウェイも、ヘレナ・ボナム・カーターも、好きだから、とにかく楽しい痛快な映画だ。

が、しかし、舞台化=ちえさま主演という妄想にも浸りたく、見たんだけれど、うーん・・・女の迫力と色気が課題すぎる。
米倉涼子、観月ありさ、鈴木京香、中谷美紀・・・あたりに取られそうな予感がしてしまった。

ちえさまは、かっこよくて美しい・・・んだけどなあ
でも、なにかが足りない。
ダンスが入れば、いけるか!(笑)

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2018年03月24日

「グレーテスト・ショーマン」「KU-KAI」

「グレーテスト・ショーマン」
サーカスは、人間の祝祭だったんだ。
ほとんど情報を得ないで見たので、すごくハラハラしたし、ワクワクしたので、エンターテイメントとして、とても楽しめたけれど、どうも私は「ら・ら・ら・ランド」の制作スタッフとは、どこかマッチしないみたいで、大感動という感じではなかった。
一番ほ〜💛となったのが、美しい女優陣。
バーナムの妻のミシェル・ウィリアムズ。見ているだけで心が温かくなるような美しさ
オペラ歌手のジェニーは、レベッカ・ファーガソン。見ているだけでうっとりする美しさ
ブランコ乗りのアンは、ゼンデイヤ。見ているだけで惹きこまれるエキゾチックな美しさ
いやはや、オトコでなくても、目の保養ですがな
それだけで十分楽しめましたっ!
サーカス団のメンバーが、なんとなくスターウォーズに登場するいろいろな星人みたいで、あまり人間ぽくなかった。みんな違って、みんないいは、SWで十分味わっているので、あえて、ま、いっか、みたいな感じ(笑


「KU-KAI」
字幕で見たかった。染谷くんが、せっかくモノにしていた中国語のセリフで見たかった。
なぜ、そのバージョンをやってくれないのかしら。

空海が大活躍するものの、なんとなく思っていたストーリーではなかった。
楊貴妃の死の謎を解きながら、空海が成長し、恵果と出会うのは、予想通りだったんだけれど、こんなに黒猫が主役だとは…(笑)
タイトルを見たら、「妖黒猫傳」となっているではないの。

美しき王妃の謎なんて、副題でもったいぶらず、「楊貴妃の死の謎」にした方が注目されたのではないかしら?

仲麻呂の阿部ちゃんの存在が、ちょっとわかりにくい。いないと、ラストにつながらないんだけど、唐突に出てくるし、日本人が目撃する意味ってあるのかな。

というわけで、王妃の謎は解けたけれど、映画のストーリーの謎が深まったので、原作を読むことにした( ´艸`)

監督のチェン・カイコーとえいば、「さらば、わが愛/覇王別姫」
この映画は、忘れられない、思い出したくない思い出ある。
と言いつつ、つい中国映画には惹かれて、見てしまった。
もうちょっと気取った映画なのかと思ったら、カンフー映画っぽいエンターテイメント映画だった。

楊貴妃って、あんなイメージなのかなあ
とてもフレンドリーで、誰にでも優しい人だったように描かれていた。
あのキャラなら、オトコたちにいいようにされちゃったよね〜(笑)


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2018年03月09日

「シェイプ・オブ・ウォーター」「ウィンストン・チャーチル」「ダンケルク」「羊の木」

飛行機の中で4本を鑑賞。
思ったよりも、大きな画面だったので、そこそこそれぞれ楽しめた。
4本見たうちの2本がアカデミー賞を受賞して、ちょっとびっくり。

「シェイプ・オブ・ウォーター」2017 (米国)
どこかで見たような既視感満載の映画だな〜と思っていたら、大好きな「バンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロが監督・脚本・製作だった。
冷戦時代に捕獲された半魚人みたいな生物と、言葉が出てこないというハンデを背負った女性イライザとのラブロマンスという不思議なストーリーの映画。
アマゾンで神のように崇拝されているという半漁人に惹かれていくイライザ。ゆで卵が二人のコミュニケーションを育んでいく。
ギレルモ監督らしく、ちょっとグロテスクで、おとぎ話の中の残酷さを映像化したような大人のファンタジー。おとぎ話なんだけれど、登場人物が、ゲイだったり、黒人だったり、口がきけなかったりのいわゆるマイノリティ。そこに不思議な現象が絡むことで物語が進んでいく。
この映画で一番いいなあと思ったのは音楽。夢の中で聞いているような、懐かしいような・・・
半魚人とイライザのラブシーンが素敵だった。
ラストは、途中から、なんとなく読めた感じで、私は「バンズ・ラビリンス」の方がスリリングだったし、物語が複雑に交差していて、好き。
ラストは、イライザも、半魚人の一族(ぽいちに影響されているなあ (笑))ということを示唆しているのだろうか。もう一度見たくなる映画だ。

作品賞、監督賞、美術賞、音楽賞と4つの賞を獲得。米国映画界も、こういう映画が好きなのね〜
2017年・第74回ベネチア国際映画祭の金獅子賞も受賞している。
旅行に行く直前にテレビで見た「ブルージャスミン」のサリー・ホーキンスがイライザ。
どこかキャサリン・ヘップバーンのようなタイプの女優。ブルージャスミンも、プライドに翻弄されていく女性を冷静に見つめたいい映画だった。

「羊の木」(2017年 日本)
このあとに見たのが「羊の木」で、またしても同じような半漁人が、今度は海の神様として「のろろ」として出てきて、シンクロぶりにびっくり(笑
こちらの神様も、最後はお怒りになっていた。
漫画が原作だということで、どこまでリアルに考えたらいいのかだけれど、それぞれが持つ闇が、日常にふっと煙のように立ち上る瞬間をつないだような映画だ。
錦戸くんの月末という6人のめんどうを見る役割の役場職員が、「ふつう」が歩いているような人で、平和な日常の代表者的な存在。6人のことよりも、気になる木村文乃の演じる幼馴染の文が気になって仕方がないのだ。
一方で、デイサービスに通う父親の世話をしている6人のうちの一人の女(優香)が、父親と恋仲になるというまさかの展開。どうやら女は、そういう性癖をもっているらしい…。おまけに気になっている文は、6人の一人である宮越(松田龍平)と付き合い始めてしまった。どんなに平凡でも、どんどん人の人生に巻き込まれていってしまう。
犯罪者になりたくてなった人はいないわけで…と思いきや・・・
なかなかに面白い展開だった。のろろさまのお怒り、ごもっともです。
人間のなにをみて、どんなふうに付き合うのか。難しいなあ。自分の中に眠っているものも、怖いし…。

「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」
以前から、「ダンケルク」を観たかったのだが、プログラムリストをみたら、両方あったので、まずはこちらから見てみた。
ロンドンに空襲が、かなりあって危うかったというのは知っていたけれど、ここまで連合軍がドイツ軍に追い詰められていたとは知らなかった。ファシズムが、勢いを増し、ひたひたと海岸線を浸食されつつある危機的な状況の中で、チャーチルがリーダーシップを発揮。ヒトラーに降伏しようという意見が政治家たちの中に主流になりかけているときに、ファシズムには屈しないという確固たる信念を持って国を導いていく。
初めて乗った地下鉄の中で、庶民にファシズムと戦うかと聞き、全員のイエス!という反応に勇気を得るシーンが印象的。国を思う気持ちは、政治家が考えているよりも、もっと一般の国民の中にあったということ。
今の日本も、きっと同じ。野党議員のあほさに呆れかえっている国民の方が多いと思う。

「ダンケルク」
こちらは帰りの飛行機の中で見たので、ちょっと切れ切れになってしまった。
途中までは、ものすごいリアルさとスリルで息をのむ展開が続いたのだけれど、イギリスから民間の船がやってくるシーンが、あまりにも迫力がなくて、ダンケルクって、こんな程度で戦局が変わったの?と、ちょっと白けてしまった。
少年が犠牲になったのは事実なのかな?
食事が出たり、アナウンスが入ったりで、頻繁に1940年代の海峡での戦いから引き戻されたので、あまり集中できなかった。

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2017年12月29日

「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」

前回の「フォースの覚醒」がつまらなかったので、もうスター・ウォーズは見ないぞと思っていたけれど、やっぱり見てしまった。
あの曲が聞こえると、まるで吸い寄せられるように映画館に足が向いてしまう。
ずっとリアルタイムで見ているからな〜

エピソードWの衝撃、Xの陶酔をいまだに忘れられない。
その後のY、T、U、Vはどれもイマイチだったのに。

昨年、ローグ・ワンには、いたく感動したけど。

ということで、まったく期待せずにふらふらと映画館に導かれてしまったのだが、けっこうおもしろかった。
なんといってもレイア姫の存在が大きくて、キャリー・フィッシャーは、こんなにいい女優だったっけ?と、ずっと思いつつ見ていたので、エンドロールで、キャリーの名前の上にメモリーズ・オブ・レイア姫という文字を見て、思わず涙…

Wのときに意志の強い眼差しを持ったレイアの表情に、とても感銘を受けた。美女ではないのに、ロマンを感じさせ、とても惹かれるヒロイン像だった。

「最後のジェダイ」は、キャリーへのお別れの映画ともいえる。
なんと素敵な花道なんだ!

そういう意味でレイは、レイアのあとを継ぐ女性像として、とても納得させられる。
そして、なによりもかわいいのがBB8
ものすごい大活躍。ほとんどBB8が影の主役だ!(笑

ルークのジジっぷりは、オイオイ・・・なんだけれど、例のシーンがかっこよかったから、許す。

この新しいシリーズが、なぜイマイチ心踊らないのか。
その大きな要因は、カイロ・レン!

ぜんぜん魅力的じゃない

もっと美形だったら・・・
暗黒面に堕ちても、彼となら、仕方がないと思わせてくれる美形だったなら・・・

と思えて仕方がないのは私だけなんだろうか。

なぜ、ハンソロとレイアの息子が黒髪のあの顔なんだ?

と、前回に引き続き、ずーっと思い続けてしまった。

そして、なぜ、彼が暗黒面に絡めとられたのかが、ぜんぜんわからん!
「フォースの覚醒」を見直せばわかるのかもしれないけれど、その気になれないんだなあ

今回、気になったのは、今まで以上に死闘に次ぐ死闘で、犠牲ががんがん出ること。
今の世界情勢とどこかでリンクしているつもりなのか?

フィンと行動を共にしていたアジア系のキャラクター(名前を忘れた)が、フィンを助けるシーンは必要?
なんかこれからの三角関係がめんどうくさい感じだ(笑

レイアは、すでに復活の準備はできていると言ってたけれど、レイア自身がこの世を去ったあと、SWは、どこに向かうんだろう。
「帝国の逆襲」と同じく、レジスタンス側の弱体化と、新しいヒーロー(今回はヒロイン)の誕生、すなわち希望が生まれるところで次回へとなったが、帝国のときのようなワクワク感は伴わない。
あのときのハンソロとレイアの「I love you」「I know」のシーンのような高揚感もない。

とはいえ、また、あの曲とともに新作ができたら、のこのこ映画館に出かけていくことになるだろうなあ。
もう無駄な抵抗はやめる。それよりも、早く次回作を頼む。ばあやも、いつレイア姫と同じ道をたどるやもしれずなので。

MX4Dで見たけれど、見る意味があるかなあ
顔に水をかけられたり、風をかけられたりしても、臨場感なんてでないよ


ところで、最近は、ドローンだとか、AIだとかが盛んに目の前にちらついているせいか、戦闘シーンを見ていると、なぜ無人じゃないんだ?などと考えてしまうようになった。
未来の戦争は、遠隔操作になって、技術と技術の戦いになるのかしら。
SWは、ものすごく高い技術で恒星間を移動できるのに、結局、最後は戦闘員の技術力なのね。
最初の戦闘シーンで、またしても大きな犠牲がたくさん出ることが悲しかった。

フィンたちが訪れるカジノの惑星で、搾取される側とする側が描かれていた。
レイアたちが闘っている相手の正体は、いったいなんなんだろう…
ジェダイがいなかったら、平和なんじゃないのか?(笑

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2017年06月27日

「帰ってきたヒトラー」「パンズ・ラビリンス」

2016年のドイツ映画「帰ってきたヒトラー」

面白い〜!!!

★★★★★、もう一つおまけに★!

タイムスリップして現代のドイツに来てしまった本物のヒトラーを、人々が物まね芸人だと思い込んでメディアでもてはやしている間にじわじわと人々に影響を与えていくさまがコワい。といっても、深刻な映画ではなく、ふんだんに笑いあり、ちょっとしたサスペンスあり
視聴率のために大衆に迎合していくメディアの無責任さも極まっている。

唯一、本当の彼を見破るのが誰かという点にきちんと映画のぶれない視点が明確になっていて◎!
ドイツの政治事情を知っているとより楽しめるのだろうけれど、今の日本に当てはめてみても、面白い。
どこの国も同じなんだな〜。特に先進国は。
日本は、移民の問題がない代わりに、隣国との問題が日に日に大きくなりつつある。
なのに、政治の世界では、毎日、なにもないところに煙を出し、メディアがウチワでパタパタと扇いでいるんだもんなあ。

この映画を民放のゴールデンタイムでやるべきだな。

都議選の投票を早々に済ませてしまった。今度はだまされないぞ!メディアの論調と反対のことをやれば、間違わないような気がする今日このごろ。いや〜、実にタイムリーな映画だった。


パンズ・ラビリンス(2006年メキシコ・スペイン・アメリカの合作)

6,7年前に見て、かなり強烈な印象を得ていた本作。WOWOWで放映していたので、再見してみた。
イマジネーション豊かな映像とともに、理不尽な暴力で支配されているエリアで必死に自分らしく生きようとする少女の痛ましさと、みずみずしい感性、はかない希望が、ダークファンタジーとして展開される。

1944年ごろのフランコ独裁政権下で、仕立てやの夫を亡くした母が将校と結婚。先夫の子どもであるオフェリアは、母と一緒にレジスタンスとの闘いを展開している将校の赴任地にやってくる。将校は、自己中心のまさに独裁者。気に入らないと、人も平気で殺す。恐怖で支配されているエリアで、少女が、身重で具合の悪い母のことが心配でならず、小さな胸は不安でいっぱいになっている。
そんな少女がつくった心の逃げ道は、自分が地底王国の呪われた姫で、試練を乗り越えれば、懐かしい故郷の地底に迎え入れられると妄想すること。

あの年ごろの少女にありがちな「お姫様」を夢見るのだ。その夢は、平和なときに見る夢ではなく、表情も陰険な魔物たちが、これでもか!という試練を与えてくる。
オフェリアの胸のうちで起こっている不安にさいなまれている様子が、そのままファンタジーの中に行き写しになっている映像に胸がふさがる思いがする。

見ているうちに、ああ、そうだ、こんなに悲しい、胸が痛くなる映画だったのだ、と思い出したけれど、最後まで目が離せなかった。
ラストシーンの悲しさ、無念さ、痛ましさに打ちのめされる。
でも、なぜかやっぱり好きな映画だ。

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2017年05月12日

映画「ある日どこかで」「アフリカの女王」

BSプレミアムで放送されるとなると、つい録画しちゃう。
ただでさえちえさま録画で満杯のHDなのに。
なので、テレビ番組を見る暇がないほど録画した番組の消化に明け暮れている。

「ある日どこかで」1980年は以前から見たいなと思っていた。
夢多き少女時代に読んだ手塚治虫や石ノ森章太郎などが、割りに好んで描いていたストーリーにちょっと似ていたから。
強く惹かれた肖像画の女性に会うためにタイムトラベルをして・・・というお話。
ラストの切なさにキュン♡とした。これは宝塚にぴったりだぞ、と思いきや、劇団に死角なし。
1995年に天海姐さんで、ちゃんと上演していた。バウホール公演だけど。

お話は、いろいろ辻褄が合わないんだけれど、そんなことはどうでもよくなるのがジェーン・シーモアの超絶的な美しさ。衣装も華麗。
クリストファー・リーブが好演しているんだけれど、その後の彼の悲劇を知ると、見ているだけでちょっと胸が痛くなる。

なんにせよ、激しい恋に落ちて、さっさと世を去っていくというのは、そう悪いことではないと思う今日このごろだから、けっこう羨ましかった(笑


「アフリカの女王」1951年
思っていた映画と違った。
どんなふうに思ってたんや?(笑
冒険活劇かと思いきや、中年の男女がアフリカで川を苦労して下りながら、恋愛する話だった。

ハンフリー・ボガードが、イケメン中年じゃなく、小汚いおんぼろ船の船長。
キャサリン・ヘプバーンは、宣教師の兄と布教活動をするためにアフリカの奥地に来て10年になる中年のオンナ。
第一次世界大戦が始まり、ドイツ軍が奥地までやってきて、現地人を徴収するために彼らの拠点の家を焼き払い、連れていってしまう。その出来事にショックを受けて、兄は正気を失い、急死してしまう。
キャサリン扮するロージーは、ボガード扮するチャーリーの船で川を下り、脱出せざるを得なくなり、二人の道行が始まる。

冒頭、現地の人を教会に集めて讃美歌を歌わせているシーンがあるが、なんだか大きなお世話、余計なお世話にしか見えない(笑 でも、こうやってキリスト教は世界各地に広まって行ったんだろうなあ。
中国人もすごいけれど、西洋人の考えやシステムを押し付けていくパワーって、すごいよね。
日本人にはない逞しさだ。

この二人の道行が、なんだかとってもこそばゆい。名優2人がうますぎて、ついひきずられて見ちゃうんだけど。
かっこよくないボガードがなかなかよい。この人は口元がちょっと品がないのだけれど、それがこの役ではよく生かされている。アカデミー主演男優賞を受賞した役。51歳のときの作品。

キャサリンは44歳のときの作品。
キャサリンは、なぜか美しくないという設定の役が多いけれど、そうかなあ。
68年の「冬のライオン」がとっても印象に残っている。
キャサリンとボガードが並ぶと、彼女の方が大きい?と思っていたら、170センチ以上ある大柄な人だったようだ。

物語が進行するにつれて、ドイツの船をやっつけちゃおうぜ!という二人の目標が、どんどん二人を結びつけていくんだけれど、イケイケの50年代のアメリカらしいストーリーね。
結末には、ちょっとあんぐりだったけど。

一度みれば、もういいな。

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2017年05月08日

実写版「美女と野獣」と〜かつて書いた文章〜

アニメで十分ステキだったのに、なぜ実写版も作っちゃおうと思うんだろう…
膨大なエネルギーをかけて。

とか思いつつ、結局、見ちゃうんだな〜。

まあ、これだけよくアニメの世界観を実写化したものだ。
ガストンがアニメ版とそっくりで内心可笑しくて仕方がなかった。

とても素敵な作品に仕上がっていた。
新しいビーストの歌も、切なくて泣けた。
お母さんが疫病にかかり、赤ちゃんだった娘を生き延びさせるために、父娘が母を置き去りにしたというつらいエピソードも追加されていた。
あまりにも悲惨・・・

とても素敵なおとぎ話しなんだけれど、アニメのときから気になっていたことがある。
ベルが自分はほかの人と違うと言いながら、本を手放せない娘だという設定。

無知蒙昧な村人たちと発明家親子のインテリぶりの対比が、イマイチすっきりしないのだ。
父を愛する気持ち、素直な感性をもった美しい娘の冒険譚ではダメなんだろうか。
本を読むことが夢見がちな娘ということを意味しているんだろうけれど…

2011年に私が宝塚に十数年ぶりに出会ったのが、当時の月組の「バラの国の王子」だった。
このおかげで、この1年後にちえさまに出会えたのだ。
なので、私にとっては「美女と野獣」はちょっとしたエポックメーキングな題材。

ヅカの設定が少し違い、コワい姉が二人いたような(笑 シンデレラと合体ね。
王子の呪いも、悪い魔女によってかけられて、真実の愛を見つけると解けるとか…眠れる森の美女と合体ね。

ヅカではよくある合体(笑
でも、さすがによく考えられていると思った。これはありだね、と。
もちろんヅカなので、単純明快な内容だった。

自由で平等の国アメリカ人の発想の中には、なんだかよくわからない選民意識みたいなのが時折顔を出してきて、興味深い。
日本人の中にそういうものがあまり出てこないのは、先の大戦で徹底的に叩かれてつぶされたから、なんだろうか。。。

友人にかつて連載していた記事を読ませてくれと言われたので、読み直してみたら、自分でもよく書けているのに驚いた。書くために取材もしたし、本も読み漁り、ほんの見開き2ページの記事のために10日間くらい苦しみぬいた記憶がある。あまりにつらくて、その割には雀の涙ほどの原稿料だったので、5年ほどで降りてしまった。季刊誌での連載だったから、できたようなものだ。
あのころのエネルギーは、もうないのかなあ、と思いつつも、好きなことには邁進してるやん…ともう一人の私がささやく。

あ、邁進しているか。エネルギーの置き所が違っちゃったのね。

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2017年03月17日

「ボディー・スナッチャー 恐怖の街」

お昼を食べながら、BSプレミアムの「ボディ・スナッチャー 恐怖の街」(監督: ドン・シーゲル 1956年製作)をなんとなく見ていて、びーっくり!
手塚治虫をはじめ、60年代から始まったSFのマンガやテレビのウルトラマンをはじめとするSFドラマのネタ元やん!
知らなかった〜!

子どものときに読んだ手塚治虫の吸血鬼の話。
どんどんみんなが吸血鬼になっていき、この映画と同じように恋人同士が逃げるけれど、最後は女性が吸血鬼になってしまい(いや、彼女は最初からそうだったんだっけ?)、最後の人類になってしまった男性に「あなたも私たちの仲間になればいい」という。その誘いを拒否し、彼は自ら命を絶つ。人類として生きるために。
というストーリーに感動し、強烈に印象に残った。

宇宙からの未知の生物によって、どんどん人間が乗っ取られていく恐怖。
56年製作なのに、恐怖がひしひしと伝わってくる。

が、意味不明な死体のような宇宙人を前に、まずは落ち着こうと、コーヒーやお酒をカウンターで飲むシーンには、当時のイケイケのアメリカの余裕が感じられたりして面白い(笑

女優も男優も、典型的な美男美女。

巨大な種で繁殖する宇宙人の生態が面白い。植物だと、繁殖しはじめたら、恐ろしい勢いではびこっていく。
クローバーやミントって、ひょっとして宇宙人か(笑
あのドラマも、あのマンガも、これがベース・・・だなんて、なんだか衝撃だったなあ。

今なら、ウィルスによる感染症でパンデミックとなり、まさにバイオハザードだ。
古典的傑作が現代にちゃんと息づき続けているってすごい。
それだけ普遍的なテーマなんだろう。
宇宙生物やウイルスでなくても、周囲のどんどん考え方が変化して、自分だけが取り残されてしまうような恐怖は、どんなときにもある。

偶然だったけれど、見れてよかった。
原作はジャック・フィニィが55年に発表したSFスリラー小説
原作を読んでみたくなった。

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2017年03月16日

LALALAND

イキのいい音楽とダンスで始まったオープニングには、おっ!楽しそう!と、ちょっと「ヘアスプレイ」みたいなのり?なんて思って期待したんだけれど・・・

二人の恋が進行するにしたがって眠気が襲ってきて、プラネタリウムでふわふわ浮かびながら、歌っているころには、夢の中になってしまった。

恋をしなくなって久しいから、こういうふわふわラブリーな感覚を忘れてしまったのかも。

どうして彼女が女優として大成功をおさめたあと、彼らが続かなかったのか。
どこでどう間違えたのか。
その集大成ともいえるラストシーン。
イチゴに砂糖とハチミツをかけたようなあまーいシーンだった。

人生、そういうこともあるよね・・・

どこでどうしたって最後は独りさ、ということを知ってしまったオバハンには、あまり酔えない映画だった。
きっといい映画なんだと思う。でも、まったくテイストが合わなかった。

アカデミー賞を受賞した映画と、本屋大賞を受賞した本には手を出してはいけないというセオリーを忘れていました。


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2017年03月02日

ブラナー・シアター・ライブ「冬物語」

恵比寿のガーデンシネマにて、ブラナー・シアター・ライブ「冬物語」を鑑賞。
たまーに英語の演劇をむしょうに観たくなる。
英語も、わからへんのに・・・変な奴だ。

30年前にイギリスに1年いたとき、観劇しまくったなつかしさがそうさせるのか?
観たくなる英語の芝居は、決まって英国のものだから。

冬物語、面白かった〜。
寝てしまうかと思ったら、ちゃんと覚醒していた。
特に1幕。シシリア王リオンディーズが嫉妬に狂い始めて、どんどん周囲の人間たちを不幸にしていく過程がスリリングで見入ってしまった。
シェイクスピアの芝居は、なにかにトチくるってしまった、憑りつかれてしまった人間が周囲を巻き込んで物語が進むのが定番だそうだ。

確かに・・・あんな人がいたら、迷惑だ。特に家族はたまったもんじゃない。
それまでラブラブしていたのに、親友が自国に帰るというのを引き留めているうちに、夫が一生懸命引き留めているから(いや、妻に、君からも頼めと言っていたはず)、妻も、熱心に引き留めていたら、「もしや二人は愛し合っている?」と嫉妬の気持ちが芽生え・・・そこからは怒涛のごとく嫉妬に狂いだす。

人間関係なんて、そんなものかもしれない。
ちょっとボタンを掛け間違えただけで、どんどん気持ちが離れていってしまう。
私は、そんな友人との関係を何度も体験している。

怒涛の1幕から、一転2幕は、王リオンディーズが引き起こした不幸の16年後。
1幕の悲劇に比べ、こちらはわりに明るい。後悔に苛まれるリオンディーズに訪れる幸せなひとときとは?

いろいろあって、最終的には和解するんだけれど、王の息子と寵臣アンティゴナスは命を落とし、帰らない。
その悲しみを一番感じるのは、ジュディ・デンチ扮するアンティゴナスの妻であるポーリーナだ。
007のMとしてもかっこいいジュディさん。ここでも、王を恐れず、一貫して王をアホだ、バカだとののしるかっこよさ。夫を失っても、大きな愛ですべてを包み込む。彼女は、「時」の化身でもあるようだ。
結局、「時」がすべてを溶かし融和させる、ということなのかな。

シェイクスピアのセリフは、登場人物の頭の中をすべてさらけだすから、わかりやすいというのを聞いたことがある。そう思ってセリフを聞いていると、確かに全部吐露している(笑 なるほどね。だから饒舌なわけね。
ちえさまが膨大なセリフで大変だったのは、このためなのだ。
目線でものを言うとか、一言で察するなんていうのはない。

面白いなあ。

英語のセリフにはリズムがあって、やはり日本語で聞いているのとまったく印象が違う。
映画だから、訳がかなり短くされているためもあるかと思うけれど、セリフが長いと感じなかった。

舞台設定は、シェイクスピアの時代のセリフはそのままに(たぶん)、時代は20世紀初頭みたいな感じだった。冒頭にフィルムでシシリア王とボヘミア王の幼少時代の仲の良さを観たりするシーンがあったから。

お気に召すままは、アメリカ人による演出。
やはりイギリス人の方が、シェイクスピアに関しては一枚上手なんじゃないかな。

posted by 風土倶楽部 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月25日

「リバティ・バランスを射った男」

1962年製作、ジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを射った男」

BSプレミアムでお昼に放送していたのを録画して見た。
なにも期待せず、なぜ録画したのかもよくわからず…。
が、見られてよかった。

傑作だった。

お昼のBSは、なぜか頻繁に西部劇を放送している。
解説には、傑作、注目作、などの文言が散見され、ほんまかいな…といつも思っていた。
西部劇は、特に見たいジャンルでもないし。

が、これは、素晴らしい作品だった。

南北戦争も終わり、アメリカがいよいよ近代化に向かって歩み始めたころのお話。
無法時代の名残の色濃い西部の街にやってきた弁護士になりたてのランス。街の入り口でリバティ・バランスが率いる荒くれ者たちにみぐるみはがされてしまう。牧場主のトムと、彼を慕うレストランの給仕ハリーに助けられるが、このまま泣き寝入りするのではなく、法で裁きたいと考える。

字の読めないハリーに法律書を読ませ、読めるのが当たり前という態度のランス。
近代化の先端をゆくランスと、まだ昔のままの街の人たちとのやりとりが随所にいろいろなエピソードで仕込まれていて、時代背景がとてもわかりやすい。

字の読めない人が多いのに、新聞社を一人で立ち上げ、新聞を発行しているダットン・ピーボディ編集長の気骨も面白い。

牧場主のトムは、銃の名手。ハリーを嫁に迎えるためにひそかに家を増築している。
開拓者の成功者の一人だけれど、牧場を拡大するなどの新しい波には乗り切れていない。

登場人物の一人ひとりのキャラが、とても明確で、物語の進行もスピードがあり、どんどん引き込まれてしまった。

中盤、意外な展開で、ランスは街の代表者に祀り上げられ、中央の政界への足掛かりをつかむ。
その裏には…

というのが、あっと驚くラストシーンになる。

ジョン・フォード監督、すごいじゃないですか。
そして、ちょっとお腹の出たジョン・ウェイン。ぐずぐずしているから、ハリーの気持ちをつかみ損ねてしまう。不器用で、♡のある男。はじめて、ジョン・ウェイン、ええやん、と思った。

こんな傑作を放送してくれるBSプレミアムは、エライ!(笑

堪能いたしました。

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2016年12月24日

「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」

ううっ💧

まさか、スターウォーズで泣く日が来るとは・・・

でも、泣けた〜。

T〜Vは、ずっと惰性で見ていた状態だし、「スター・ウォーズ フォースの覚醒」なんて、ぜんぜん覚醒しないで、気絶しそうだったもん。

ついに、ついに「帝国の逆襲」以来の感動と満足感を味わう日が来た!
スター・ウォーズは、WとXを越えられないと思っていた。
が、ついに並ぶ作品が登場!

これを見たかったのよね〜。

登場人物たちの人生が凝縮して描かれていて、夢がないといえばいえないことはないけれど、背負っているものから逃れようとしながらも、フォースの命ずるままに自分のなすべきことに立ち向かっていく。

ううっ・・・また、泣いちゃう。

あ、それって、「バイオハザード ヴォイス・オブ・ガイア」のちえリサたちと一緒だ…

と、いつものようにちえさまに戻っていく私。


もとい!
ローグ・ワンは、はぐれものといった意味があるそうな。
1977年、1980年のスター・ウォーズのはぐれものは、ハンソロだったけれど、2016年のはぐれものは女性のジン。
ジンの強いまなざしにやられた〜。囮になったりして、ハードな任務をこなしていた男たちを従えて、敵地に乗り込んでいくところが、もうちえリサ!

あ〜、また、ちえさまに戻っちゃう。

でも、結局、そういう時代なんだろうな〜。
オンナはお茶汲みという時代に社会に出た私としては、隔世の感あり。

ラストの美しい海のシーンが、胸に迫って、泣いてしまった。
そして、エピソードWへの橋渡し。

完璧やん♡

そりゃあ、ツッコミどころはある。
ドニー・イェンが、棒で戦っちゃうところも、考えてみれば、そりゃあムリだろう、なんだけれど、ドニーがやっているから、納得。そして、ちえリサもゾンビと棒で戦っていたし…。

いろいろと符合の多い「ローグ・ワン」と「バイオハザード・ミュージカル」
などと考えているのは、世界中で私だけだろうな〜。

ま、いっか。

とにかく、スター・ウォーズが、また、私の元に戻ってきてくれたといううれしさに昨日から浸っている。
そして、エピソードWをもちろん鑑賞。
全部持っていると思っていたら、なぜかUだけない・・・ま、なくていいけど。

今までの3倍くらい楽しめた。
あの設計図は、ジンやキャシアンたちが命を賭けてゲットしたものなんだ!と思うだけで、何倍もドキドキした。

39年の時を隔てて、大きな環が閉じて、スター・ウォーズは希望をつなぐ話だったのだと思い至った。

ありがとう、ローグ・ワン!



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2016年11月01日

東京国際フィルムフェスティバル「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」

超高齢化社会で100歳越えがごろごろいる時代に突入しつつある。
我が家の90歳の口癖は「90歳にならないと、このつらさはわからへん」
自分のわがままを通すときに錦の御旗のごとくこの言葉を必ずいう。
そして、「つらい、痛い、あちこち痛い」と、日々つぶやいて、じっと横になっている。

90歳になってみないとわからない・・・心の中で「そら、わからへんわ…」とつぶやいてしまう。
じゃあ、100歳を越えちゃった人は、どうなるのだ?毎日、つらい、つらいと言いながら生きているのか?

そんなことを毎日考えるようになって出会ったのが笹本恒子さんだった。
テレビ番組で観た恒子さまは、大腿骨を骨折したため車いす生活を余儀なくさせられてはいるけれど、お肌つやつやで、はつらつとしておられた。

そんな恒子さまのドキュメンタリー映画ができたというので、思わず飛びついてしまった。
おまけに上映後に記者会見まであるとのこと。
生の恒子さまを見ることができる稀有なこの機会を逃す手はない!と。

本物も、やっぱりすごいパワーだった。頭脳明晰、言葉も明瞭。
「私、102歳になっちゃったのよ。うふ」

「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」
二人の人生を駆け足で辿り、現在と重ね合わせるドキュメンタリー。
一番印象的だったのは、笹本さんが住んでいたマンションの1室から、ベランダ越しに目の前に広がる都心部の風景を見ながら、「死にたくなるようなこともあった」(といったような言葉だったかと)とおっしゃっていたこと。そりゃあ101年も生きていたら、いろいろあるのは当然。でも、なんだかほっとするような一瞬だった。
とても強い意志で生き抜いてきた笹本さん。そんな人にも、もちろん山あり、谷ありだったのだと。

むのさんの反戦を強く訴える生き方は、とてもわかりやすく力強かった。
ただ、シールズを出したのは、かなり疑問。単なる大学生たちとの対談にしてほしかった。

「笑う・・・」というタイトルがついているのだけれど、むのさんの最後の様子が衝撃的。
一度は死線をさまよいつつも、復活。その37日後に逝去。
画面では、少なくとも「笑う」状態ではなかった。

上映が終わってからの記者会見で、観客から、まさにこの部分の質問があり、会場に来ておられた息子さんが「最後に微笑んで亡くなりました」とあったので、救われた気がした。が、映画だけ観る人にとっては、やはり疑問が残るだろう。

監督によれば、どう死ぬかが最大の課題になっている今、泣きながら生まれ、笑いながら死ぬという仏教の言葉を問いかけたかったそうな。

101歳を生き抜いたお二人の生命力と前向きな気力には、勇気をもらえたけれど、「笑う」という部分は、映画からはあまり伝わってこなかった。
記者会見に登場した笹本さんのほほえみを一目みれたことの方が大きかったかな。



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2016年08月26日

「神なるオオカミ」

2016年(今年やん…)製作の中仏合作の映画「神なるオオカミ」
TSUTAYAでふと目に留まったので。

日本では絶滅してしまったオオカミ。
生態系の頂点がいなくなったおかげで鹿もイノシシも増え放題。
人間が増えてどんどん山野を浸食している間は、そのバランスの悪さが顕在化しなかったけれど、今や、森は荒れ果て(一応緑豊かに見えてはいるけれど)、人の暮らしがケモノたちに脅かされる事態に・・・

日本は山がちな国だから、その荒廃ぶりはわかりにくいけれど、映画の舞台になったモンゴルは草原がほとんどだから、とってもわかりやすい。

この映画では、オオカミは徹底的に美しい気高い生き物として描かれている。
本能に従い、大自然の中でその役割をはたしている。
人間もその大自然の一部であるかぎり、オオカミとは対等に命を張り合う。

が、そこに外から、金と生業を求めて人間がなだれこんできたときに何が起こるのか。
お定まりの自然の破壊。そして、オオカミの生息を脅かす。
どこでも同じことを繰り返していくのが人間。

舞台は、文化大革命の時代。辺境の地に下方されたインテリ青年が、オオカミに魅せられてしまう。
オオカミの子どもを間引いていくことに耐えられず、1匹の子犬(オオカミの)をこっそり育て始める。
都会の男というのは、どこの国も同じだな〜。
やたらと感動するけれど、自分の価値観は捨てずに、草原の民の暮らしを引っ掻き回していく。
そこに、政府の役人(下っ端だけど)が主任として赴任してきて、開発を推進していく。

この両者の愚かさが、同じ量で描かれているのに好感をもった。
迷惑するのは草原の民とオオカミ。
でも、結局、草原の民は、開発者と手を組み、新しい時代を築くことに踏み出していく。

中国とフランスという現実派の民が作った映画だなあ。
日本だと、もっとウェットな内容になっちゃいそう。

25年ほど前にモンゴルに釣りに行ったときに、現地で人を襲うようなケモノはいないと言われたので、イトウ釣りに夢中になっていたけれど、この映画をみて、あれ?モンゴルにオオカミがいるやん・・・

ググってみたら、いる。準絶滅危惧種だけれど、いる。

ということは・・・あのときもいたのか。。。
誰もいない川べりで魚を釣ったり、草原でうろうろしたり、漆黒の闇の中で星空を眺めていたりしたっけ。

オオカミのいる自然、いない自然。
ずいぶん受ける印象が違うものだ。

ところで、映画の中でモンゴルに中国の役人(漢人)が来るのも気になって、これもググってみて驚いた。
近代のモンゴル史は、僧侶が数万人単位で処刑されたりと虐殺の歴史でもある。
この映画の草原の民たちと漢人たちとの関係性に納得。

25年ほど前に行ったときは、ウランバートルは淋しい街だったけれど、現在は、きっと近代的なビルが立ち並んでいるのだろうなあ。
近代化と人の幸せ、近代化と自然の在り方、いろいろなことを考えされられる映画だった。

ぜんぜん眠くならなったから、☆☆☆☆☆


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2016年08月22日

「海街diary」と「誰も知らない」

是枝監督の作品を続けて2つ見た。

「海街diary」
見ている間、何度もうるうるしてしまった。
ほかに女をつくって家を出ていってしまった父。
その父に反発して、やはり家を放りだした母。
残った鎌倉の古い家に暮らす3人姉妹。そこに亡くなった父が遺した母違いの妹を受け入れて…
というお話。
両親がいなくなっても、祖母が丁寧に暮らした家があり、そこで3人と一人の新しい暮らしが育まれていく。
家族が肩を寄せ合い、思い出をつくっていけば、そこにちゃんと家族の物語が紡がれていくのだな〜としみじみ。
末の妹が少しずつ居場所としてこの家に馴染んでいく様子が丁寧に描かれていて、彼女が、その家までの階段を上っていくようなシーンに出会うたびに思わず涙腺が緩んだ。
知らない家族の話なのに、なぜか懐かしくなって仕方がないという不思議な映画だった。
小津タッチの気負わない、静かな映像と会話が心地よかった。

「誰も知らない」
こちらは、無責任な母が父親の違う子どもを4人も生んで、お金を置いて、長男にすべてを任せて出奔してしまうという実話をもとにしたもの。
2DKくらいの古いアパートの1室が、子どもたちの唯一の居場所。大家に大勢の子どもがいることがバレテはいけないので、下の3人は窓から顔を出すことさえ母親に禁じられてしまう。
出生届を出していないから、学校にも行けない。いや、母親は学校に行っても仕方がないと行かせない。
母のいない日中は、4人の子どもたちだけの世界。やがて母が子供たちを置き去りにしていなくなってしまったら、ますます4人だけの暮らしに。
それでも4人は、不自由をものともせず、暮らしていく。
福祉関係に訴えれば?という大人もいるのに、4人でいたいからと、長男は12歳(ということになっている)の知恵を駆使して、弟と妹のめんどうをみる。
目の離せない驚きの内容だった。
ラストも、彼らは淡々と「誰も知らない」世界の中で生き続けていくことを選択する。
YOUが、あまりにもぴったりの母親役で、リアリティがありすぎ(笑
それにしても、子どもたちの演技の自然なことに驚く。
次男は福くんかと思ったら、違う子だった。
柳楽くんがカンヌ映画祭で最年少で主演男優賞を受賞ということだったけれど、これは取っちゃうよね。

posted by 風土倶楽部 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

衝撃的な「シン・ゴジラ」

「シン・ゴジラ」、すごい映画だ!
怪獣映画だと思ったら大間違い。
社会風刺の映画なのだ。

だから、子供向きではない。
たぶん見てもわからない。子どもにはつまらない映画だと思う。

冒頭、海が沸騰し、なにが起こっているかわからないところから、完全に引き込まれた。
ゴジラに、ではなく、人間たちのドタバタぶりに、だ。

3.11直後の日本政府は、これ以上にドタバタだったんだろうなあ。

この映画のすごいところは、ゴジラに一切の感情移入を観客にさせないところにある。
目玉をむき出しにしたまったく可愛げのかけらもない生物として描くことで、「敵」というのもに対処するとはどういうことかが鮮明になる。

国を守るとは、防衛とは、外交とは、組織とは…が次々に突き付けられていく。
ものすごくよく練られた展開で、見ている間中、なぜかワクワクしてしまった。

このワクワク感はなんなのかしら。

ひえ〜、面白いやん!!!
これこれ、こういう映画を待っていたのよ!
と拍手喝さいしたい気分だった。
ある種のシミュレーション感満載。隣のアホな国とか、広大な領地を持っているのにもっと欲しがる大国とか、仮想敵には困らないもんね。

人間の罪業を一身に背負ったゴジラが醜いのは当然。
あれは人間そのものなのだ。

星新一のショート・ショートに、大きな穴が発見され、どこまで深いかわからないほど。そこに人々がいろいろなものを投げ込むようになった。巨大な底知れないゴミ捨て場だ。ある日、空から、ゴミがポツンと落ちてくる。ふと、あのショート・ショートを思い出した。

やしおり作戦なんて、突然言うから、「なに?それ?」と。
観客は、みんなわかっているのか?
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するときに飲ませた酒のことだそうで・・・

どこまでも日本にこだわった、日本への愛にあふれた映画だ。
もし、若くしてみたら、自衛隊に行かねば!と思ったかもしれない。
が、かなり組織論的なアプローチが多いから、子どもにはわかんないかもなあ〜。

早く無人の飛行機をたくさん作っておかないとね〜。
ゴジラより、手ごわい敵が日本の回りにはたくさんいるから。

私のお気に入りは、石原さとみちゃんの米国大統領特使。
さとみちゃんも、いつの間にか三十路近くなって、妖艶になってきたのね。
英語をがんばっていて、よくやった!

ネイティブの日本語のできる女優がやればよかったという意見もあるけれど、やはりここはさとみちゃんで。
祖母が広島出身という設定が泣かせる。
オリンピックをみていると、国籍がずいぶん曖昧になってきつつあると実感。
愛ゆえにいろいろな人種がミックスされて、生まれた場所、育った場所、そこで出会った人々に支えられて、その国の一員として最善を尽くす。

さとみちゃんの役どころは、なかなか意味深だと思う。
ラストは、シン・ゴジラ2を予感させる終わり方になっているから、次回は大統領にさとみちゃん、日本の総理に長谷川くんがなっている状況というのがありかも。いや、ぜひ、それでお願いします!(笑
謎の博士も、そのままだしね。まるでポケモンの「博士に送る」の博士みたいだ。

庵野さんという人も、エヴァンゲリオンも、まったく知らないばあやですが、これはエヴァなるものを見なくっちゃと思った。
若い人が、こういう視点を持った人が作ったものに深く心を寄せているというところをきちんと理解していないと、本当の日本の行く末がわからないから。

シン・ゴジラで、ゴジラトークしながら、国防や、自衛隊について語る、っていいなあ。
でも、セリフがものすごく早くて、ついていくのが大変だったから、もう一度観ないとなあ・・・

これって、戦略?



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2016年07月21日

BSプレミアム「太陽」

「太陽」傑作だ!
こんな脚本が書ける人がいるとは!

蜷川幸雄の演出だった「太陽2068」が気になっていた。

近未来のSFではあるけれど、普遍的なテーマがたくさん盛り込まれていて、すべてのシーン、セリフに目が離せない。

そもそも設定がすごい!
正体不明のウィルスによって、太陽の光を浴びることができなくなったノクスと呼ばれる新人類。
反面、病気に強く、頭脳明晰。寿命が旧人類の何倍にもなる。

そんな人類が誕生したがゆえに旧人類は、旧型とか骨董的人種キュリオと呼ばれ、ノクスに牛耳られ、貧しい生活を強いられることになる。
が、太陽の下で食力の生産ができるのはキュリオだけ。

人は、すべてのものを手にすることはできない。ならば、なにを選択して生きていくのか。なにに誇りを感じて生きていくのか。
あらゆる根源的な問いが盛り込まれている。

夜の世界だけにしか生きられず、夜明けを見ることのないノクス。
ラスト近くにキュリオの一人が、夜明けと日の沈むのを感じられてこそ1日を生きたことになるのだというようなセリフがあった。1日をしっかり生きてこそ、本当の生を感じることができるのだと。
そして、なにものにも頼らず、自らの手で明日を生き抜いていこうという決意がキュリオに生まれる。

すごい脚本だ。

映画化されているので、こちらも見てみようかな。
神木くんが鉄平なら、かなり期待できそう。
でも、やはり舞台だからこそのセリフの際立ちってあるからな〜。

次回、舞台があったら、ぜひ、観に行こう!


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2016年07月17日

WOWOW「タンゴ、冬の終わりに」「火のようにさみしい姉がいて」「嵐が丘」

2週間前から、右半身に電流が走るような痛みがあって、医者に行ったら、「帯状疱疹かと思う。が、発疹が出てからでないと治療ができない」と言われた。1週間ほどして、痛みが和らいだのでしめしめ、これで終わりか?と思っていたら、プツンと虫刺されのようなものが胸に現れ、少しずつ増えて・・・これが痛いのなんのって!
ウワサには聞いていたけれど、帯状疱疹って、こんなに痛いものだったのね〜。
皮膚科の医者に駆け込んで、薬をもらい、とにかく安静にしていろと言われたので、ちょうど溜まっている録画を観ることにした。

見ていても痛いんだけどね・・・とほほ。

なので集中力がイマイチで、語れるほどのものもないから、簡単な感想だけ。

舞台を映像の録画で見るのは、やっぱり邪道だと思う。
ちょっと気になっていた舞台が、立て続けにWOWOWで放送された。

「タンゴ、冬の終わりに」「火のようにさみしい姉がいて」「嵐が丘」「ジャンヌ・ダルク」「ひょっこりひょうたん島」

この5舞台を録画してみて、観に行けばよかったなあと思ったのは、「ジャンヌ・ダルク」かな。

清水邦夫脚本、行定勲演出「タンゴ、冬の終わりに」、蜷川幸雄演出「火のようにさみしい姉がいて」は、とてもよく似た内容で、どちらも役者の熱演に迫るものはあった。が、しかし、私は、果たして本当に演劇が好きなんだろうか…という自分への疑問を突き付けられたような芝居だった。

どちらも主役が落ちぶれつつある役者、それをサポートする女優の妻や愛人という設定。
役者って因果なショウバイなんだなあ・・・
現実と虚構の中で、なにが真実なのか、嘘なのかが混沌としていく。
それはそれで面白いんだけれど、その混沌の中の狂気が見ているものに対して不安感を与えていき、足元が崩れていくような気持ちの悪さがあった。
まあ、人間はどこかに狂気を孕んでいるものだから、そういうものを目の前に抽出して見せられてしまうと気分がよいものではないのかも。

「タンゴ・・・」の方は、三上博史が本人なのか、役なのかわからないぐちょぐちょ汗まみれ状態で、ひたすら見るのに疲れた。妻役が大好きな神野三鈴じゃなければ、最後まで行き着つけなかった(笑

「火のように・・・」の方は、段田安則がすごすぎて、宮沢りえも、大竹しのぶも、すごすぎて、目が離せないすごい舞台だった。特に大竹の目つきは、夢に出てきそう。
似たような設定だったけれど、こちらの方が内容はわかりやすかった。時の流れの中に置いてけぼりになるものと、追い越してしまうもの、いつまでも変わらないものと、激変するもの、それがオセロのセリフと重ねあわせて綴られるという、かなり高尚なセリフ回しなので、私のような商業演劇好きには少々荷が重かった。が、それなりに面白かった。でも、観に行ってたら、途中で寝ちゃっていたかも。

「嵐が丘」は、脚本・演出がG2.おお!バイオハザードと同じだぞ、というのでチェック。
昔は、この小説が面白いと思ったんだけど、今ではなにが面白いのかよくわからなくなった。
30年ほど前に、この小説が生まれたブロンテ姉妹の家を観に行って、いろいろ納得したからだと思う。
とにかくヒースの丘が続く、暗い閉塞された場所だったのだ。現代のように情報があふれている世界とは違い、隔絶された因習に満ちた世界の中で、才能だけを胸に悶々と暮らすブロンテ姉妹の表現者としてのはけ口が小説で、そこに自分のロマンをぶち込んだんだろうなあ〜と。
あの家と、その周辺を体感して、ものすごく腑に落ちたのだ。要するに欲求不満小説ね(笑

それをこの時代に舞台化する意味って、正直言ってまったくわからなかった。
堀北真希と山本耕史の出会いの舞台なのよね〜という目でしか見られなかった(笑
戸田恵子のうまさには、ちょっとびっくりしたけど。
堀北真希の妖しい美しさにも。山本耕史が夢中になるのもよくわかる。

「ひょっこりひょうたん島」は、観に行かなくてよかった〜、と心底思った。10分ほどでギブアップしちゃった。

「もっと泣いてよ、フラッパー」も。
六本木の自由劇場に通っていたころは、狭い空間で、時には最前列に座り、役者が目の前で楽器を演奏してくれるのを見上げていたっけ。そんな熱気を知っていたから、Bunkamuraで上演され始めるようになって、行ってみて、かなりがっかりしたのを思い出した。あの小劇場の舞台空間が、本当に好きだった。吉田日出子や笹野崇史が触れることができそうな近さで導いてくれる虚構の、とてつもなく楽しい魅力的な空間。あ〜、懐かしいなあ。もう二度と味わうことができないだろうなあ。余貴美子も、かわいかったのよね〜。
と、録画を見ながら思って、30分でギブアップ。


やっぱり私には、わかりやすい舞台がぴったりなのよね。
昨日は、痛みがかなり軽くなったと思ったのに、今日は、また、痛い。
ゾンビ化した水疱瘡菌のやつめが、胸に噛みついているイメージだわ〜。


posted by 風土倶楽部 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 極私的観賞日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする