2015年12月07日

「御用船 帰還せず」「離れ折紙」「文福茶釜」「螻蛄」

相場英雄著「御用船 帰還せず」☆☆☆

新聞の書評にホメて書いてあったので読んでみた。
江戸時代中期になって構造改革をしないと政権が持たなくなるというのはわかる。
だから、萩原重秀のような人物が重用されたといのもわかる。
それに対して、北町奉行所の役人である柳田や高木、要するに既得権益を守ろうとする側が阻止しようとするのもわかる。
が、しかし、金を隠すというのが金融市場としてはわかるけれど、隠しおおせるものでもない。いや、逆に隠しおおせたのなら、そもそも御用船を帰還させないなどという離れ業は必要はなかったわけで…その御用船奪取のからくりも、あまり説得力がなく…設定に無理があった、と思う。
一気できたから、☆1個おまけ。

黒川博行著「離れ折紙」☆☆☆☆

新幹線に乗るのになにも読むものをもって来なかった!と、急遽、書店で目についたこの本を購入。
「骨董」をテーマにした短編集で、人間くさい登場人物ばかりが次々に出てきてとても面白かった。
骨董には、うっかり手を出さないでおこうと肝に銘じた(笑
あまりにも面白かったので、「文福茶釜」を図書館で予約。
帰りの新幹線用には「螻蛄」を購入。
文庫本を買ったのは1年ぶり。
伝統宗教の裏で欲に走る僧侶や事務局。そこに絡むやくざの桑原と、建設コンサルタントの二宮の疫病神コンビ。こちらも欲の泥沼で、それこそ泥だらけになって七転八倒する輩の話が疾走感をもって展開する。
骨董シリーズも、疫病神シリーズも、大阪弁が炸裂!
朝ドラの「あさが来た!」も大阪弁で、頭の中はすっかり大阪弁が渦巻いている今日このごろ。
螻蛄は、読んだからってどうってことない内容なんだけれど、クセになる。

さて、次はシリーズ最高傑作らしい「国境」を読もうっと!




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2015年11月03日

渡辺淳一「阿寒に果つ」宮本輝「錦繍」

渡辺淳一「阿寒に果つ」
淳一大先生にすっかりはまってしまったと友人に言ったら、「阿寒に果つ」を読めとのこと。
なるほど〜、これを読まずして、彼の女性遍歴はわかりまへんな。
それにしても、なんという女なのだ、純子は。
こんな自己愛の塊みたいな女に出会ってしまったら、オトコは翻弄されるしかないでしょ。
しかし、なんでも最初というのが、とっても重要。自分の人生を振り返ってみても、つくづくそう思う。
この小説と並行して宮本輝の「錦繍」を25年ぶりに再読した。
こちらは「業」のお話。
どっちも同じことを言っているのだと思う。人の業なんて、自分ではどうしようもないこと。
性格でもなく、まさに業なのだ。
どんな人にどこでどんなふうに出会うか、きっかけはいろいろでも、そこに業がまとわりつき、その道を選ばせてしまう。たぶん何度生き返っても、同じ道を選ぶのが業なんだろうなあ。そこからは逃れることができない。せめてその道を覚悟を決めていくことだけができること。
純子は、果てることで自分を生かす道を選び、亜紀は障害児の息子を育て上げる道を選び、靖明は令子と生きる道を選ぶ。
2冊とも深いなあ。さすが淳一大先生と宮本大先生のご本だわ。


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2015年10月15日

渡辺淳一著「遠き落日」

渡辺淳一著「遠き落日」
野口英世の生涯をドキュメンタリー風に描いた小説、というジャンルだと思う。

渡辺淳一という人は、「失楽園」などでセンセーショナルなアダルト小説の書き手のイメージが強いけれど、「花埋み」などの医療をテーマにした小説も書いている。
新聞の連載で「失楽園」などをちらっと読んだだけだったので、「花埋み」を読んで、明治時代に女医になった女性の自立を描いた骨太な内容にちょっとびっくりした。

野口英世といえば、幼児のときにやけどで左手が不自由になったけれど、貧困の中、医者になり、黄熱病の解明に命を捧げた英雄…だったのだけれど、実際は…というのが「遠き落日」

一種の天才肌の人だったようで、自分が興味を持った事柄については寝食を忘れて研究に没頭。一方で金銭の感覚が大幅にずれていて、借金をしまくり、友人知人に迷惑をかけまくった人でもあったようだ。
研究で少しでもわかったことがあれば、がんがん論文を書きまくって発表していたため、ずいぶん間違った研究成果もあった。
なによりも黄熱病の原因を突き止めたと思っていたけれど、梅毒などのスピロヘーターの一種だとしていたものが、結局、ウィルスで、本人はそのウィルスに汚染されて、黄熱病で命を落としてしまう。
当時の顕微鏡では、まだ、スピロヘーターしか突き止めることができず、この後、人類はウィルスとの闘いに邁進せざるをえなくなる。その過渡期に英世はいたという悲劇。
意識が薄れていく中で、「わからない…」とつぶやいていた英世が憐れでならない。

ほとんどなんの伝手もないのに、一度日本で案内しただけのアメリカ人の教授のもとになけなしの資金で渡米し、訪ねていき、ほぼ押しかけの弟子になり、やがて、その教授の右腕になり、当時の世界で最も有名な医者の一人になりあがる英世のパワーには脱帽だ。ハングリー精神の賜物。

性格的に問題があろうと、立身出世が動機であろうと、研究に人生を捧げたことに代わりはなく、人格的に破たんしていたとしても、やはり偉人には違いない。
渡辺氏があとがきで書いているように、偉人に祀り上げられていた英世よりも、この本の中の英世の方が人間的で魅力的だと思う。
映画化されたけれど、従来の英世像を壊すものではなかったらしい。
科学の重要度がますます増している今こそ、英世の生き方を映画化してみても面白いのでは?

「花埋み」の荻野吟子も、日本初の女医という栄光を味わったあと、思いがけない展開で人生の苦難を再び味わい、最後は失意の中で終わる。英世も、やはり栄光を極め、ウィルスに犯され、命を終えていく。
しかし、二人とも、命終わるときに駆け抜けた満足感はあったように思う。いや、思いたい。

渡辺氏の小説をもっと読みたい…

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2015年08月30日

天童荒太著「永遠の仔」

天童荒太著「永遠の仔」

長い…あまりにも長い。
文庫版3巻までは、丁寧に読んでいたんだけれど、4巻目からは早回ししてしまった。読書なのにね(笑
とてもデリケートなテーマだから、詳細を書き込まなければならないこともわかるけれど、5巻分が必要かといえば、そうは思えない。アルツハイマー病などの高齢者の話は必要なかったのでは?特に岸川夫妻の話は、4巻目から急に登場してきて、妙に話をまとめるセリフが多くなり、唐突な感じが否めない。ここまでの長編で、ここだけ説明調のセリフが多くなるのは納得がいきませぬ。

双海病院での子供たちにつけられた呼び名が難しくて覚えられなかった。なぜ英語読みに変換し、なおかつそれを短縮して呼び名をつける必要があるのか。それぞれの子供の抱える疾患を現し、互いを尊重するためなら、もっとわかりやすい簡単な名前の方がよくない?
たとえばジラフ。きりんを意味するということだけれど、「きりん」でいいじゃん!(笑

ものすごい力作ではあるし、テーマも小説だからこそ描ける人間の尊厳とは?を追及した深い話だとは思う。
でも、物語の要である雄作が一番描けていないため、結局、罪悪感に振り回され続ける登場人物たちが、読み進み、謎の回りの霧が晴れてくるにしたがって、単に不幸な人たちにしか思えなくなってきた。

表紙の人のオブジェが怖い。

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2015年08月18日

川端康成著「女であること」

1956年に書かれた小説。
古臭いかな…と思って手に取ったけれど、まったく感じさせなかった。
もちろん当時の風景や日比谷のあたりの雰囲気は異なるけれど、人間の心情は、いつの時代もそう大きな違いはない。

弁護士佐山の妻市子を理想の女性として、殺人者で裁判中の男の娘妙子と、夫が女をつくり家を出てしまった市子の女学校時代の親友の娘さかえが、周囲をぐるぐると回り、人生にもがいていく様子が丹念に描かれている。

人生の最初から大きなハンデを背負わせれた妙子が、しがみつかざるを得ない男子学生の存在、
父親コンプレックスゆえに年の離れた佐山に惹かれて、苦しむかなえ。
初恋の人と別れてしまい、いまだにそのときの熱情に時折、わけもなく襲われる市子。
人生にありがちなさまざまな「傷」が、男と女の情感の中で広がったり、癒されたり、再びの傷になったり…。
そんな繰り返しで人生は過ぎていくのだろう。

川端康成らしい日本人の情感にあふれた小説だった。
翻訳されたものを読む海外の人は、この文章の中の日本のあいまいさや、こまやかさを理解できるのだろうか。

物語は動きそうで、動かず、なのに登場人物たちを引っ掻き回すさかえの存在が気になって、538ページという分厚さなのに一気に読み終わってしまった。
丸の内から日比谷にかけての描写が、とても懐かしかった。
川島雄三監督により映画化されているので、見たいなあ。
市子が原節子、かなえが久我美子、妙子が香川京子、佐山が森雅之・・・いい配役だわん!

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2015年07月22日

カトリーヌ・アルレー著「わらの女」

「目には目を」が面白かったので、彼女の一番の傑作といわれている「わらの女」を読んでみた。
きついサスペンスものだなあ!

悪女小説というよりも、愚かな女小説だ。
でも、なぜか身につまされてしまう。

以下、ネタばれあり。

ハンブルクの大爆撃で親族を全員失い、閉そく感に満ちた暮らしをしている30代の女性ヒルデガルデ。
富豪が伴侶を探しているという新聞広告に魅入られてしまい、周到に練られたワナにはまっていく・・・

意外な展開だったのが、富豪とは割にあっさり結婚できてしまうところ。
あまり説得力がなかった。唯一愛した妻に早くに先立たれ、富豪だけれど、孤独な老人カール・リッチモンド。
人は金でいくらでも魂を売る。そんな場面をわざと創りだし、ボーイたちを貶めて楽しんだりしている、まあ、お金を持っているジジイにありがちな性格。
そこに看護婦になりすましてやってきたヒルデガルデ。彼女は、わざとお金では動かない女になってみせる。
まんまとその演技に妻の面影を見たのかどうかわからないが、カールは結婚を申し込む。

このあたりの成り行きがイマイチぴんと来ない。
看護婦の割には、やることがほとんどない。
事件が起きてから、警察はこの看護婦として乗り込んできた経緯を調べれば共犯がいるとわかるはずなんだけど。
そして、ネタばれだが、解説にあるように、殺人者は遺産相続はできないという法律上の問題が、完全にスル―されている結末。

かなり破たんしたお話なんだけれど、面白くて一気できてしまった。
私は、こちらよりも「目には目を」の方が傑作だと思う。

誰だって、贅沢はしたい。
でも、こんな怪しい話には乗らない。
と思うけれど、ネットにも、雑誌にも、怪しい話は数知れず。一連の「おれおれ詐欺」だって、その一つ。でも、人ははまる。
ヒルデガルデの欲望も、絶望も、わかるだけに、そこまでやろうと思ったのなら、もう少し強く生きてもよかったのになあ、と、とても残念な結末だった。

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2015年07月14日

あさのあつことカトリーヌ・アルレー

あさのあつこ著「弥勒の月」「夜叉桜」
タイトルの付け方がうまい。
つい手にとってしまう。
先に「夜叉桜」を読んだ。

思わせぶりな展開だな〜。

「弥勒の月」での殺人事件が、どうやら尾を引いているらしい。
シリーズだから、当たり前か(笑
なんだかもやっとしつつも、文章がうまいし、ストーリーテラーでぐんぐん一気させてもらった。
が、最後の謎は、???と3つくらい残ったまま。
このまま、また、次につながるわけ?

ひょっとしたら、「弥勒の月」を読んだら、謎が半分ぐらいに減るのかな?と思い、「弥勒の月」を手にしてみた。

うーん、やはりラストに???が残る。
思わせぶりすぎない?
でも、まあ、ひっかかっていた謎は、すぐに忘れちゃったし、どうでもいい謎だったみたい。
信次郎の言動が、あまりにも人の心を逆なでするようなものばかりで、正直気分が滅入った。
ということで、このシリーズはこれで打ち切りです(笑

実家の本棚を整理していたら、ひょっこり出てきたカトリーヌ・アルレー著「目には目を」
表紙の70年代の雰囲気にひかれて、ページをめくってみたら・・・
ほかのことをしたくなくなるぐらい面白くて、一気させてもらった。

登場人物は4人だけ。
それぞれの独白でつながれて、物語が進んでいく。
独白だから、それぞれの置かれている状況と心情が赤裸々に吐露される。

資金繰りに行き詰った皮なめし工場のオーナー。
その若く美しい妻。
石油の埋蔵地の権利を偶然手にし、富豪になりかけている冴えない独身中年男。
その姉で医者の独身中年女。

登場人物をみただけで、なにかが起こりそうな危うい構成(笑

翻訳が素晴らしくて、すいすい読めてしまう。
アルレーは、悪女書きと評されているようだけれど、鼻の下の長いオトコ書きとも呼びたい。

60年代初めに初版が出ているのだけれど、まったく色あせていない小説だった。
「わらの女」を読んでみよ。

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2015年05月24日

ちえさまとなめ子

ちえさま(柚希礼音)が、ご卒業されて、早2週間が過ぎた。
ちえさまロスに落ち込むかと思っていたのに、まったくない・・・なぜだろう。
すでに10月〜12月にかけて、超ビッグなブロードウェイ・ミュージカル「プリンス・オブ・ブロードウェイ」への出演が、先週、発表されたから?

もうちょっとご卒業をかみしめたい気分だったのに、あまりにも早くて、ちえ組一同、うれしいけど、反面、次のチケット争奪戦に参戦しなければいけないから、気分もそぞろ。
忙しさは、結局、在団中と変わらへんやん・・・

このあと、ブロードウェイに行っちゃったら、そのときに初めてちえロス症状が出るのかなあ。

きりやん(霧矢大夢)の退団後、初の出演となった「マイ・フェア・レディ」のときに、日生劇場の3列目センターという夢のような席をなぜか自力でゲットできちゃった。
まるできりやんが、私のためにだけ公演してくれていると錯覚させられるような席で、斜め前にはまりも(蒼乃夕妃)ちゃんがいるという夢の席だった。
が、しかし、そこで見たら、達成感を感じ、きりやん熱が一気に冷め、ちえさまに向かっていったのだった。

そんな自分がコワイ・・・

ちえさま、よいお席で何度も見すぎました。。。
達成感が半端ないです・・・ということは…ちえ熱、どうなる・・・

いや、ちえさまは永遠です。NYまでついていけるかどうかはわかんないけど。。。

日々、録りだめた映像を見るにつけ、その素晴らしさを再確認中。
やはり別格。ちえさまを見慣れた目には、他組では、なかなか満足できませぬ。
宝塚は、ちえさまと共に卒業かなと思っていたんだけれど、あんなにちえさまが「フォーエバー・タカラヅカ〜♪」と願って退団されたので、まったく見ないというわけにもいかず・・・
当面は、ありちゃん(暁千星)に注目していこう。問題は、月組ってとこよねぇ・・・

まあ、それはさておき、ちえさまのようなお方を世の中が放っておくはずがない。
これからも、ちえ組は忙しくなりそうだなあ〜。
FCも、立ち上がるようだし。
ちえさま、英語とダンスをがんばってね。
舞台を楽しみにしています。

ちえさまご卒業で心静かな日々を過ごすには読書よね、と思い、退団前に図書館で借りた本のひとつが、辛酸なめ子著の「次元上昇日記」

なめ子、面白すぎ。

本を読んで、声を出して笑ってしまった・・・そんな記憶が今まであっただろうか。

スピリチュアル系をこんなに的確に伝えている本がほかにあるだろうか。
誉め殺しの最高テクニック
その洞察力の鋭さに心酔しちゃうな。

今度は、有機無農薬やら、無添加やらのナチュラル系をテーマに書いて欲しい。

ん? でも、スピリチュアル系の人は、本当に彼女がヌルランの言うことにしたがっていると思っていたりするのかな。

私の一番のツボは、なめ子さんがテレビでアニマル・コミュニケーターのハイジがオコゼやイワシなどの気持ちを代弁しているのにインスパイアされて、電車に飛び込んできたカメムシ相手に読心術に挑戦するところ。思い出しただけで、笑ってしまう。

久しぶりに脳内ダンスエクササイズをして、すっきりした気分だ。

図書館から、予約して待っていた本が続々と届いてしまった。
ちえさまと一緒に英語の勉強をしようと思っていたのに、そんな暇がないんですけどぉ・・・


追伸(誰に…?)
BSプレミアムで放送されていた高倉健主演の「鉄道員 ぽっぽや)。ピエトロ・ジェルミ監督の「鉄道員」みたいな話かと思ったら、ぜんぜん違った。くらーい話で、驚くべきことに健さんとしのぶ(大竹しのぶ)が20代ぐらいの役をやっちゃっていて、かなりうつむき加減に見てしまった。というか、半分くらい寝落ちして気が付いたら、彼らの娘の幽霊が出てきていて、そーゆー映画だったのかあ…と、見たことを後悔した。
浅田次郎には、ずいぶん泣かされたけれど、もう二度と泣かされないと確信した映画だった。
壬生義士伝とか読んで滂沱の涙にくれていたころの私は、今よりピュアだったんだろうか…。

きっと、ちえさまに成長させていただいたのね。
人生は、ものや人を見る目を養うための学びの連続だわね。

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2015年04月15日

藤本ひとみ著「ハプスブルクの宝剣」

今年は、5月10日まで観劇は「黒豹/Dear DIAMOND」一色。
当然です・・・
今月は、あと2回。来月は4回。
タカラヅカ・スカイステージは、目下、ちえさま祭状態で、3月上旬に新しく購入した録画機がすでに満杯になりつつある。
放送されると、どうしても同じものを録画してしまう・・・貧乏性だ。

実は、2010年の公演「ハプスブルクの宝剣」が2011年ごろにNHKのBSプレミアムで放映されたときに、初めてちえさまに遭遇した。ほかにも、霧矢大夢、真飛聖の公演が放送されたんだけど、残したのはちえさまのこの公演だけだった。

あまりの迫真の演技に目が釘付けになった。
そして、主人公はユダヤ人。

宝塚は、ユダヤ人問題にも興味があるのか…とびっくりしたことを覚えている。

数多くみていくと、興味があるわけじゃないんだな、これが。
題材にするだけで、内容は結局、「愛」だから。
希望があれば、どんな逆境だって生きていける。
そして、たった一つの真実の愛さえあれば!

なのよ…

でも、このときのエリアーフ・ロートシルトがめちゃくちゃ気になった。
なのに、なぜ、ちえさまにこのとき、はまらなかったのか。

一生の不覚だ・・・

さて、気になっていた原作を読んでみた。
読み終わって、びっくり!
原作は、ユダヤ人として迫害を受け、云われのない罪を着せられ、片目をえぐられて失くしちゃうし(そのときにフランツと出会い、救ってもらう)、
マリア・テレジアと不倫しちゃうし(がっつり不倫。でも、ハプスブルク家はキリスト教を守る立場で、エリヤーフがユダヤ人だからと愛憎がすごい。そして、アーデルハイトと瓜二つなんかじゃない)、
フランツは太っちゃうし(笑)・・・

一番の仰天は、エリアーフはユダヤ人じゃなかった!ということ。
もうとにかく脚色ってこうやるんだ!の見本、お手本みたいな植田景子バージョンだった!
宝塚版は最後に橋の上でアーデルハイトに再会するけれど、原作はフランツの神聖ローマ皇帝戴冠式で偶然再会し、彼女が贖罪のために仕えていた殺された婚約者のお母さんであるヘッセン・カッセル方伯未亡人カロリーネに仇として銃で撃たれて瀕死の状態で終る。おまけにカロリーネが不倫して生まれた子がエリアーフで、生まれてすぐにユダヤ人にもらわれ、そのユダヤ人が火事に巻き込まれ、ロートシルトの家に引き取られたという衝撃の真実がそこで明かされる!が、母親はその事実を知らない。

植田バージョンは、まさしくエッセンスだけを集めて、宝塚的にお料理して、食べやすく、美味しくして、お客様にお出ししたというわけ。ユダヤ人問題を、です。宝塚ってすごい…藤本ひとみがよく文句言わなかったなあというぐらい短縮バージョンだ。

ちえさまがオープニングの3分間、なにもない舞台の上で一人で「希望はここに〜魂のキャンドルを!」の歌を歌うのが大変だったと言っている。まさにあの歌に原作のすべてが凝縮されていて、それをきちんと表現して、伝えているちえさまにまたまた感服した。
ヨーロッパにおけるユダヤ人の位置づけも、原作でよくわかった。シオンをめざした意味も。それがナチスの迫害につながり、パレスチナを生んだことも。
そして、マリー・アントワネットが、とてつもない大きなものを背負わせられて、フランスに腰入れさせられたことも。マリア・テレジアは、人選をミスったね(笑 でも、それは歴史的必然だったのだろうなあ。

もう一つの発見は、黒豹でアントニオがナチスやイタリアの海軍に身売りの話がテーマになっているけれど、どうやらヨーロッパでは、ナポさまでもあるように現在のような国分けがきちんとできていなかったから、国をまたいで軍属になる人もけっこういたみたい。そもそもハプスブルク=オーストリアだけど、今は小国になっている。オーストリアという国は存在せず、ハプスグルク支配圏という感じだったみたいだ。

深い!深すぎるハプスブルクの宝剣だ。

それらがすべてあの短縮バージョンでわかるかといえば、かなり無理がある。
エリア―フの素生を知りながら、側近として登用し、保護したオイゲン公も、一樹さんが歌う歌詞にその状況があるだけ。
フランツとの深い関係も、川で倒れていたのを救ったことで出会ったことになっている。
マリーとの関係は、もっと単純に描かれているけれど、原作の愛憎はすさまじい。
が、すみれコードだとあれが限度なのだろう。
どうやら、この作品でちえさまにはまることができなかったのは、この作品のストーリーの複雑さゆえに、あえて簡素なストーリーにされたことにあったような気がする。
原作も、ちょっとマンガ的な運びなのだが、歴史的背景がちゃんと描かれているから、そのあたりは目くらまし状態になる。そもそも架空のユダヤ人エリアーフが、当時の強大なハプスブルク家やプロイセンのリーダーたちと互角、いや、それ以上に渡り合うなんてありえない。
その歴史的背景を取ってしまい、マンガ的な部分を浮かび上がらせたのが宝塚バージョン。
マリア・テレジアとアーデルハイトを瓜二つという設定にしたため、アーデルハイトとの愛はわかりやすくなったけれど、エリアーフががんばる意味が薄くならざるを得ない。要するにいつもの宝塚的恋愛ストーリーになったわけ。

植田景子さんが、自分の本で、この作品をちえさまが演じるにあたって、エリアーフの隻眼をどう設定すればいいかを悩んでいたときに(舞台上で隻眼だと危険)、ちえさまが「それを表現すればいいんですよね」と即答したと驚いたと書いている。さすがトップ!と。

まさに今、原作を読んで公演を観直してみたら、エリアーフの悲しみ、悔しさ、孤独、焦燥・・・すべて丹念に細やかに表現されているではないですか!
ラストのアーデルハイトと出会ったときの言葉にならないリアルな驚きまで、一分の隙もない演技だった。
原作を読んでから、見ることをお勧めします。ちえさまは、ちゃんと景子さんが描ききれなかったものまで、その演技の中に組み込んでおられます。
柚希礼音という人にますます惚れてしまうこと間違いなし!

かなめちゃんフランツも、なかなかよい雰囲気を出している。
原作を読みながら、二人の登場人物がそのままかぶって頭の中で動いておりました。
こういう楽しみ方もいいかも。

常に完璧をめざすちえさま。
その人物造形をどのように組み立てていくのか。お稽古場で見ていたいなあ。
そんなSS席があったらいいのになあ。おとなしーく見ているから(笑


タグ:宝塚歌劇
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2014年09月12日

舟橋聖一著「ある女の遠景」

昭和40年代に書かれたもの。
母よりも慕っていた叔母伊勢子が、不幸な恋愛で自死。
ところが、その後、伊勢子の不実な相手と不倫関係になってしまう姪の維子。
官能の世界にとらわれて、人生の迷路をさまよううちに、伊勢子の最後に隠された謎に行きつく。
遠い平安の世に同じように愛欲の迷路をさまよった和泉式部日記を愛読した伊勢子もまた、日記を書いていた…。

昭和40年代の風俗がところどころに取り入れられていて、そこが一番面白かった。
ウナギ屋が密会の場所になっていたり、
英国大使館周辺の新築アパートが当時のお妾さんたちの一番多いエリアだったり、
千鳥ヶ淵のホテル(たぶんフェア―モントホテル。懐かしい)が舞台になっていたり…。

それにしてもまったく生活感のない小説。
いったいみんななにをして食べているのだ?
伊勢子、維子、紋哉(議員なんだけど、なにをしているんだか)と変わった名前だらけ。

愛情ゆえなのか、愛欲ゆえなのかわからない悶々とした一人の女の日々をみると、いろいろな女の顔が見えてくる。
でもね、年をとっちゃうと、悶々したことなんて、どーでもよくなるのよね。
あれはなんだったんだろうってぐらい。まあ、そうなっちゃうと、単なるオバサンになったよい証拠でもあるけど。
和泉式部も、最後はどんなことを思ってのかしら。

舟橋聖一は男性なのに、女性の心の動きがよくわかるのね。
同時に「花の生涯」を読んでみたけれど、「奸婦にあらず」と設定が違いすぎて戸惑ってしまった。
なので、途中でギブアップ。
ただ、村山たかという人の人生が、壮絶なことには変わりない。
平和なときに悶々として自死しちゃう女、悶々として、結局、身勝手な男の都合のよい女として生きる女、混乱した幕末に命がけで男に尽くす女、
いずれの遠景も、すでに私には遠いなあ。

と、小説を読むと思うのに、宝塚の作品を観ていると、そうなのよ、そうそう、あら〜っ!そうなっちゃうの〜と、共感してしまう。この差はなんだ?
たぶんどんな男も、女性が演じることで浄化されちゃうのかも。
ロスト・グローリーのちえさまイヴァーノを決して憎めないように。
あーあ、あんなに悪く悪く考えちゃって、ばかねぇ。かわいそう…としか思えないもんね。
だって、ちえさまがカッコよすぎるから・・・。

そこかい…。

これでいいのだ。

退団後も、どこまでもお供しちゃうもんね 黒ハート

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2014年08月30日

諸田玲子著「奸婦にあらず」

久しぶりに小説をしっかり読んだ。
諸田玲子著「奸婦にあらず」
図書館でふと手にとった文庫で、最初の3分の1程度までは、なんとなく読んでいたけれど、後半は一気に読了。

ヒロインのたかは、坊人と呼ばれる多賀大社の密偵。
江戸時代に朝廷と幕府の間をとりもつ役割を担った大社が、情報収集のためにあちこちに送りこむ密偵として、仕込まれた女たかは、譜代大名の彦根藩井伊家の14男の愛人となる。
22歳の部屋住みの未来が見えない若者と、密偵の28歳の女は恋に燃え上がり…というところから物語は始まる。

井伊直弼といえば安政の大獄で桜田門の変。教科書通りのことしか知らなかった。
が、彦根藩主になるまでには、庶子で14番目の男の子ということで養子の口もなく、先行きがみえず、悶々として32歳まで小さな屋敷で暮らしていた苦労人なのだ。

小説は、直弼が彦根藩主になるまでに半分ほどの紙量が費やされていて、安政の大獄に至るあたりは学んだ歴史通りにことが運ぶ。
長野主膳という人物も、まったく知らなかったが実在の国学者。小説では、たかが直弼との間を取り持ち、二人が師弟関係を結んだことになっているが、実際も主膳は直弼のために京都で幕藩体制維持のために奔走したようだ。

幕末といえば、新撰組や薩長を中心に描かれることが多いが、この小説では、幕末最大の悪者にされていた直弼の周辺の人々、それも情報収集が難しかった当時、暗躍した坊人たちを中心に描くことで、当時の混沌とした社会で命を張り合っていた緊迫感が伝わってきた。

ただ、たかの生き方そのものは、歴史と血縁に翻弄されすぎていて、彼女の志なるものが不明瞭なまま過酷な結末に至る。当時の女性が、自分の人生がままならなかったのはよくわかるが、直弼と主膳が共に見据えた幕藩体制の維持という志に、どこまで共感していたのか。結局、惚れた男と、その男が心酔する男の夢を自分のもののように錯覚していただけ。その夢の代償は、あまりにも大きかった。

ラストの「真心磨いて…けど真心ほど厄介なもんはおへん。あっちの真心がこっちの真心とはいかんさかい、争い事が絶えんのや」に尽きる。

村山たかも実在の人物。体制が変わる歴史のきしみの中でたか、直弼、主膳の3人の悲劇的な生涯を描いた力作。NHK大河ドラマの定着の大きなきっかけになった舟橋聖一著の「花の生涯」が、同じ3人を主人公にした物語だそう。読んでみようかな。


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2014年05月14日

観賞&読書日記 「アナと雪の女王」「村上海賊の娘」

大ヒットしているアナ雪を観賞。
始まる直前から、いきなり眠気が襲ってきて、前半はもやっとした状態。
後半からは、覚醒して観賞。

映像がきれい〜!
音楽もよい〜!
ラストも、ちょっと意外な展開でよい〜!

でも、なんでヒロインたちは、あんなに目が大きくて、鼻が低いの?
「塔の上のラプンツェル」も、気になって仕方がなかった。
ディズニーのマーケットが広がった今、アメリカ人を基本にするのではなく、どこの国の人かわからないようなキャラになっていると、誰かが言ってたっけ。

でも、あの鼻の低さは気になるなあ(笑
ディズニー映画の関係者から、「そこかよ」と言われそう。

ストーリーは、自分を解放することや、愛の深さの尊さなど、ディズニーらしいアプローチで安心してみていられた。名前を忘れたけれど、雪だるまのキャラクターがお気に入り。最初は、なんだこれ?と思ったけれど。


もうひとつ大ヒット中らしい「村上海賊の娘」
こちらは読了ならず。下巻の途中でギブアップ。

戦国時代をNHKの大河ドラマで観ていると、まるでホームドラマみたいな気さえしてくるけれど、実は殺し合いの血なまぐさい時代。生首を腰にぶら下げて戦ったり、殺した門徒の鼻を削いで集めたり。今では、どんなに想像してもできないような価値観や倫理観をもった時代だったのだろうけどねぇ。
人の命が、ものすごく軽く扱われた時代だった、みたい。

でもね、20歳の女の子が、たとえ海賊であろうと、戦国時代であろうと、相手が悪党であろうと、首を刎ねたり、袈裟がけに人を切ったりする、おまけに嬉々としてという設定が、私にはまったく受け付けなかった。
泉州言葉を話す海賊たちの言葉のやりとりのわざとらしさも、鼻について仕方がなかった。
史実とフィクションをうまく組みあわせていて、その点は面白いのだけれど。
下巻の途中までは、かなり一気に読んでいたんだけど、ふっと「どうでもいいや」と放棄。
もう少し短くしてもよかったんじゃない?(笑

戦国時代もの、殺戮もの、戦闘ものがお好きな方にはお薦めです。




タグ:映画
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2013年11月05日

10月の読書日記

湊かなえ「白ゆき姫殺人事件」

ソーシャルメディアは、関係者の証言と対比して書かれてみれば、どちらも人間の姑息さ、身勝手さ、いい加減なものや人の見方を鮮明にあぶり出すものだという面白い結果に。
「告白」の作者らしい作品。
ただ、残念なのは、殺人に至る動機がイマイチ説得力がない。
私の経験からいうと、すごくいい人そうに見える人でも、下心を隠してそうしている人もいて、なかなかすごい芸当だなあと思うし、自分に害が及んだときには、消えてくれないかなあと思うこともある。だからといって、殺しちゃったりはしないけど。でも、それが毎日のことで、生活に深く根を下ろされちゃうと、やっかいだろう。なるべくそういう人には出会いたくないものです。

わが盲想
モハメド・オマル・アブディン
ポプラ社 2013年5月16日

スーダンから、日本語もできないのに来日するというご本人の勇気、そして、語学だけでなく鍼灸や大学で国際紛争について学ぶという努力には敬意を表するけれど、一番意外だったのが、日本はそういう方たちの受け入れ態勢が整っているのだということ。日本も捨てたものじゃないと思った。
彼が学費や生活費をどのようにしていたのか知りたかった。

藤本ひとみ
「皇帝ナポレオン」
「皇后ジョゼフィーヌのおいしい生活」

宝塚100周年のトップバッターは、柚希礼音さま率いる星組による「眠らない男 ナポレオン」。
というわけで早々に予習に励むことに。その第1弾として手をつけたのが「皇帝ナポレオン」
が、なんだかわかりにくい書き方で、いっこうに読書が進まない。
ならば、ジョゼフィーヌから攻略だ、というので、同じ作者の皇后バージョンを読んでみたら、わかりやすかった〜。これでかなりナポちゃんの周囲の人間関係の核心部分がわかった。
ヨーロッパの18世紀初頭の歴史なんてさっぱりわからない。フランス革命だって、ベルばらと、スカーレット・ピンパーネルと、アンドレア・シェニエと、永遠の祈りとで得ている知識程度なんだから・・・って、宝塚ばっかりやん!(笑

もともとは池田理代子のベルばらの漫画を読んでいたころに、ツヴァイクの「マリー・アントワネット」とかを読んで、フランス革命に「親しんだ」わけなんだけど。まさかヅカでこんなにフランス革命を舞台にしているなんて知らなかった。そのあとはエリザベートにつながっていくんだけど、このエリザと、スカピンの間がナポレオンなわけで、案外、知らない時代なのだ。

当時のヨーロッパ情勢は複雑極まりないことこのうえなし。日本でいえば、関ヶ原の合戦で東西がにらみあっていて、武将たちがそれぞれの思惑で動いて…と似ているかも。武将の名前も、ある程度の配置もわかっているからこそ、闘いの部分は面白いのだけれど、17世紀後半から18世紀にかけのヨーロッパの勢力関係なんて知らないもんね。

まあ、宝塚の場合、そういう時代背景をちょこっとお借りするだけだから、どうでもいいわけで…それよりも人間関係の把握に重点を置きましょ。「皇后ジョゼフィーヌ」のおかげで、タリアン、バラス、シャルルあたりの主要人物はクリアできた。ジョゼフィーヌとナポちゃんの関係も、皇后を退位した経過など、なんとなくヅカが着目しそうな部分はわかってきた。

戦闘に明け暮れるナポちゃん。その間にジョゼフィーヌは不倫しまくり。いったい小池修一郎氏は、どんなアレンジを施すのだろう…と、私があーだこーだ考えていたら、ヅカ友が昭和60年に花組で公演された「愛あれば命は永遠に」のパンフレットがヤフオクで出ているから落とすようにと。

え〜っ!と思ったんだけれど、まあ、500円ならということでゲット。そしたら、脚本までついていた。当時のパンフはいつも掲載されていたんだとか。
高汐巴さんがナポ、若葉ひとみさんがジョゼフィーヌ、大浦みずきさんがシャルル(ジョゼフィーヌの愛人)…ふむふむ。大浦みずきさんといえば、やはりその友人によると、「琥珀色の雨にぬれて」のジゴロ、ルイがお見事だったとか。「奥さま、お手をどうぞ」は当時、ヅカファンの間で流行したらしい(笑

が、またまた友人によると、このナポ公演、とんでもなくつまらなかったのだとか。
うーん・・・脚本にざっと目を通しても、まあ、そんな感じ。
植田氏の脚本・演出。
プロローグが「お聞きください、お話ししましょう」で、いきなり「愛 愛 愛 愛こそ強く 愛こそ気高く」って、まるでベルばら・・・。
パンフレットのご本人によるコラムでは、「偉大なナポレオンの歴史は、凡愚弱輩のぼくには所詮無理な題材だったのです」と、ほぼ敗北宣言。

小池氏は、きっとあっと驚く仕掛けを考えて勝算をもくろんでおられることでしょう。

さて、次は、ナポ関連のどんな本を読みましょうかねぇ。
映画とか観た方が早いかな。
ところがちょうどよい映画がない。
ナポちゃんを生涯愛し抜いたというデジレ王妃が主人公の「王妃デジレ」を観たいけれど、1955年の映画だから、手に入るかしら。ナポちゃんをマーロン・ブラント、デジレをジェーン・シモンズ。そそられるなあ。デジレという人はナポちゃんにふられたんだけれど、最終的にスウェーデンの王妃になっちゃうという数奇な運命の人。欧州の王族や貴族も、この時代には下剋上で中流階級がのしあがったりしているのね。

IMG_0008.jpg ナポちゃん仕様の高汐さん。すでにREONUでレオンちゃんが似たようなヘアスタイルにしていましたっけ。イメージ刷りこみ作戦?(笑





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2013年08月29日

8月の読書日記 T 第2図書係補佐 など

mixiのレビューにせっせと入れていた読書感想文、というかメモ。
mixiがいつなくなるかわからないから、こっちにも入れとこ。

ヘンな日本美術史
画家が解説してくれるので、視点が画家なのだ。
構図はもとより、色やアプローチの仕方など。

頼朝像の顔の白さは暗がりで見るから。
金箔が背景にあるのも、昼間の光と夜のろうそくの光で見ると、金箔部分が透けてみえる。当時の人の遠近感の違いなど、描かれた時代の状況に思いを馳せながらみると面白いものだ。

雪舟の常に新しいものを取り入れていこうとする姿勢など、画家の心情まで読み解くなど、画家の視点による解説がとても新鮮だった。

2700人以上も描きこまれているという洛中洛外図舟木本をぜひ、じっくり観賞してみたい。きっと江戸時代の町にトリップした感覚になれるだろう。




鋼鉄の叫び 
鈴木 光司 角川書店 2010

タイトルと内容がぜんぜん結びついていない。
まずはそこに違和感。

そして、不倫と特攻を並行して考えることにものすごく違和感。

大きなうねりの中で、自分の考えを押し通すことの難しさはわかるけれど、最後のどんでん返しがあまりにも小説的で、どうもバランスの悪い作品に思えて仕方がなかった。




ボディ・レンタル
佐藤 亜有子 1996 河出書房新社

作者は、今年1月に薬物中毒で急逝。
かなり心と体にキズを負っていた人らしい。
心と体を切り離して考えたいという気持ちはよくわかった。
浄化するための文学だったのかな。
ほかの作品を読んでみないとわからないけれど。




第2図書係補佐
又吉 直樹 幻冬舎 2011年

いや、びっくり!
文章はうまいし、発想は柔軟だし、なによりも一見関係なさそうな自身の体験にもとづくエッセイと本との整合性がちゃんと取れてるやん!

すごいやつだ。もっと読みたくなる。





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2012年10月25日

「「作りすぎ」が日本の農業をダメにする」のかな

先週の月曜日に喉がひりひりしはじめ、熱が出て、咳が出て、ようやくおさまったと思ったら、左耳がこもるという置きみやげ。もうっ!3年ぶりの風邪に振り回されている。

けほけほ咳込みながら、読んだのが川島博之氏による「「作りすぎ」が日本の農業をダメにする」(日本経済新聞社刊 2011年8月)
川島氏は前著「食糧危機を煽ってはいけない」から、一環してレスター・ブラウンの予測がいかにはずれているかと統計を駆使して検証している。
今回の本も、同じ路線のもの。

レスター・ブラウンがは1995年に「誰が中国を養うのか」を刊行し、世界の食糧難を惹き起すなど、いろいろ暗い未来を「予言」していたっけ。
そういえば、2005年ごろ、エタノールを作るためや中国の消費拡大で大豆やトウモロコシがなくなるといって、ブラジルの大規模農家との契約に奔走する大手商社の動きをレポートするNHKの番組があったりしたけれど、その後、どうなっているのか。
つい最近では、アメリカの旱魃による穀物の生産量が激減するとしきりに報道されていたけれど…。

食料自給率をわざわざカロリーベースで出しているのは日本と韓国だけということを知って以来、国の自給率で物事を考えるのは危ういぞ、と気がついた。
川島氏は、食糧は過剰供給されているから、TPPで交渉しなければならない。要するに余った食糧の押し付け合いだという。廃棄されている量も、大量だから、川島氏の言うことも一理あるなあ。

日本の農業の歴史的、構造的問題点も的確に指摘。結局、農協と農地の保有のあり方など構造が変わらないかぎり、日本の農業の未来が暗いとした ら…TPPという外圧に壊してもらうしかないのか、とさえ思う。

それにしてもレスター・ブラウンの予測は、同氏が検証しているようにことごとくはずれているなあ(笑
2000年ごろのあの熱気はなんだったんだろう…。
川島氏いわく、レスター氏の著作は日本で一番よく売れるとか。
資源のない国というレッテルを自ら貼ってしまっているから、資源が枯渇するとか、飢饉になるとかいわれると、日本人はスイッチが入っちゃうのかも。

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2012年10月20日

6月〜9月に読んだ本

「藻谷浩介さん、経済成長がなければ、僕たちは幸せになれないのでしょうか?」学芸出版社2012年7月刊
地方の暮らしを見て、感じていたことを藻谷さんが経済的な視点から、ものすごーくわかりやすく説明してくれて、はー、すっきり。地方のストック、日本の国のストックを考えると、いろいろな謎も解ける。メディアの報道では、日本はもう先がないような気さえするけれど、この65年間のストックは半端なものではない。ただ、有効に使えていないだけというのにとっても納得。日本は65歳の高齢者うつ病っぽくなっているそうです。対談なので、懇談会に行く行き帰りでほぼ読めちゃいました。
読んでいて、対談相手の山崎亮さん、兵庫県家島で会った人だとやっと気がついた。家島のおばちゃんたち、どうしているかな。

8月18日
「雪国」 川端康成著
生身の女と、その女に触発されないと生きている実感が得られないオトコ島村との数年間にわたる雪国での関係を描いた川端康成定番の小説。じっくり読んだのは初めて。ひょっとしたら、冒頭の「長いトンネルを抜けると…」があまりにも有名で読んだ気になっていたのかなと思うぐらい新鮮だった。
冒頭、「左手の指が女を覚えていて…」というくだりから、列車の窓ガラスを使った女との出会いの描写から、もうめくるめく川端ワールドががんがん展開していく。
たわいもないオトコとオンナの会話をつなぐのは、雪国を構築する名文の数々。
雪国というこの世の外にあるように美しい(大量の雪でさえ、川端にかかると美しい存在になる)世界で、抜けきれずに生きざるを得ない女の哀しさ、美しさが丹念に描かれます。駒子だけに重い荷物がどんどん増えて行く。川端はドSなのかも。いや、きっとそうだ。。。

8月16日
仕事もせずに、川端康成の「千羽鶴」(昭和26年刊)にのめってしまった。なんというエロチシズム!源氏物語と呼応する日本文学の真髄。まさしく文学だ・・・。「雪国」からもう一度読みなおそう。

7月26日
三澤勝衛著作集の「風土の発見と創造」シリーズの第1巻「地域個性と地域力の探求」を読了。まさに地元学です。手法も同じです。昭和3年に南信日日新聞に寄稿された論文の見出しを見ただけでもすごいです。
「都市優位論の誤り」
「都市には都市、村には村の使命がある」
「使命を決めるのは「地域」の個性と力」
「地域個性の自覚と発揮で共存共栄」
「世界に一つしかない「地域」の力で地方振興を」
「地理学の役割は「地域の力」を明らかにすること」
「地域の力の源は自然力」
「科学とは自然を礼賛し、合致するためにある」
ひたすら驚きです。地域学をきちんと学んだ方にとって、三澤氏はあたり前の方なのでしょうか。地域調査の手法もアプローチの仕方も分析も、すべてここにあった。まさに地元学そのものなんです。
三澤氏がこれを書いたころは、生糸が全盛のころで、綿の産業が急速に衰退していた時代。製糸業の成功で地域を肯定して第1巻は閉じられています。昭和12年に永眠されておられ、その後の日本の有り様をどの思われたでしょう。
ものすごく考えさせられる本でした。人間とは、いくらよい指南書があっても、同じことを繰り返す動物なのかしら。大きな戦争を経験して、国土が焦土となった中から立ち上がり、今また、焦土へ。それでも小単位地域の発展に力を合わせ、その小単位が融合していく・・・考えがまだまとまらないですが、結局、そこなのかなあ。
師匠、こんな本があったのなら、教えて欲しかったです!
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_4540082047/

7月26日
三島由紀夫が昭和26年に書いた小品「夏子の冒険」を読了。
周囲のオトコがつまらない人ばかりだからと北海道の修道院に入ると言い出したブルジョアのお嬢さま夏子が主人公。貴族趣味で三島を育てた祖母の名前が夏子。これはイヤミで書いた小説なのか。人生を熱く生きたい夏子なのに、なぜか修道院という志向。小品だけれど、三島らしい謎が漂う。なでしこジャパンの活躍を見ていると、こんな時代もあったのね、という隔世の感、ひとしお。

6月21日
「会長はなぜ自殺したか―金融腐敗=呪縛の検証」 読売新聞社会部著 (2000-09) 新潮社
野球のことはよくわからないので、清武の乱の清武氏がどういう人か知らなかった。この本が出版された1998年当時、読売新聞社会部次長で第一勧銀、野村証券など大手金融会社の不正を厳しく追及していた人だったのね。これだけ総会屋や政治家への巨額の利益供与、すなわち不正が数十年にわたって行われてしまうことに驚き。漠然とした「恐れ」だけで、いとも簡単に不正が「仕事化」する企業社会。原子力ムラも同じ構造かも。当時の東京地検特捜部は不正にしっかり切りこんでいる。原発関連も、刑罰化しないと、構造にたまった垢は浄化されないのじゃないかしらね。廃刊されていたけれど、今年5月に緊急復刻。今だからこそ、ますます身に滲みる一冊。 廃刊されていた同書は、今年、5月に復刊。今こそ、身に滲みる一冊。

6月10日
「獣の戯れ」読了。先日、お仕事で行った西伊豆町安良里が舞台。
「…船が湾内に入るにつれて、あたかもその凝固した絵が湯を注がれて融かされたように、砕氷塔や製氷工場や火の見櫓や家々の屋根のあいだに、みるみる距離感が増し、遠近がほぐれ、入江のまばゆい水面もひろがって、埠頭のコンクリートの白い反射も、もう凝った白蝋の一線ではなくなった…」
一瞬でも集中力が途切れたら、物語についていけない。必死についていっているうちに三島ワールドに引き込まれ、頭の中をかき回されているような気分になり、それがクセになってしまう。このワナには二度とはまるまいと思っていたのに、また、はまってしまった…。今度行ったら、文学碑を訪問しよ。
文子さま主演の映画も観なくっちゃ。

6月2日
金閣寺 三島 由紀夫著 (2003-05) 新潮社
40年ぶりに再読。高校生のときにこの作品に出会い、三島にわしづかみにされた。この作品を受け止める感受性が当時はあったことに今になって我ながら驚いた。再読してみれば、主人公の感受性になかなか寄り添えず、年をとって退化したみたい。ストーリー、文体、語彙の豊富さ、テーマ性・・・本来の文学とはこういう作品をいうのだろう。「ヒタメン」を読んだ直後なので、付き合っているときに、恋人がこんな作品を書いているというのは、やはり相当めんどうな気もした(笑)貞子さんが触発した部分と、三島が本来持っていた感性の部分を思わず探してしまった。昭和34年に祖父が購入してくれた日本文学全集のうちの1冊なので(なんと旧かなづかい、旧字体!)、売れっ子作家になった三島の近影が扉に掲載されている。その写真には、その後の運命を占うものは見当たらないけれど、「私の肉が、いつかこの甘味の迸りに酔う日のことを、私は愉しく考えた。死の空は明るくて、生の空と同じように思われた」などという文には行きあたる。


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2012年10月19日

5月以前に読んだ本

5月27日
「動物と人間の世界認識 イリュージョンなしに世界は見えない」日高敏隆著。☆☆☆☆☆
やっとじっくり読めた。これも面白すぎ。動物のイリュージョンは、想像力を駆使すれば、少し垣間見ることができるけれど、イリュージョンを持たない植物の世界はまったく未知の世界。でも、その世界が一番宇宙とつながっている、ようなのだ。だから植物と一緒にいると心が落ち着くのかな。何度も読み返したくなる本。

三島由紀夫著「宴のあと」 ☆☆☆☆
三島って、こんなに面白かったっけ?20代にほぼ小説は読破していたけれど、今、読み返すとまったく印象が違う。ただいま、「金閣寺」読書中。

5月10日
忙しいと読書熱が高まる。なんてこった。
松本清張の「けものみち」をふと手にとったら、惹きこまれてしまった。映画化されたり、テレビドラマ化されているのは、骨組みだけ一緒でずいぶんアレンジされているのね。好色な政財界のフィクサー鬼頭老人の年齢設定が60代半ばで、しわくちゃの歯のない老人で、ヒロインに「おじいちゃん」と呼ばれたりしている。発表されたのは昭和39年。今から50年ほど前は、60代だと「よれよれの老人」だったのか。。。

5月6日
「見出された恋 金閣寺への船出」岩下尚史著
一晩で一気してしまった。今から60年前の、戦後復興期の日本が日本らしさを捨て、ひたすら貪欲に新しいものを取りこんでいる時代の三島由紀夫の恋を美麗な文章で描いた小説。彼が愛した、日本の文化そのもののような恋の相手に納得。アメリカンファーマシーでの最後のひとときにすべてが象徴される。三島らしい恋だなあ。岩下氏の語彙の豊富さに脱帽。私の日本語のなんと貧困なこと!さて、次は「ヒタメン」。

4月29日
「ブラックアゲート」
ほぼ一気読了。ストーリーテラーなんだけど、途中、先が読めてしまう。殺人蜂の猛威をどう収束するのかと思ったら、新薬というすごく現実的な終わり方。よくできているんだけど、2時間ドラマを見せられているような気がしないでもない。殺人蜂の繁殖を許してしまう構造が原発事故を招いた構造と似ている。人間社会を描くとこうなるということなのでしょうかね。

4月14日
「世界屠畜紀行」
「部落解放」の雑誌に連載されたものだったのね。著者の屠畜に対する嬉々とした取材がちょっと鼻についた。幼いころ、母に連れられて行った市場でバケツの中でうごめく生きたウナギを選んで買って、その場で見事な手さばきでさばいていく様子を見るたびに、子ども心に「あざやかな手さばきだ〜」と感心したことを思い出す。そこにはかわいそうもなにもなかった。食べ物とは、こうやっていただくものなんだなと自然に思ったっけ。いのちをいただいているという実感を持つためには、暮らしの中でそうしたものが息づいていくことが一番必要なことなんでしょうね。でも、現実は屠ることさえ、機械化されていく。いのちをそんなふうに扱うことに未来はあるのかなあと、読みながら思いました。たぶん食文化なるものも、その中で薄れて、平均化や一律化されていくのかなと。いろいろなことを考えさせれる一冊でした。

4月10日
「赤朽葉家の伝説」桜庭一樹著
終戦直後から現代まで女三代記。まるで漫画の原作本を読んでいるような不思議な感覚の小説だった。一つひとつの印象的なシーンが漫画のコマにありそうな劇画的な描写。第一章の「最後の神話の時代」が一番面白かった。やはり神話のない世界はつまらない。今は単なるデマがまかり通る時代。

3月3日
「サラの鍵」タチアナ・ド・ロネ著 ☆☆☆☆☆
二戸往復の新幹線の中でほぼ読了。「現在はいつでも過去の土壌の上に枝を揺らす樹木だ」という帯に惹かれて。ドイツにパリを占領されていた時代、フランス警察がパリとその近郊在住のユダヤ人13000人以上を検挙し、アウシュヴィツに送ったヴェルディヴと呼ばれるフランス人が語りたがらない歴史的事実をテーマに過去と現在をつないだ小説。忘れてはいけないことを、過去の歴史の1コマにしていない構成が素晴らしい。映画化されている。小説でなら読めるけれど、視覚化されてしまうとつらすぎる内容。観る勇気がないなあ。新幹線の中で時折読みづかれて、車窓を見ると雪景色。ああ、ここは暖かい新幹線の中、と思うとほっとした。それぐらい引きこまれてしまう小説でした。

2月7日
村の伝統芸能が危ない 星野 紘著 (2009-05) 岩田書院
農山村の生業と遊びが激変することで祭の本質が変化していく。 伝承の度合いの悪化 後継者を地域外の人に頼らざるを得ない状況 学校の統廃合によるダメージ 集落戸数の減少によるダメージ 今や、伝統文化の継承は女性と子供にかかっている。 調査の裏付けができ、すべて納得。

1月31日
女優  瀬戸内 晴美著 (1978-04) 文藝春秋
林真理子と瀬戸内寂聴を続けてよんだら、作風が酷似していることを発見。みんな、知ってたか(笑)
前後して読むと、ふとどちらの作品を読んでいるのかわからなくなる。嵯峨三智子がモデルの小説ということで読んでみた。今の若い人は知らないよね。期せずして、まるで女版光源氏だった。登場する男たちのなんと繊細なこと。それに比して、ヒロイン未来子や母親の鳳しのぶ(もちろん山田五十鈴がモデル)の生命力の強いこと。一般人の世界なら、不倫だなんだと騒がれることも、役者世界なら、芸の肥やしになる。倫理観よりも、動物としての感覚が優先される。いわば原始的な世界。人間は実はこういう生き物なのかもしれないなあ…と。みんながみんな、こんなふうだと秩序が保たれない(笑)だから、一般社会では倫理観でお互いを縛っている。男女間だけでいえばの話だけど。瀬戸内寂聴、やはりすごいです。深夜、やめられなくなって、目が疲れた〜。

1月29日
六条御息所 源氏がたり 二、華の章  林 真理子著 (2011-03-25) 小学館
六条をあえて語りにして運ぶ真理子さま流源氏物語。女の本音満開のどろどろ小説になるから面白い。恨んだり、悲しんだり、憎んだり、感謝したり、忙しいことこのうえなし。源氏物語好きの女友達と共通の感想は「これって、ある意味エロ本」でした。女性作家にしか書けない描写ゆえの、女性にしか読み取ることができないエロチシズムが全編に漂っております。真理子さま版光源氏は、観た目は美しいかもしれないけれど、権力と出自を嵩にきたひたすら女好きの自分勝手ないやーなヤツと描かれています。男に頼るしか生きる術がなかった時代、女はどんな扱いを受けても、耐えるしかなかった。そんな時代だから、光ることが許された男だった。これからの時代は無理でしょうねぇ。そのうち逆バージョンの光源氏女性版が出てくるかも。さて、六条御息所の魂はどのように昇天するのか。3巻目がたのしみです。

1月21日
昭和が明るかった頃 関川 夏央著 (2002-11) 文藝春秋
以前から、吉永小百合の映画って、面白くないなー、と思っていたら、冒頭いきなり「長年、不思議に思っていることがある。それは吉永小百合の出る映画は、なぜつまらないかということである」から始まったので、かなりうれしくなって読んだ。 吉永小百合と石原裕次郎を軸に日活映画の興亡から、戦後社会を俯瞰したアプローチがとても面白い。吉永小百合は苦労人だったのね。一家と事務所の経済を背負わせられつつも、女優として向上心を失わず、常に努力し続けた。にもかかわらず、全盛だったのは1963年、64年と短い。高度成長期前期、世に認められた「キューポラのある街」から、石坂洋次郎の(懐かしいなあ。今、読まれることはあるのだろうか)原作映画、川端康成で紡いだ「吉永小百合物語」という固定したイメージの中で疲れ、羽ばたけずにいた小百合さんを解放したのが岡田太郎氏との結婚だったとは。そして、「夢千代シリーズ」で彼女は「原爆」というテーマを得、戦後へと回帰を果たす。 小百合さん主演の日活映画が少しずつ時代とずれていき、斜陽となる経過が面白くて、つい時間を忘れて読んだ。急激に移ろう「時代」の中で生き抜くことができるスター、今は誰なんだろう。


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2012年01月11日

桃花流水

陳舜臣著「桃花流水」(1987年刊)を読了
神戸出身で本籍は台湾という陳氏が、日中戦争前夜から突入時期の日本と中国を舞台に日本で育った中国人の女性を主役に中国側から見た日中戦争を描いたという、視点が珍しい小説だった。

昨年、2010年に上海万博で展示された「孫文と梅屋庄吉展」が東京国立博物館で開催されているのをたまたま見ることができ、この時期の日中関係が面白いなあと思っていたので、つい手にとってみた。資産家の梅屋さんが、孫文を資金面でサポートして、辛亥革命を後押ししていたんですよね。
この小説はちょっと不親切で、中国の人の名前や地名にルビをふってくれていないので、目で字面を覚えるしかなかったのがちょっと大変だった(笑)
題名の「桃花流水」は、李白の詩の一部。
主人公の父親で、抗日の志士が
「・・・桃の花びらがゆっくりと水に流れて行く風情を描写している。…それはなにやら手の届かなぬ理想の世界、いや、手が届かぬどころか、そんなものは存在しないという気さえする。けれども、あきらめてはならないのだよ。宋の詩人だが、理想の世界は空想のなかやあの世とやらではなく、げんにわれわれの生きているこの現実のなかにあるとうたっている。…桃花流水は人世に在り。…」と娘に、日中戦争が激しくなっていく中で、民族の存亡をかけて戦おうという決意を語る。
「桃花流水の理想郷は、人びとが自分でつくり出すものだよ」

うーん…今の現状を思うと、なかなか素直に「そうね」とは言えませんなあ。永遠にそれを追いかけるのが人間ということでしょうか。それが生きるモチベーションになるということで。

中国では、「「光」はその土地の景色のこと。「風」とは、その土地の風俗や人心のこと。観光は景色をみることで、それにたいして人間の営みや心をみるのを中国では観風と称している」という文章に出会い、なるほど〜。
私たちは、地域外の人間を「風の人」と言っているけれど、ところ違えばまったく別の見方になる。

読んでいて、中国が近代に踏み出したときと、今の共産主義社会を経験した中国では、中国人の気質というのは変わったのだろうかとふと思った。世界第二位の経済大国になった中国は、今、先祖がえり中なんだろうか。

佐野眞一氏が書いた紀伊国屋書店名誉会長故松原治氏の追悼文によると、松原氏は満鉄調査部出身だったとのこと。へえ〜っと思って、ググってみたら、満鉄調査部の影響を強く受けてできたのがアジア経済研究所だった。満鉄調査部は、元祖シンクタンクみたいなものだったそうで、1943年には軍部に解体させられてしまった。
知らないこと多すぎだわー。

mixiのレビューに本と映画の感想を入れて100冊(本)以上になったけれど、もうmixiはいつやめるかわからないので、少しずつこっちに入れていこっと。私の備忘録なので勝手なことばっかり書きます。あしからず。

RIMG0327.jpg


我が家のリビングです。
ウソです。
芦屋にあるヨドコウ迎賓館です。
Organic Arcitecutreを標榜したフランクロイドライトの設計による建物です。
どこがどうオーガニックなんだかよくわかんないけど、なんとなく納得。
大谷石がふんだんに使われていて、コンクリートと石と木の見事な融合建築だと思いました。

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2010年09月13日

「終わらざる夏」で知る北方領土問題ってどうよ

本当に暑さに弱い私。
9月はお誕生月だから、秋になると少しは元気になれるはずなんだけれどなあ。

浅田次郎著「終わらざる夏」を読了。
うーん、次郎さん、今回のは出来がイマイチ。どうしちゃったのかなあ。
浅田氏は確か直木賞の選考委員よねぇ。
私が委員だったら、「着眼点はいいんだけれど、途中で話が停滞しています。突然、メルヘン調になるのは無理がありますよ。欲張りすぎですね」って言っちゃいそう。上巻の後半ぐらいまではいい感じなんだけどなあ。
と言いつつ、ラストは涙で目がかすむ、鼻水は出まくるでちゃんと読めないほどだったけど。

それは小説が上手いのではなく、事実に打ちのめされたから。
千島列島北東端の島である占守島(しゅむしゅとう)に、終戦で降伏した日本に対してソ連が8月18日の未明から攻めてきた。その事実をもとにそこに関わらざるをえなかった人々を交錯させて描いた小説。
テレビ番組で今回の作品について「あえて取材せずに書いた」と言っておられたので、登場人物たちはたぶん架空の、でも、ありえた人たち。

恥ずかしながら、北方四島について初めて歴史的な経緯を知ることができたのが、この小説の最大の成果でした。
スターリンにより理不尽な戦いを仕掛けられる日本軍。ソ連は北海道をいただこうと思っていたわけだから、占守島は絶対に明け渡せない場所だった。この戦闘でソ連軍が壊滅的な打撃を受けたため、北海道が無事だったそうだ。「国土を守る」という戦争の最大の理が日本にとってあったのは、降伏した後に戦わざるを得なかったこの島と、終戦直前に占領された沖縄だけだったといえる。

この島に駐留していた人々にとって玉音放送がもたらした終戦という安堵を味わったのはほんの2日間。理不尽で卑怯なソ連に対して命がけの闘いを行い、21日には停戦。そして、武装解除した後に捕虜となり、シベリア抑留へ。辛酸をなめさせられた先人たちの思いはいかほどのものだったか。

領土とはなにか。守るべきものはなにか。
「今、書いておかねばと思った」と話していた浅田氏が描きたかったのは、今こそ、日本人として知っておかねばならないこと、だったのだろう。
そういう意味では十分意図を満たしている小説です。

戦後65年が経って、新しい情報がどんどん出てきている。11日の夜、NHKBSで放送されていた「原子爆弾の投下を阻止せよ」という番組も衝撃だった。当時のアメリカの国家予算の2割を研究に当て、ソ連の台頭を抑えるために原爆をなんとしても日本に使いたい当時の国務長官。戦争終結をできるだけ早くするために盛り込まれた天皇制維持の条件をあえて削除して、日本につきつけ、時間を稼いだという事実に愕然とした。
11日の夜に放送したNHKに拍手!(って、犬の遠吠え?)

でも、国家間の戦争とはそういうものなのだろう。だからこそ、戦争はしてはならない。
戦後の教育は、なぜ、日本が戦争に追い込まれたのかをまったく教えないものだったから、防衛についても語り合えない国民になってしまったと思う。

明日は民主党の代表選の結果が出る。どっちもヤダけど、独裁者はもっとヤダ。権力闘争している場合じゃないのにね。くっついている議員をよっく見ておかねば。
「やってくれそうだから」とか、「タイミングよく電話をもらったから」とか言っている奴は絶対落としましょうね。1年生だろうがなんだろうが。

あ、雨。秋を連れてきてね。


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2010年08月23日

暑いことぐらい耐えられる!、という気になる本

暑い。っていうのもいやになるほど暑い。
でも、冷房のきいた部屋にいて暑いなどといっているのは贅沢このうえないことなのだ。。。と思わず反省しちゃう本を2冊立て続けに読んだ。

1冊目は、「水木しげるのラバウル戦記」
ラバウルで九死に一生を得た戦時中の話がさらっと書いてある。
当たり前だけれど、絵がものすごくうまい。
当時の現地のようすがよくわかる。
その絵にあとで解説をご本人がつけたのが本書。
敵地に近いあたりに偵察に出され、たまたま明け方見張り役だったから、陣地が吹き飛ばされたときに一人だけ生き残る。
何度も死にそうになってようやく元の陣地に帰ってきたら、「どうしてお前だけ生き残った。次は先陣を切って散るように」と命令される。

日本軍のバカバカしい価値観で命が驚くほど軽く扱われている現場で水木さんが片腕を失くしつつも生き残れたのはなぜなんだろう。
誰よりもなぐられた回数が多いというほど、軍隊で自由人を貫いたからなのか。塹壕を掘れと命令されても、掘っているフリしちゃう。おまけに南国の暮らしを心底楽しんでいた。
「若かったから、希望があった」という文章が数回出てきたのが印象的。
極限状態のなかでも、現地の土人たちと人間らしい交流をしたことも彼の命を救ってくれる。まあ、端的にいえば、水木氏はかなり図太い人です。

2冊目は「オリガ ロシア革命と中国国共内戦を生き抜いて」ステファニー・ウィリアムズ著(ソニーマガジンズ刊)

1900年にシベリアの辺境の町に毛皮商人の末娘に生まれたオリガという女性の第二次世界大戦直後までを、オリガの孫娘であるジャーナリストが調べ上げて書いたノンフィクション。

兄たちが皇帝側についてロシア革命を戦ってしまったがゆえに家族と離れ、祖国を19歳であとにしなければならず、流れ着いた先が中国の天津。
世界中がイデオロギーと資源の奪い合いでせめぎ合っていた20世紀。そのもっとも激動の時代の波にもみくちゃにされながらも、生き抜いて、最終的にイギリスのオックスフォードでオリガが天寿を全うできたのはどうしてなんだろう。天津でイギリス人と結婚したことが生き残れた最大の理由かなあ。彼女は当時の女性としてはかなりの高学歴。でも、とっても聡明でそれを振りかざすようなことはしなかった。イギリス人の夫は学歴もなく、家柄もよくなかったのに。
彼女の3人の兄たちは処刑されるなど、全員非業の最期を遂げている。

昨年、入れ込んで読んでいた五味川純平の「戦争と人間」もそうだけれど、この時代は誰が悪いとか良いとかじゃない。誰が愚かで、賢明(狡賢いも入る)だったかがポイント。そういう意味で日本はもちろん愚かだったわけ。

ニッポンは今も、愚かさが変わっていないみたいな気がする。
なんでお金の問題がすっきりしない人や、防衛問題をさんざんひっかきまわしてうっちゃった人が「気合いだ!」とかいって、また、ゾンビのように出てきて大きな顔をできるのか。それをさせる議員どもの名前をしっかり心に刻んでおかなくっちゃ。
人材がいないって悲しいことですねぇ。
幕末は人口は今ほど多くなかったのに、どうしてあんなに多くの人材を輩出できたのかしら。

生き残るためには、強い意志と運、よねぇ。
くじ運はまったくない私だけれど、この歳まで生きてこれたのは、それなりに運が強かったから、なんだろうなあ。聡明じゃないし、意志は軟弱だから、つくづく平和な時代でよかった〜。

読んでいるときは、暑さをちょっと忘れさせてくれました。ちょとだけね。






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2010年06月29日

1Q84・・・

今日は久しぶりに涼しい風が吹いて気持ちいい。
蒸し暑い夏はどうも苦手。
おまけに気分のすっきりしないことがある。
なんか私って、思い切りピエロをやってんじゃないのか…などと思う。
NPOはうさんくさい、などといまどき言っている人々に対して、なにをもってして「胡散臭い」と言っているのかと面と向かって問いただしたい衝動に駆られる。
と、ここで見えない敵に対してあたってもなんの意味もないですね。

村上春樹の「1Q84」を読んでいたら、だんだんこんな気分になってきた。ということは、これはヒトの悪意とか、焦燥とか、日常の裏側にあるものを引き出そうという物語なんだろうか。実態をつかみにくい見えない敵こそ、リトルピープルなのか?人の心に忍びこんでくる得たいの知れない、でも、誰もが持っている形にならないもの。
それに気づいて自分に向き合うときに月は二つに見えるのか?

暗い小説。
やたらと仕掛けは凝っているんだけれど、そんなにひねくりまわさずもっとはっきり言ってよ!みたいな感じ。って、これが春樹流なんだっけ?もちろん最後まで読者をひっぱっていく力量はすごいけど。

どうしてこれがベストセラーなんだろう。
みんな、こういう小説を読みたいの?
貸してくれたKさんが、「3はもういい」と言っていた意味がわかります。

3では、いろいろなことが説明されているみたいだけれど。でも、それってずるい。まるで映画「ロード・オブ・ザ・リング」のやり方じゃない。映画の方は3でそれなりのカタルシスを味わえたけど、ネットで人の感想を読むとどうやら3はそうじゃないみたい。

80年代の終わりにロンドンにいたころ、友人がわざわざ出版されたばかりの「ノルウェーの森」を送ってきてくれた。「そろそろ日本語の活字が恋しいころだろう」と。気のきいた友人がいたものだ。そういえば、彼は東ドイツの壁が壊された直後に仕事でかの地に出かけたときも、その壁のかけらをお土産に持って帰ってくれたっけ。石はどっかにいっちゃったけど。私はお土産にエルメスのスカーフがほしかったんだっけ(笑)

1Q84に出てくる「ジュンコ・シマダのスーツ」だとか「シャルルジョルダンの靴」とかの小物のディテールがとっても懐かしかった。

「ノルウェーの森は」ものすごく喜んで読んだのに、まったくなにも覚えていない。まったくゼロ。どういうことなんだろう。

羊をめぐる冒険も読んだのよねぇ。

でも、覚えていない。

ということは、1Q84も、20年後には(生きていたとしたら)「読んだっけ?」なんて思うのかしら。

思うな、きっと。

だって、今までよりもっと忘れっぽくなるから(笑)
「空気さなぎ」の単語ぐらいは覚えているかな。

DSCF2083.jpg

サッカー残念でした。試合は若干劣勢だったから、PKにそれが凝縮されたと思う。その凝縮籤をひかされた駒野くんが一番の貧乏籤。それを当ててしまう彼の背負っている運は、どこか1Q84につながるなあ。

春樹さんの小説は、完全にフィクションなのに現実とどこかでつながるところがすごいところなのかもねぇ。
「アンダーグラウンド」を読みたくなりました。

ツイッター、240になりました。もうツイート、なにがなんだか…
といいつつ、白戸次郎と孫さんはつい見てしまう。
孫さん、ほんとに龍馬のこと好きなのね。

やたらめったらつぶやいている人って、パソコンや携帯に打ち込んでいる時間を費やしているわけでしょ。それぐらい暇な人が多いということ?

最近、つぶやくのめんどーでほとんどやってない。
ブログも。


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2009年12月30日

「獣の奏者」後編で締めくくる2009年

一年で一番落ち着かない年末年始。
例のごとく、実家で年賀状づくりをしています。
出せない!といいつつ、やはりお得意先には出さねば…。

10月ごろ、「獣の奏者」闘蛇編、王獣編を新幹線の往復で読破。クライマックスのカタルシスに久しぶりに時間を忘れました。
児童文学のジャンルに入るようです。まっすぐな気持ちとは何か、物事をじっくり観察し、考察する大切さ、信念に基づいた行動をすること、など、物語の中に没頭しながら、忘れていたことを思い出させてくれるこの物語。大人こそ、時を忘れて楽しめるファンタジーです。

今年8月に出た後編ともいえる「探求編」と「完結編」を読みたくてうずうずしていました。図書館に予約を入れていたけれど、いっこうに順番が進まない。ということで購入。目下、40ページほど読んだところ。読みすすめたいけれど、もったいないような。。。
作者の上橋菜穂子さんという文化人類学者は、ものすごいストーリーテラーです。
で、でも、野生の王獣がどうして牧場から逃げていかないのか、こればっかりは納得がいかない。ファンタジーなんだから、まあまあ…と自分をいなしておりますあせあせ(飛び散る汗)

NHKで放映されていたアニメの方は、先週の土曜日で前編が完結。こちらはかなり子供を意識してつくられているので、わかりやすくされすぎていて、かえって物足りないものになっています。
ファンタジーがお好きな方は、ぜひ、原作を読んでみてください。

今年も、いろいろお世話になりました。
ちょっと不発の一年でした。
ものすごい地殻変動の起きている日本。来年はどんな波にもまれることやら。
私自身でいえば、なぜか物欲がまったくわかない。
欲しいものがない。
カレイなる日々ゆえなのか、もう欲しいものなんてないのか。
これを機会に来年は、できるだけ持ち物もそぎ落としていきたいと考えています。
そして、来年も、りんごとはちみつの私です。
また、どうぞ、よろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。


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2009年12月14日

「戦争と人間」ついに読了

「戦争と人間」読了。
国家が迷走すると、国民はいかに迷惑するかということがよっくわかりましたね。民度が低いからそうなるのかと思っていたけれど、これは日本民族の特性みたいなものかも。
計画がずさん。戦略が立てられない。数字の詰めが甘い。現状認識が甘い。箱庭的なるものをつくるのは得意だけれど、大きく捉えることはできない。情報収集が下手。
そして、本当に責任を取らなければならない人は絶対にとらない。逃げる。

あれだけ手ひどい目にあって、310万人も同胞を死なせて、ぜーんぜん治ってないじゃない!!!

12月8日にNHKが、昭和50年ごろに海軍上層部により何度も開催された内輪の反省会の記録テープをもとにしたドキュメンタリーを放送していた。以前、3回シリーズで放映されていたときは気がつかず、残念。この内容をふまえての澤地久枝氏、半藤利一氏などの対談を含めた番組。

230万人もの兵隊をよく考えもせず使い捨て、自分たちは危険のない後方で無茶苦茶な作戦を立て、指令を出していた参謀たち。「ありゃ、だめだよ。うまくいくはずがない」とみんなで笑いながら反省会をしていた。

本当に、本当に、心底腹立たしかったです。
組織ってコワイ。
今も、戦略なんて、ほんとにあるの?

日活制作の「戦争と人間」三部作がノモンハンで終わっていた意味がわかりました。あの大敗を大敗と認めず、以後、同じ過ちを何度も繰り返しただけ。だから、あそこで終わってもよかったというわけ。

あーあ、今の世の中と重なる部分が多くて、やりきれないです。

posted by 風土倶楽部 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月09日

戦争と人間、いよいよ最終巻

いよいよ冬っぽくなってきましたね。
「戦争と人間」、こちらはいよいよ最終巻の9「裁かれる魂5,6」に突入。

この2ヶ月ほど、昭和3年ごろから20年ごろを小説の中で追体験させてもらいました。正直言って、膨大な註の記述は半分もこなせなかったけれど、満州事変から二・二六事件へ、そしてノモンハン、真珠湾、ミッドウェー海戦…広島・長崎、終戦へと続く一連の流れを知ることができたことは本当に大きいです。あまりにも死屍累々で、なんと昭和史の血塗られていたことか。

「ブルジョワ出身の政治家は決断できない」と先日、あるコメンテーターが言っていたのにふかーく納得。近衛文麿がそうでしたもんねぇ。大丈夫かなあ。二の舞にならないでねぇ…。
大本営発表の戦勝報告に沸く庶民の描写を読みつつ観る事業仕分けの報道の危うさも。

私たち日本人は、もっともっとこの昭和の前半から学ぶことがあると思うことばかり。でも、だいたいみんなスルーしちゃっているでしょ?
NHKの「坂の上の雲」を見ながら、あんなに希望に燃えて建設した国家が、日露戦争でいうなれば得た満州を引き金に終戦まで突っ走ることになるんだよなあ…と思わずため息。「坂の上の雲」をやるんなら、一気通巻でその後もやらないと、です。日本国民が一番知らない歴史なんだから。

よく言われるのは、あの時代は日本に戦争をしないという選択肢はなかったと。
果たして本当に選択肢はなかったのかをこそ検証していかないと、今も、また、選択できないことになる。
日本人は懲りる必要があったのだろうけれど、犠牲があまりにも大きい。その犠牲を今、ちゃんと生かせているのか。懲りた世代がもう、いなくなり始めているし。

重い小説です。
前にも書いたけれど、古本しかない。図書館で借りるしかない。ということは読もう!という意思がよほど強くないと出会えない。ネット図書では買えるけど、パソコンで読みたくない。
時々、図書館で貸し出し中で、待ちきれなくて古本を購入したものも。ところが最終巻は貸し出し中。古本はなんと3000円!どうしよ、買っちゃう?…と思っていたところに、今日、図書館から連絡があって手にすることができました。

疑問を持つ自由さえも剥奪されていた、どこにも逃げ出せなかったあの時代を主人公たちはどのように生き抜き、終わるのか。みんな、時代に飲み込まれていくのかなあ。ドキドキ。

読み終えたら、太平洋戦争をテーマにした映画を観てみようかな。
どんな視点で描いているのか気になってきたので。
そういえば、20代の半ばごろに「女たちだけで観る東京裁判」とかいうイベントに参加したことがあったけ。あのころはまだ戦後35年だったわけで、今は戦後65年。四捨五入すると100年!昭和はますます遠くなりにけり、ですわねぇ。

カレイなる日々にいろいろ思う晩秋なのですよ。


posted by 風土倶楽部 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする